《飛んで火に入るは夏の何?》


 外は太陽の日差しが眩しく、蝉の鳴き声が一層暑さを感じさせる。
 夏の暑い日には家で大人しく本を読むのが一番だと、青年は思っていた。

「おや、本の虫」

 香霖堂店主森近霖之助や紅魔館にそびえる図書館に住むパチュリー・ノーレッジのような人物をまれにそう呼ぶが、霖之助の読む本に這う虫。これは本物の本の虫である。
 霖之助はやれやれと思いながら、この本を最後に読んだときを思い出す。あれはたしかいつものように霊夢と魔理沙が来たときだった。
 つい霊夢と話に夢中になり、退屈しのぎに魔理沙は一人店の隅で本を読んでいた。
 そうだ、この本は魔理沙が読んだ後だった。あらかた煎餅のカスが付いた手でこの本を触ったのだろう。そんなことを思いながら、それでは虫に居座られることも無理は無いと納得した。
 自分の本の管理が行き届いていないせいもあるが霖之助は自分の落ち度のことは触れなかった。
 このままこの本の虫を徘徊させていては、紙を食われ、本が傷んでしまうが、今は虫よりも話の内容の方が気になってしょうがなかったゆえに虫のいるページをめくる。

ぷちり

 そんな音が聞こえたような気がするが、今度殺虫剤を本にばら撒こうと思っただけで、その音は聞かなかったことにした。

「あーーーーーー!!!!!」

 突然の大きな声に体が揺れた。
 声のする方に視線を移すと店の扉は開け放たれ、一人の少女が立っている。

「いらしゃ…いっ?!」

 お客様かと思い、あいさつをするがその前に少女は霖之助の前にズカズカと進み説教をし始めた。

「君!!なんてことしくさるんだ!!」
「君は…?」

 どうやら客ではないらしい。否、客だったのかもしれないが、今は説教をしに来ただけに思えた。
 霖之助は考えた。何をしたと聞かれても、何もした覚えは無い。さっきまで本を読むことに集中していたくらいなのだ。
 すると、自己紹介が遅れたことに気付いた少女は、胸を張って自分の名前を言ったと思ったら、人差し指を霖之助に突き刺しながらこう言った。

「私は虫の女王リグル・ナイトバグ!!君は今やってはいけないことをしたね!!」
「え?」

 まさか本を読んでいることがリグルの言うやってはいけないことなのかと思い、ならばこれからの暇つぶしを何で補うべきなのか迷った。棚にはまだ読んでいない本、読んでいる途中の本もある。さすがにそれだけは勘弁だと思った霖之助は早々にこの虫の女王とやらを追い出そうと決めかけた。
 すると、リグルは霖之助が犯した罪を教えてくれた。

「とぼけても無駄だよ!私は聞いたんだ!その本から聞こえたんだ!死の断末魔が!ああ!可愛そうなシバンムシ…!」

 どうやら先ほどの本の虫と関係があるそうだ。さすが虫の女王だと思ったが、その前に本の虫の正式名称に気を取られる。

「へー、シバンムシっていうんだね、この虫」
「この子が今天に召された今!私は君へ復讐を…はっ!」

 リグルは戦闘モードとなって霖之助を痛めつけようとしたが、虫が知らせたのか、ハッとなって店の奥へ隠れてしまった。
 何が起きたのか分からない霖之助は勘定台の下に隠れたリグルを不信に思ったが、客の気配がしたためリグルに構うことをやめる。

カランカランッ

 乱暴に開けられた扉はよく知った巫女によって開けられた。
 暑かったのだろう、巫女および博麗霊夢は額に汗を流しながら店の中に入ってくる。

「霖之助さん、ちょっといい?」
「なんだ、客だと思ったら霊夢か。なんだいそんなに慌てて」
「失礼な言い方ね。こっちは急ぎなの。リグル来なかった?ちょっと夏服出したら虫に食われちゃってて!ムカついちゃってちょっと痛い目に合わそうと思うの」

 勘定台の下にいるだろう虫の女王がビクリと揺れた気配がした。

「そんな物騒なこと言わない。服なら僕が直すから、その子のことは考え直してくれないか?」

 リグルを不憫に思い、とりあえず霊夢の機嫌を直そうと試みるも、霊夢は霖之助をいぶかしむ。

「…なんで霖之助さんリグルの肩持つのよ」

 肩を持ったつもりはない。ただ、このままリグルが夢想封印の餌食になるのが不憫に思っただけである。

「肩なんて持ってないよ。ただ、彼女が服を食ったわけじゃないのに痛い目に合わせるなんてなんだか理不尽だと思ってね」
「ふーん…まぁ私もこの暑さのせいでイライラしていたのもあるわ。いいわ、霖之助さんに夏服食われたやつぜーんぶ直してもらうから」
「…お手柔らかに…」

 疑われたが、ターゲットが店内にいることはバレなかったようだ。
 霊夢は、赤いスカートをひるがえしながら店から出て行った。
 目的地は虫食い巫女服のある博麗神社か、それとも捜し求める虫の女王の居場所か。
 霖之助には検討がつかなかったが、勘定台の下で丸くなる女王を覗き込んで呆れるような視線を送る。

「…」

 リグルは霖之助に顔を合わさず、黙ったまま動かない。
 霊夢から逃げてきたからこの場所にいることを察すると、出て行くように促そうとした。
 厄介ごとに巻き込まれるくらいなら、今いる少女を心無く追い出す方が霖之助には賢明なのだろう。

「リグル…」
「私のせいじゃないもんっ」

 しかし、ワケを聞かれるだろうと思ったのだろう、吐き捨てるように放つ言葉にますます霖之助は呆れるだけだった。

「はっ!!ま、また!!」

 そのうちまた知らせがきたのかハッとなって勘定台の座布団を頭にかぶった。

バタン!

