《赤い目、だれの目?》




~♪~

水面の月は銀色で
誘うようにゆらゆら揺れる。
真っ赤なザクロがぽろぽろと
種実を落として目を覚ます。

月の兎は耳を尖らせ
赤いその目で貴方を見てる。

~~♪~~

  …唄が聞こえる。
 懐かしい唄。聴いたことないない唄。
 本当に?
 分からない。
 私の中で何か違う私がうごめいているような。
 不思議な気分。
 最初こそ戸惑ったけれど、今はとても心地いい。
 そんな私に回りは戸惑ったと思うわ。
 だって私自身、自分が分からなくなったのだから。
 でも皆分かってくれたの。
 憤りを感じたけど、すぐに収まったし。
 不思議よね?
 どんな私でも、私には違いないのだからー…。


 ***


「…こんにちわ」

 香霖堂に現れたのは竹林の主治医である八意永琳だった。
 竹林からの使いといえば兎を思い浮かべるが、不思議なことに最近は主治医本人が使いに出ていた。
 どうしてかは霖之助は永琳に問い詰めることはなかった。
 なにより彼女自身酷く疲れた様子なのだ。
 大変な薬の調合で、永遠亭の兎が動けないくらい忙しいとも思ったが、それなら調合する本人がここに居てはいけない気がする。
 もしくは兎たちのボイコットかストライキとも思った。しかし、そんなゴタゴタを文々。新聞の記事にしないわけない。
 新聞の記事に永遠亭のことなど全く書かれていなかった。

「最近兎がおつかいに来ることがないね。元気にしているかい?」

「…! …え、ええ」

 跳ねたように震える肩に、霖之助は疑問を抱く。
 もしや、文々。新聞にまだ知られていない、霖之助が予想するようなストライキが行われているのではと他人事なのに変な汗を背中に感じた。
 もしそうならば、永琳の異常な疲れも頷ける。
 気休めとは分かっていたが、霖之助は励ますように、二つの商品を手にとって永琳に渡した。

「常連へのサービスだ。キーホルダというものなんだが、兎の二人に似ているだろう?」

「…ええ」

 キーホルダに繋がれた白い兎と、黒い兎が香霖堂によく現れる妖怪兎に心なしか似ている。
 永琳は懐かしむようにそのキーホルダの微笑みかけると、大事そうに胸に押し当てた。
 そのうち、祈るようにキーホルダを握り締めたかと思えば、何かを覚悟したように霖之助に言い寄った。

「お願い…! 姫を…輝夜を助けて!」

 悲痛な叫びにも似たそれは、心から助けを求めるものにも聞こえた。

「…どうゆうことだい?」

 あまりにも必死な様子に、ただ事ではないと察した霖之助は、震える永琳をなだめるかのように肩に手を置く。
 その優しさに永琳は安堵の笑みを浮かべた。
 しかし、その安堵の笑みも香霖堂の入り口に立つ少女の前には、氷柱を刺されたように凍りつくことしかできない。

「永琳」

「! …姫、様…」

 穏やかな笑みを浮かべる輝夜に対し、永琳はひどく脅えているような印象さえ伺える。
 霖之助は、輝夜の笑みに不思議と悪寒を覚えたが、本人にいたってはいつもの変わらない態度を示していた。

「もう! 香霖堂に行くなら誘ってって言ったのになんで何時ぞやみたいに私を閉じ込めるの?」

「そんな、こと…」

 “何時ぞや”と言うと、永夜異変における永琳の行動だろう。
 今は満月でもないし、夜を止める必要性もない。
 そのことは永琳、輝夜とも分かっているはずなのに、輝夜の冷たい瞳には、永琳の顔が映っているかどうか分からなかった。

「ゆうこときかない従者には罰を与えないとね」

―パンッ

「きゃあっ!!」

 乾いた音が香霖堂に響き渡る。
 気付くと頬を腫らせた永琳が、床に転がっていた。
 霖之助は半ば信じられなかった。
 永琳は何をした?
 何か言った?何か行動をしたか?否、何もしていない。
 あまりにも理不尽な暴力に、霖之助は輝夜を疑った。

「輝夜…なにを…?」

「なあに霖之助?ああ、これ?ただの躾よ。最近なんだか皆して私に逆らうものだから、小さなことから躾けていかないと。皆ちゃんと聞いてくれたんだけど、永琳だけがいつまでたってもゆうこと聞いてくれなくて。ほら、立って永琳」

 頬を腫らし、ワナワナと震える永琳の手を乱雑に持ち上げて、無理やり立たそうとする。
 持ち上がる右手とは対象に左手はぶらりと力なく垂れ下がる。
 そのことが気に入らないのか、輝夜の手は虚空に上がって二発目の平手を放とうとしていた。

「やめるんだ輝夜!」

 間一髪のところで平手を止めた霖之助を輝夜は不思議そうな顔で見ていた。

「もういいじゃないかこんなに顔も腫れさせて、これじゃあだれも君についていかなくなるぞ!」

「…なんで霖之助がそんなこというの?だって、言いつけ守らない子が悪いのよ?イナバ達だって…約束を…やぶ…」

「…?」

 泣きそうになりながら訴えたと思えば、突如事切れたように動かなくなり、下を向いてしまい表情が読めない。
 しかし、数秒経ったところで、先ほどとは全く違う明るい顔で霖之助に問うた。

