人間、妖怪、幽霊や神までも訪れることを拒まない店。
そのために魔法の森の入り口に建設したもの、種族の違いを恐れられ、いまひとつ稼ぎがよくない。
そんな経済状況なのだが、この店の店主は稼ぎが少ないことも苦とは思っていないようで、毎日のんびりと店番と言う名の読書に励んでいた。
「霖之助さん。いる?」
訂正しておくと、『客』は来ないが、『招かれざる客』はよくこの店の門をくぐっている。
霖之助は「ああ君か」と一言呟いたきり本から視線を離さない。
どうやら本の場面はクライマックスのようだ。
店に訪れた『招かれざる客』、博麗霊夢は普通の客のように店の商品を見回す。
そのうち霊夢はふわりと宙に浮いて、ある一つの棚に目をつけた。
舌なめずりをするように笑い、手を伸ばしたときだった。
「霊夢」
「ひゃ!」
突如名前を呼ばれたので肩を震わせてしまった。
こちらの思惑に気付かれているだろうかと不安に思ったが、どうせバレているだろうと高をくくり、口うるさい文句が出てくるだろうと思っていた。
しかし、霖之助はというと、読んでいた本をひらひらと見せると、地に足を着けようとしていた霊夢に質問をする。
「空を飛ぶというのはどんな気分なんだい?」
「は?」
大体、霊夢が店の商品に触ろうとすると、霖之助は「ツケを払え」と言ってくる。
もちろん今の段階――……正直払うつもりなんて微塵も思っていないが、口うるさい文句を言われるよりも、簡単な質問の方がいいに決まっている。
「いや、この物語で少女が少年から空を飛べる力を貰ったとあってね。僕は飛べないから、ピンとこないものだから聞くことに」
「妖怪の血が半分入っているくせに飛べないなんて霖之助さんって変よね」
いろいろな妖怪を見てきた霊夢にとって、飛べない妖怪は異端な存在に見えた。
もっとも、人間である霊夢が空を飛べること自体、同じ人間にとっては異端に見えるだろうが、ここは幻想郷。巫女が空を飛ぶことなど冬の次の春が来るのと同じくらい当たり前のことなので誰も気に止めないだろう。
半分人間の血が流れる霖之助は、弾幕も出せない弱い存在である。されど半分妖怪であることから、その気になればどこまでも強く、強靭な肉体を手に入れることだって可能であるはずだ。
本人に鍛える気がないことが一番の難点なのだが…。
「鍛えれば飛べるんじゃいかな」
「鍛えないの?」
「僕は君たちのように妖怪退治をする必要がないしね。このままで十分さ」
霊夢は人差し指を口元に持っていき、空を飛べることの利点について考える。
「とっても楽よ?主に移動が」
「それくらいしかないと思うんだが…」
霖之助が一言でくくってしまうのが満足しなかったのか、霊夢は腕を組んで他の利点を考えた。
「他には…そうね。妖怪を見つけやすいことかしら」
「僕は進んで妖怪に出会いたくないよ」
霊夢が妖怪を見つけに行くのは異変調査のためである。
それは巫女の仕事だからであり、霖之助の仕事ではない。
霊夢はそれもそうね。と納得するも、ことごとく空を飛ぶ必要を否定する霖之助に苛立ち、軽く嫌味を言ってやった。
「霖之助さんそのうち腰抜けとか腑抜けとか言われるわよ?」
「平和主義だと言ってほしいな。なにも牙をむき出しにして歯向かうことしなくとも今の生活には不自由していないしね。大体、異変があったら何某の少女が解決してくれるしね」
「あら、そんな風にぼかさなくても素直に言ったら良いのに」
「さて、話が反れてしまったが空を飛ぶというのはどうゆう感覚なんだい?」
何某の少女のことが霊夢なのか魔理沙のことなのかは指さなかったが、霊夢はそのまま会話をしだす霖之助に苛立ちを覚えた。
それが自分ことを指さなかったせいとは断言できないが、霊夢は苛立った心を落ち着かせると、本来問われた質問に答えることにした。
「もう長い間飛ぶことを生業にしてきたから感覚を問われても困るわ。これが答え」
答えになっていないことは霊夢自体分かっていた。霖之助は「そうか」と無愛想に答えて本に視線を落とした。
まるで霊夢には分からなくて当然だったなと言われたようで、心外に思った霊夢はつかつかと霖之助の前に立ちはだかり、読んでいた本を奪った。
「だって私にとっては空を飛ぶことは地に足を付いて歩くのと同じくらい当たり前のことだもの。急に言われても困るわ」
「…なるほど」
手元の本を取られて不愉快そうな顔をしたが、本を取り返すなどせず、霖之助は手持ち無沙汰になった腕を組んで目の前の霊夢と対峙する。
おそらく霖之助はこの本を繰り返し読んでいるのだろう、さも気にしていないように振舞う。案外気にしていないのかも知れないが、本当のことを霊夢が知る方法はない。
刹那、霊夢に考えが浮ぶ。
