香霖堂に異変が起き始めたのは、数日前からだった。
初めは小さな異変だった。
店の商品がひとりでに壊れたのだ。霖之助は管理が悪かったのだろうかと首を傾けるがぞんざいに扱った覚えは全くなかった。
さらにいつも使っていた茶碗が割れ、不吉だと思う前に箸が折れ、次の日新しくおろした茶碗までも使う前に割れてしまった。また、商品の棚が地震が起きたかのように倒れたのだ。ほとんどの商品は使い物にならなくなり、被害額は考えたくないほどであった。またあるとき、寝苦しさから起きると、どこからともなく少女の泣き声がするのだ。
声を追うと、店の裏でうずくまりシクシクと泣く少女が一人。周りに黒いモヤがかかり人間ではないことが分かる。
幽霊ではないことは分かる。幽霊はもっと気温を下げるからだ。
おそらく妖怪の類だろうと踏んで声をかけることにした。
「なぜ泣いているんだい?」
「なっ泣いてなんかいないわ!」
少女は流れた涙を乱暴に拭い、カッと目を見開いて否定する。
しかし、真っ赤に腫れた目は誰がどう見ても泣いていたことが見受けられるだろう。
「でも泣いているじゃないか」
少女は開き直ったかのような台詞を吐きながら、そっぽを向いてしまった。
「泣いてちゃ悪い?」
「別に悪くはないが…ここで泣くのはよしてくれ」
泣き声は黒い腕となって霖之助を押さえつけて寝苦しさを一層酷くさせるように感じるのだ。
まるでこの少女が悪夢を呼んでいるかのように。
少女はワナワナと振るえ出し、大いに泣き出した。
「み…みんなして私をのけ者にして…!!やっぱり私は邪魔者なのね!うわぁあん」
「んな…」
ポロポロと涙を流す少女に霖之助はただ頭を抱え悩むだけだった。
話しかけても泣き続ける少女に付き合いきれなくなってきた霖之助は、とりあえず少女にもらい物の饅頭を与えてみる。
お腹を空かしているから泣くのが止まないのだろうという安直な考えのもと、やはりと言うべきか少女には効き目はなく、その日も少女のすすり泣く声に悩まされることに。さらに、その日からと言うもの寝苦しさは金縛りとなって更に眠れる状況を作れなくなった。
* * *
霖之助は店の裏で膝を抱える少女に詰め寄った。
「君が店裏に住み着いてから何かと運が悪い」
欠伸をしたところカクンと音を立ててあごが痛くなった。
これもこの少女のせいだろうか。そう思っているとふて腐れた顔の少女がこちらを向いた。
「そりゃそうよ。私が厄を見張るのをサボっているからね」
「どうして…」
役目を果たすことが仕事ならばこの少女は今何もしていないに等しい。
それだけならまだしも、なぜ香霖堂に居座るのかが分からなかった。
膝を抱えて座り込む少女はポツポツと愚痴りはじめる。
「最近思うのよね…私は厄を集めるから私の周りには友達が居ないの…長年そのことに気付かないで…!!私どうかしてたわ!」
妖怪の“長年”だったらとてつもなく長い間だったのだろう。
その間気が付けなかったのならそれはこの少女の頭が弱いことの証ということになる。
「確かに…」
霖之助は自分の思ったとおりのことを言うが、それは少女にとっては地雷だった。
「ムッカー!だってしょうがないじゃない!私は流し雛の長なのよ!?長は誰しも孤独になるものだもの!厄は黒く暗く私の周りにまとわり付いて同じ種族でさえ私を避ける!!この厄が憎いと思ってはいけないのが長ならば、長は一体どうやって仲間を作れというのよ?!」
長は孤独になる。これにはちゃんと理由があると霖之助は考える。
頂点に立つものは横に並ぶものがいない。ピラミッドの頂には一人しか立てないときが多い。頂に立つものがいるのは土台としての部下がいるからとも言え、この少女がこうやって自分の使命をしない間にも部下は自分の行く末が見えなくなるのだ。行く先は頂点にいるものしか見えないのだから。
はて、厄を集める妖怪はいただろうか。
そんなことを思いながら、今はこの少女をここから追い出す方法を考えていた。
霖之助はポケットから先日納入したものを思い出す。
最近の災難によって使い物になっていないか心配したが、どうやら使用できることがわかった。
「だったら君は明るい黒になればいいさ」
「へぁ?」
少女の集める“厄”が黒く暗く身にまとわり付くのなら、その黒いモヤも考えようには明々と輝くものになるはずである。
「ここに絵の具という外の着色顔料がある。黒色のインクがあるが、じつはこの黒は自ら作り出すことが出来るんだ」
「??」
