《月蔵の器》



「霖之助さん、歴史って分かる?」

「なんだいいきなり」

 霊夢は懐より真新しい本を取り出した。
 『日本史』と書かれたそれは、本というよりも教科書であり、色とりどりの色彩は幻想郷の本とは全く異なっていた。

 霖之助が「どうしてこんな本を持っているんだい?」と聞いたところ、霊夢は自分でも分からないという素振りをして自分が分かることを説明した。


* * *


 それは霊夢が神社の納屋を整理していたことである。
 床に身に覚えのない本がそこに転がっていた。
 文字通り本棚もない空間にポツンと置かれたそれは、霊夢の知らない本であり、なぜそれが納屋に転がっていたことさえも分からなかった。
 どうせ先日の宴会際、スキマ妖怪が落としたかそこらだろうと納得させ、霊夢はその本をペラペラとめくり始めた。
 しかし、中に書かれた内容は霊夢にとって知らないことばかりだったのだ。

 一応博麗大結界を司る巫女、八百万の神のことを勉強することは歴史を学ぶこととも言えるゆえ、歴史くらいは知っていて当然のこと。
 が、その歴史書には初めて知ることばかりの内容に霊夢は困惑してしまったのだ。
 それで霊夢はよく本を読む人物にこの本のことを解明してもらおうと思ったまでのこと。

 それが行けども行けども毎回本を読んで暇をつぶす香霖堂店主に決まった次第である。

「何々…『日本史』…教科書?」

「そんなの貴方の能力をもってしなくとも私にだって分かるわ。ただその中身よ」

「ふむ…これは興味深いね」

 パラパラとめくっていくと、そこは霖之助でも知らないことが載っていた。
 もちろん、博麗大結界以前の外の歴史は霖之助でも多少は知っていること、それ以降の歴史というものは霖之助であっても目を疑う内容であったのだ。
 しかし、霖之助が気になるのは大結界以降よりもそれ以前の歴史に目がいった。

「これは…」

カランカランッ

 カウベルが忙しく鳴りながら香霖堂の扉は開き、そこにはよく見知った少女が立っていた。

「なんだ、霊夢も来てたのか。 …何を見てるんだ?」

 魔理沙は来て早々2人が覗き込む本に興味を持った。

 いつもの壷の上に座らず、自分も覗き込もうと勘定台に乗り出して霖之助の肩に体重をかける。
 霖之助が「重い」と呟くも魔理沙は気にせずに「早く本のことを説明しろよ」と促すだけ。
 その様子に霊夢はムッと眉をひそめるが、霖之助が説明をはじめたので慌てて本に視線を移した。

「これは歴史書だよ。神社の納屋から出てきたそうだ。でも…この本には僕の知ってる事件がことごとくないんだ」

「例えば?」

「例えば、今から丁度120年前…徴兵令が改正したのは知っているかい?」

「徴兵令ってあれでしょ?戦争に強制的に行かされるっていう」

「霊夢、ここは逝かされるじゃないか? ッいて」

 霖之助は歯を出しながら笑う魔理沙の額を指ではねた。
 眉をひそめる魔理沙を気にする様子もなく霖之助は話を続ける。

「あまり笑い事じゃないよ魔理沙。120年前以前の徴兵令というのはまだ義務化されていなかったんだ。だが120年前に国民皆兵制になった。なぜだか分かるかい?」

「敵が強くなったからとか?」

「120年前までは妖怪が戦いに参加していたのさ。そのときの妖怪は人間を小ばかに…まぁ今もしているが…。
つまり人間なんてものは頭が悪くて弱弱しい存在でしかなかった。
しかし、人間も進化する。今からだと180年前くらいかな? そのころから人間は妖怪を利用して領土争いを行い始めたんだよ。
贄を用意させたり、『これをやってくれたら~』などと代償を口からうまく出しては妖怪をいい気にさせて戦いに参加させる。はじめは良かったのかも知れなかったが…。
いつまでも騙される彼らじゃないのは君たちが一番分かっているんじゃないか?
頭のいい妖怪が他の妖怪たちに言いふらして、次々と妖怪たちは人間たちから離れていった…。
だから残りの人間すべてを兵にする必要があったんだよ。なのに今ではそんなこと全く書かれていない。妖怪学の衰えを感じずにはいれないね」