「霖之助さんも空を飛んでみたらいいのよ」
「鍛えるのは勘弁なんだが…」
「だから、私がこう…」
霖之助を立たせて、背中にまわった霊夢はそのまま胴体に腕を回して、いつも通り宙に足を浮かせ、霖之助を浮ばせる。
…浮かせるように努力してみる。
「むむむむむぅ!!?」
自分は浮いているにも関わらず、いくら力を入れても霖之助の足は浮くどころかびくともしない。
霖之助の足が地に貼り付けられているかのような錯覚さえ覚える。
重くて仕方ない。
そのうち霖之助がガマカエルのように鳴いて、やっと霊夢は霖之助の首を後ろから絞めていることに気付いた。
ぱっと手を放し、小さく謝る霊夢の前で、霖之助は首をなでながら大きく咳をする。
いくら先ほどのことでイラつきを覚えた霊夢でも霖之助を殺そう考えるわけがない。霊夢なりの気遣いだと分かっている霖之助は落ち着いたところで、霊夢のほうに振り向いて礼を言う。
「無理だよ霊夢。気持ちはありがたいが、さっき君が言ったじゃないか、歩くのと同様だと。だったら、地面に足が付いた状態で僕を持ち上げる位にならないと僕は浮ばないよ」
「…それもそうね。……じゃあちょっと挑戦させて」
しゅんと肩を落とした霊夢は、静かに霖之助に向き合って抱きしめた。
強く、力をこめて抱きしめた霊夢はすぐに力を込めることを止めて、優しく、やわらかく腕の力を抜く。
いくら霊夢が異変解決を手がける巫女でも、男を軽々と持ち上げることは不可能に近い。
それは一度目の挑戦で分かっていたことで、霊夢はもう霖之助に苦しい思いをさせないことにしたのだ。
その意図が通じたのか、霖之助は霊夢の頭を撫でる。
「ありがとう霊夢」
撫でる優しい手。
温かく大きな体。
自分とは違う『男の人』の香りに霊夢は眩暈さえする。
目をつぶってこの時間を味わっていたいと思ったが、急に気恥ずかしさを覚えて腕に力込めながらウソをつく。
「別に霖之助さんのためにやったんじゃなくて自分の力試しでやってみただけよ」
「じゃあそろそろ離れてくれないか?」
「……うん」
いつまでもくっ付いていい年齢ではないことは分かっていたし、抱き合う関係柄でもない。そんなこと重々承知のことだったが、ウソをつかずに正直にこのままでいたいと言っていれば何か変わっていたかもしれない。関係が変わるとは断言できないが、霊夢は心の中にもやもやと生まれた感情を抑えながら、名残惜しそうに霖之助の胸から離れた。
***
「飛んでいる感覚ね…自由に飛べるものだから考えたことなかったわ」
あれから2人は気まずい雰囲気を作り出すこともなく、霖之助が出したお茶をすすって談笑しただけだった。
そして、思い出すように霊夢は宙に浮いて、考え込んだ。
考え込む際、腕を組んで逆さになりながら浮遊する。
もちろんスカートは足を曲げてドロワーズも見えないようにすることも忘れない。
「へぇ逆さにまでできるのか」
重力無視もいいとこだ。と要らぬ台詞も付け加えた霖之助に霊夢はさも当たり前のことのように言う。
「こんなこと朝飯前よ。そこらの妖怪なんて宙返りしながら飛ぶこともできるし、くるくる回転しながら飛んでたり…。そうそう、酒を一滴もこぼさないようにするとか言っていた妖怪もいたわね」
「へぇ、なんでもできるもんなんだね」
全く面倒よね。と偏屈な妖怪に霊夢は悪態をつくが、霖之助は深く考えこんだ。
ながら作業とはよく言うが、飛ぶ+弾幕+αの行動を一度にこなすというのはかなり高度な技術が要することだろう。
実際自分は弾幕勝負と言うのをやったことも、ましては飛んだこともないが、少し経験してみたいとも思った。
鍛えてみるのも悪くないかもしれないと思った矢先。
「霖之助さん」
「え…なんだ、い?」
突如呼ばれたことに驚いたこともあったが、視界が真っ赤になったことも驚いた。
しかし、視界は真っ赤に対し、逆さになった霊夢の顔がいやに近い。
否、近いと思った瞬間。赤の世界の中にいた逆さの霊夢は霖之助の頬を両手で包み、そのまま唇を合わせた。
今度の霖之助の視界は今日霊夢が付けていたリボンの色に染まった。
そういえばこの青いリボンは自分が選んだものだった。
そんなことをぼんやり思っていると、唇は離れ、赤い世界もなくなった。
赤い世界は霊夢のスカートの色だと気付いたときには、霊夢はドアノブに手をかけて出て行くところだった。
片手には、この店一番の茶葉の袋が握られていた。
「空を飛べる便利なこと見つけたわ。こんなことも出来るの。覚えておいたら便利なんじゃない?」
じゃあ、このお茶貰っていくわね。と夕焼けの赤い光が溢れる外へと出て行く霊夢が、どんな顔をしていたかは霖之助には分からなかった。
ただ唇を押さえて呟いた。
「やられた」