突然説明をし始める霖之助に意味が分からないという顔をするが、少女は自分が分かるまで黙って聞いてみることにした。
霖之助は12色あるうちの絵の具から少女の髪の毛の色と、少女の服装と同じ色の絵の具を取り出して少女の目の前に持ってくる。
「たとえば…この赤、緑」
「私の色ね」
霖之助は適当な皿にその2色の絵の具を筆で混ぜる。
「この2色を混ぜれば」
「黒だわ」
赤と緑は混ざり合い、茶黒くなったと思えば、すべて混ぜ終わるころには真っ黒な絵の具が完成していた。
そして作ったその絵の具を紙に塗りつける。真っ白な紙はあっという間に黒い紙に変わってしまった。
「もともとあった黒と比べてみよう」
今度は違う皿に元々あった黒色の絵の具を出して、同じようにまた黒く紙を塗りたくった。
少女の目の前に2枚の紙を持って行き、何か分かることはないかい?と聞いてみる。
「何ってただの黒い紙が2枚あるだけじゃない」
と文句を言いながら、少女は目をこらして2枚の紙を見比べると、ふと違いを見つけた。
「! 元々あった黒の方が黒く見える!」
「赤と緑色の黒はこっちに比べて色が明るいだろう?」
「ええ」
黒色で明るいとは不思議な表現だが、色と言うものには様々な種類が存在している。
特に“黒”という色は様々な異なる色を混ぜ合わせて作るもの。
霊夢に言わせてみれば毎日同じ日がないように同じ色など存在しないと言っても過言ではないだろうと霖之助は考える。
「君はこれなんだよ。黒は黒でも明るい黒。ただの黒とは大違いだ。このことを思えば気分も明るくならないかい?」
少女は黒い紙をジッと見つめ、まるで自分を見ているような錯覚を覚えた。
仄暗い自分よりも、もっと暖かな黒が自分にそうあるのなら、きっと仲間も…友達も出来るような気がして…。
友達に囲まれる自分を想像し頬をほころばせるが、霖之助にその顔を見られているのがわかるとそっぽを向いてなげやりに言い放つ。
「…なんだか子供だましね」
「ばれたか」
霖之助は隠す気もないように即答した。
その答えに少女は顔を赤くして憤怒する。
ただの気の持ちようなのだと言い聞かすための絵の具だったので少女が期待するような答えを霖之助は用意していなかったのだ。
「! まぁ!私を騙そうと思ったの?!酷いヒトだわ!」
黒いモヤは少女の周りに集まり霖之助を威嚇するように大きく濃くなっていった。
顔までもよく見えなくなってしまうくらいのモヤに、さすがの霖之助も少女が怒っているのだと気付く。
そして笑いながら、冗談を言うようにこう言った。
「まぁまぁ。そうゆうことも水に流すということなんだろう?」
確かに流し雛は、罪やけがれを移して形代(かたしろ)を流すことである。
「誰がうまいこと言えと言ったのよ…」
と呟きながら少女は不思議と気分が軽くなっていることに気が付いた。
「貴方…名前は?」
「これは失礼まだ言ってなかったね。森近霖之助。香霖堂店主さ」
「…私鍵山 雛。厄神様よ」
「は?!神様…?!」
霖之助は酷く驚いた。
妖怪だと思っていた少女は崇高なる神だったのだ。
自分の勘違いに後悔しながら、どのように対処するべきか頭で考えた。
神であるなら、それなりの対応が必要になる。たたえるべきか、拝むべきか。霖之助は頭を回転させて善処できる術を思い浮ばせる。
そんな霖之助の態度に軽く息を吐くと、雛はスカートの汚れをはたき出て行く支度をした。
「…いいでしょう。ここから退きましょう」
霖之助は考えたが、答えは簡単なものしか出てこなかった。
「またおいで」
雛は頭の弱い者を見るような目で霖之助を見て言う。
「…来たらまた不幸になるわよ?」
「ここは店だからね。客は選べないよ。君が来たければいつでもくるといい。そのうちここで友達も作れるかも知れないからね」
ここは魔法の森の入り口に構える古道具屋。
人間、妖怪、妖精、ありとあらゆる客に平等に存在する店。
ならば、神であろうと関係はない。お客様は神。そのまんまになっただけなのだから。
「…まぁ、そんなに来てほしいのだったら来てあげてもいいわ。ただし、次は饅頭だけじゃなくてお茶とかお煎餅とかも付けなさい。お供物にしてはこの間のは粗末過ぎるわ」
霖之助は善処しようと言うが、雛はまぁ大したものは出ないわね。と予想していた。
霖之助は店での態度ではない、優しげな表情で言う。
「またいらっしゃい」
雛は当たり前よと言いながら、ニコリと笑って香霖堂を後にした。
彼女の去った香霖堂は厄という厄がすべて吸い取られ、過ごしやすい店になったとか。
<2009,2,26 加筆修正>