 霖之助の一通りの説明が終わると、2人は興味のない様子で「ふーん」と呟いた。

「ふーんって…君たちは歴史が変わっていくのがいいと思っているのかい?」

「そこにふーんって言ったわけじゃないわ。ただ、そんな歴史があるんだなーって」

「歴史書と言うものはいつも正しいとは限らない…そう分かっているんだが、自分たちが関わっていることが消されているのは寂しいことだね」

 霖之助が悲しげに本に視線を送っていると、魔理沙が霖之助の肩にさらに体重をかけてきた。
 霖之助は「イタ」と短く唸るも、魔理沙は気にしない様子で口を開いた。

「なに、そんな本にしなくたって歴史なんてものは覚えてるヤツが1人でもいたらいいんだよ。な、香霖」

 それはつまり霖之助自身が覚えていれば十分。そう言っているようで霖之助は嬉しいような、救われたような感覚になった。同時に「んな無茶な」と、苦笑いを浮かべずにはいられなくなった。

 そして、その言葉でふと気が付く。

「人間と言うものは月から生まれたのかもしれないな」

「は?」

 突拍子もないことを口に出した霖之助に、少女2人は開いた口が塞がらなかった。
 2人の反応も気にせず、霖之助の言葉は続く。

「たった120年あまりでこんなにも歴史に違いが出るんだ。数千…数億年前のことなど誰も分かりはしないよ」

「だからって唐突過ぎやしないか?」

「人間は海から生まれたと言われている。そのことを考えれば十分に考えられるよ。月には20余りの海があったとされているんだ。何かの拍子で人間という生命体が月から降りてきたと考えてもいいだろう? それに、だれも人間は地球から生まれたとは言ってないじゃないか」

 確かに月に海は存在する。嵐の大洋、雨の海、泡の海、既知の海、危難の海、雲の海、賢者の海、氷の海、静かの海、島の海、湿りの海、蒸気の海、スミス海、波の海、晴れの海、東の海、縁の海、フンボルト海、蛇の海、南の海 、神酒の海、モスクワの海、豊かの海…。
 人間にとって母とはいつも大いなる海。母なる大地は別段“地球”を指してはいない。

 そんな歌詞が2人の頭に過ぎったが、霖之助のいうことはただただ気違いとしか思えなかった。

「月と言うものは多大な力を持っているじゃないか。妖怪は月の満ち干によって力が増すことや、満ち潮なんかも関係あるね。
そもそも月は異界への入り口を司っているとも言われるんだ」

「なんだ?紫か?」

「それほど魅惑的であり、影響力があると言うことだよ」

 紫を魅惑的と話す霖之助に、ますます理解が出来なかった霊夢は鼻で笑い、そして蔑んだ。

「理解できないわ」

「そうかい?けれど、ヒトと月は切っても切れない関係であることは間違いない」

「?」

「ヒトの体の節々には月があるからさ」

 妖怪にとって月は力の源であり、兎にとっては憧れであり、そして宇宙人にとっては故郷である。
 そして人間にとっては地球に住むに当たり、月は自然を司る代表とも言ってもいい。
 確かに並べてみると関係はなくはないといえるだろう。

 だが、体に月を並べた覚えはない。
 2人は未だ分からずに頭を捻るが、霖之助の言葉は止まらない。

「脚から肩にかけて少なくとも10個はある」

「はぁ?」

「内側になら無数だ」

「何が言いたいの?」

 しまいには狂乱者を見るような目で霖之助を見てしまう。
 2人には霖之助が言いたいことが全く分からなかった。
 しかし、その様子に霖之助はニヤリと笑い、そして一言。

「内面から見ても胃、心臓、皮膚…。ほら、月(にくづき)があるじゃないか」