「霖之助はイナバ達が好きなの?」

「は?」

「どうなの? そうよねぇ、キーホルダだっけ?好きじゃなきゃ似ているとも思わないわよね」

「それは常連…」

 突然の質問に戸惑うも、キーホルダをあげるのは永遠亭には贔屓にさせてもらっているから。そのことを含め説明しようとしたとき。霖之助は輝夜の目に何も映ってないことに気が付いた。

「そんなに兎(イナバ)がいいの? 目? あの赤い目がいいの?」

 そういうと、手元にあったガラス細工の美しい小瓶を手にし、そしてそのまま勢いよく床に投げつけた。
 バリンという音に霖之助と永琳は驚いたが、更に驚くべきことは、輝夜が割れたガラスを両手に持っていたことだった。
 手を切るかもしれない。そんな2人の心配を他所に、輝夜の手はそのまま顔に向けられた。

「…何を!」

ぐちゃ…ぐちゃ…

「!!!」

 それは生々しい音。
 肉を割いて、そのままこね回す。
 輝夜の手のガラスによって、輝夜の目は無残にも真っ赤な血を垂れ流すことになった。

「姫様!」

「ねぇ?赤くなった?私の目。もっと赤いほうがいい?」

「やめるんだ輝夜!!」

 止める永琳と霖之助に目もくれず、目をぐりぐりとつぶす動作を止めない輝夜。
 そして、満足そうに微笑むのだ。

「赤くなったら好きになる?」

 さすがは蓬莱人。霖之助を見上げる表情にはもう瞳の赤は癒え、本来の真っ黒な瞳が顔を出していた。
 しかし、頬に伝う赤いソレは消えるはずもなく、その姿はまるで血の涙を流しているようにも見える。
 輝夜の質問に落ち着いて答えられるわけのない霖之助に、輝夜は首を傾けて持っていたガラスを見入った。

「霖之助が赤い目が好きなら赤い目になるわ私。それともこの耳がいや?ウサギ(イナバ)の耳がいいの?」

 今度は自分の耳を削ごうとする輝夜に目を向けることが出来ず、叫ぶように声を張り上げて輝夜の行動を断たせた。

「やめてくれ!!」

「なんで?私…霖之助に好かれたいだけなのに…イナバ達ももういないのよ?私たちだけの竹林に行きましょう?」

「どうゆう…」

 兎がいない竹林―…?
 その疑問に永琳はすまなさそうな顔を背け、輝夜は誇らしげに髪を風になびかせた。

「みんな私がしつけたの。そしたらみんな動かなくなって… でも大丈夫!身の回りの世話は永琳にやらせるし、そうだ!薬!薬があればいつまでも一緒よ?!そうよそうしましょう!!」

「…くれ…」

「え?」

「出て行ってくれ!君を客だとは思えない!この店から出てってくれ!」

 怒鳴りつけたことで輝夜は傷ついた様子だったが、今度は霖之助にすがり信じられないものを見るかのように顔を歪ませ、逃げないように服を掴む。

「…どうして霖之助までそんな顔するの?そんな目で見ないでよ…イナバ達みたいよ…?ねぇ?」

ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ

 この言葉とともに服をひっぱってみるが、霖之助は可哀そうな目で輝夜を見ることしかしない。
輝夜にとって、今の霖之助の顔は見たことのある目だった。
 つい最近のこと、仲の良い兎(イナバ)が自分を見る目だった。
 赤いわけでもないのに、その目はたしかに兎(イナバ)のものとしか言えないものだった。
 その目に輝夜は困惑し、そして焦った。霖之助に内通していた兎がいるのではないかと。

「イナバ達の目になっちゃった…霖之助に目を渡したのはだれ?」

「?!」

「そんな目早く捨てよ!目を…!出して!!」

 女性とは思えない力で霖之助を押さえつけ、そして手に持っていたガラスを振りかざし、霖之助の顔を目掛けて振り落とした。
 どこかで「輝夜!」と永琳が止める声がしたが、霖之助がそれに気付くことはなかった。
 霖之助の顔に赤い花が咲いた。

「ぐああああ!!」

「ああ!今度はイナバ達と同じ声になっちゃって!だめよ!それも捨てちゃって!」

 次は唇を割いて無理やり舌を掴む、そしてぐさりとガラスを差し込んだ。

「あっぁあ…あ」

 声にならない悲痛な叫びをあげながら、霖之助は動かなくなった。
 輝夜は額を流れる汗をひとなでして、満足げな表情でくるりと永琳の方に振り向いた。

「よかったわこれで一緒のものがない…永琳、霖之助、帰りましょ? …なんで泣いているの? 永琳」

「ひ…ひめ、さ、まが…壊れ…」

「私?壊れてないわ。少し霖之助が故障しちゃったけど、大丈夫よ。貴方の力があればまた元通りになるわ」

「うっぅう…!」

 永琳は輝夜の変わり果てた姿に膝から崩れ、そのまま嗚咽を漏らしながら泣き出してしまった。
 その様子に輝夜はイラつき、そして静かに言い放った。

「……いつまで泣いているの。早くしなさい」

 香霖堂に二回目の乾いた音が響いた。