《老いて逝くまで》


 半妖といえば、病に冒されにくい。
 そう霖之助は豪語していた。
 しかし、霖之助のこの考えは甘かった。
 …甘く考えていた。
 病を、そして、自分自身を。
「…もろいものですね」

「……ゆ、かり…かい?」

「はい、八雲紫です」

 床に臥していた霖之助が見たものは、闇夜に浮ぶ金色の長い髪。
 八雲紫。幻想郷の賢者。1,2を争うほど強い大妖怪。
 紫はまるで可哀相なものを見るかのように霖之助を見下ろしていた。

「きょ、うは…何、か…?」

 一応香霖堂は閉めている。癖なのか霖之助は接客するために体を起こそうとした。
 もう喋るのも辛いのか、声はかすれ、体も悲鳴を上げる。
 そんな霖之助の肩を優しく支え、囁くように紫は言った。

「喋らなくてもいいわ。心を読ませていただくから」

 霖之助の肩はまるで骨と皮のみ、髪の毛も以前は銀色だったのだが今は艶の無い白髪になっている。
 全身の筋肉は衰え、目にも輝きが見えない。
 肩を支えた紫は、霖之助に見えないように眉をひそめ、そしてゆっくりと寝るように動かした。

 半妖は妖怪の病気にも人間の病気にもなりにくい。しかし、逆に言えば妖怪も人間もかかりにくい病気に半妖は侵されやすい。
 霖之助が患っている病。それは体が急速に老いていく病だ。

『まったく…普段病気にならないからここまで酷いと思わなかったよ』

「…貴方は半妖だから」

 おそらく、風邪をも普通の人間よりも罹っている回数も少なく、それが自信へと変わっていたのだろう。
 しかしそれは過去の栄光であって、未来永劫そうなるわけではないのだ。
 霖之助はそれを病を患ってから気付いたのだが、もう遅い。

『醜いだろう? 指も顔もしわしわだ。魔理沙なんか僕の顔を見ただけで泣いてしまったよ』

 魔理沙が泣いたのは違う理由だろう。
 何も出来ない自分がもどかしかったから泣いたのだと紫はすぐに理解した。
 紫は、そんな魔理沙の気持ちを感じながら霖之助の頬を撫でた。

「…貴方がおじいさんになったらこんな顔になるのね」

『まだおじいさんと呼ばれるには早いと思っていたんだが…』

「人間は嫌いだわ…もろくて、短い。好きになったときにはもうあの世行き」

――いつも、いつも。

 紫は人間を好きになる。
 ただ自分が気付くのが遅く、そして自分が生きるには長すぎた。

 “人間”の寿命について語る紫がおかしいのか、霖之助は目を細めた。

『じゃあ僕も“嫌い”部類に入るね』

「いいえ、貴方は別よ。だって半分だけだもの」

『半分も人間だ。老いも寿命も来る』

 紫の好きになった人間・霊夢であっても老いも寿命もくるだろう。
 霊夢に何かと頼る紫の気持ちが垣間見えたとき、紫が霖之助の手を握ってきた。

「だから私分かったの。貴方が老いるなら、私も一緒に老いるわ。先に逝くことはできないけれど、ずっと貴方の傍に居続けることができるもの」

 すると、紫の手が、指が、目に見えるほど細くなってゆき、そしてしわが出来た。
 金色に輝いていた髪の毛も白髪が混じり、艶がガクンと減った。
 そんな紫に、霖之助はまた柔らかく笑った。

『……君が老いたらそんな顔になるのか』

「しわしわで醜い?」

 霖之助が笑ったのが嬉しかったのか、紫は無邪気な笑みを浮かべる。
 その光景は、老いた女性とは思えないほど可愛らしく、霖之助が見惚れるほどだった。

『…いいや、老いても君は君だ。変わるわけがない』

「私はもっと、貴方と…一緒にいたい…」

 言い終わる頃には、紫の目に涙が浮んだ。
 それが見られたくないのか、顔を伏せて呟いた。

「……居なくならないで」

『…竹林の薬師でも僕のこの症状は分からないそうだ』

 前例がなさ過ぎる。指折り生きている日を数えれることが奇跡に近いほど。そう永琳は言った。
 今も薬を作ろうと努力していると聞いたが、霖之助は半ば諦めていた。
 この世に生を受けたからには、死に向かう。

――さて、閻魔様には何と言われるものか。

 そう割り切ってここ数日を生きてきた。
 だが、紫はそれを許さなかった。
 老いた顔の妖艶な笑みは、以前の紫の笑みとなんら変わらない。

「彼女に出来ないことは、私にも出来ないというの?」

『…どういうことだ…?』

「一緒にいたいの。ずっと…貴方が逝くまで。それは別の言葉でなんて言うか知ってる?」

 紫は霖之助に考える隙も与えずに、そっと自分の唇を霖之助のそれに合わせた。


* * *


「こんにちわ」

「君か」

 数日後、霖之助は何事も無かったかのように店を切り盛りしていた。
 切り盛りといっても所詮本を読み漁る毎日であったりする。

 そんなときに現れた八雲紫。
 床に伏せ、静かに語り合った夜以来である。

 霖之助は何と言うべきか迷っていると、妖艶な、あの夜に見た同じような笑みで語りかけた。

「元気になって何よりだわ」

「…ああ、寝込んでいたのが夢のようさ」

「…私は夢にしたくないんだけど」

 紫は霖之助をジッと見つめる。
 霖之助は困ったようにそっぽを向いて、呟いた。その顔はどこか紅い。

「……僕のどこがいいんだか…」

「あら、私は好きよ?そうゆうところも、ね」

 クスクスと笑い声が聞こえた。
 そして、軽く頬を紅く染めながら紫は問う。

「…ずっと一緒にいること、これは何て言うのか分かるわよね?」

 霖之助は呆れたように笑うと、紫の手を取った。
 ずっと一緒にいる、人生の伴侶の手を――…。