 先ほどよりも乱暴に開けられた扉には、やはり見知った魔法使いが立っていた。

「香霖!!!」
「なんだい魔理沙騒々しい」

 霊夢と同じように額に汗を流している。
 ズカズカと店に入ると、いつもの壷の上に座らず、立ったまま自分の帽子をうちわ代わりに扇いでいた。
 どうやらすぐに出て行くつもりらしい。

「騒々しくもなるぜ!香霖はリグル見てないか?」

 またか、と思う前に魔理沙の表情に気を取られた。
 表情自体はいつもの顔なのだが、目だけが憤怒しているのだ。
 そして先ほども聞いた名前が挙がるということは、何かよからぬことだろうと予想できる。

「…リグルというと虫の妖怪の子かい?」

 そうだ、と肯定の言葉を発すると、リグルを探しているワケを魔理沙は話した。

「今日カナブンが私の髪の中に入ったんだ。あー!思い出すだけでおぞましいぜ!!」

 首をかきむしる真似をして、いとわしい様子を表す。
 霖之助は髪の中に虫が入ることは確かに不快な気分になるだろうと魔理沙に同情したが、気になったことを聞いてみた。

「で、そのリグルに会ったらどうするんだい」
「なに、ちょっとマスパの実験に付き合ってもらうだけだぜ」

 彼女の中では決定案なのだろう、その表情は晴れ晴れとしていて、丸めた手の親指だけが天へ向いていた。
 しかし、マスタースパークが放たれるミニ八卦炉を作った人にとっては納得がいかない。

「マスタースパークの威力はもう実証済みのはずだ。そうだろう?」

 今度は人差し指を天に向け、チッチッチと指を揺らす。

「香霖。実験なんて建前だ。わかってるだろ?」
「なお悪いと言っているんだ。ほら、その子はここにはいないのだから他を当たってくれ」

 霖之助は猫を追い出すかの様にひらひらと手を振って魔理沙を追い出そうとする。

「ちぇっ!なんだよ香霖は分からず屋だな!」
「分からず屋で結構」
「ふーんだ!マスパぶっ飛ばすのは止めないかんな!」
「はいはい」

 魔理沙はアッカンベーをして店から出て行った。


 勘定台を覗くと座布団を頭に乗せた女王はガクガクと体を震わせていた。
 顔は蒼白。目を見開いて夢まぼろしでは無いことを認識している。
 霖之助は非常に申し訳ないと思いながらこう言った。

「えっと…見つからないようにね?」

 パクパクと口を開きながら、信じられないと言った表情を霖之助に向ける。

「はっ薄情者!!匿ってよ!匿うよ普通!」

 霖之助は別段ずれてもいない眼鏡を直し、リグルに視線を合わせないようにする。

「悪いが普通という感性は持ち合わせていないんだ」
「鬼ーーー!!はっ!!」
「またかい?」

 またも知らせが届いたのか、勘定台の座布団を今度は丸くなった自分の身を守るように被せた。

カランカラン…

 開いた扉には、お得意先の瀟洒なメイドが立っていた。

「ちょっと失礼しますわ」
「これはこれはメイド長ではありませんか。今日は何をお買い求めでしょう?」

 久々の客とは人聞き悪いが、お得意様が来るのは喜ばしいことだ。
 霖之助は上機嫌となって商いをする。
 しかし、メイド長は控えめに微笑むと、すまなさそうに言う。

「申し訳ありませんが今日は買い物ではございませんの」
「ほう」

 ここでふと思い出した。
 リグルが勘定台の下で丸くなるときというのは、自分自身が捜索されるときなのだと。そしてそれは的中する。

「リグル・ナイトバグという虫の妖怪を見ませんでしたか?」
「…どうかしたのかい?」

 いるとは言えず、とりあえずワケを聞いてみることにした。

「蝉が…お嬢様の顔を汚したんです」

 メイド長および十六夜咲夜は控えめかつ内輪に話す。

「汚す、といいますと」

 霖之助は咲夜の妙な雰囲気を変に思ったが、蝉があの悪魔をどうやって汚したのか気になった。
 そのうちギリギリと何か千切れそうな音がすると思ったら、それは目の前のメイドの歯軋りとコブシを握る音だったので、分かった霖之助は、咲夜から一歩離れた。

「尿を…お嬢様の…お嬢様のお顔に…!!!」
「そ、そうなのか…申し訳ないがその子には会っていないな」

 霊夢や魔理沙のように何かするということは聞かなかったが、間違いなく“何か”やられると予想できた。

「そうですか…では、会ったならどうにかして紅魔館へ行かせてくださいな」
「ま、まぁ会ったらね」

 何事もなかったかのように話すメイドに霖之助は力なく返事するくらいしか出来なかった。


 霖之助は香霖堂の扉をそっと開け、外の様子を伺う。
 幸い気配を感じないことから、ホッと胸をなでおろし、勘定台のリグルに声をかける。

「なんとかいなくなったが…リグル?」

 勘定台の下からしゃくり泣く声が聞こえたのだ。

「ぅっ…」
「泣いているのかい?」

 霖之助はそっと背中をなでてやると、出来るだけ優しげに言ってやった。
 リグルは涙を目いっぱいに溜めた瞳を霖之助に向けて吐き捨てるように言う。

「皆して私のせいにして!!私も虫たちも悪くないもん!みんなみんなその人自身のせいなんだから!!」
「え」
「皆が教えてくれたんだ!
霊夢の服についた虫は霊夢の服の管理が悪いからだし、魔理沙ってばカナブンに糸つけて遊んでたから抵抗して髪の毛に入ったに過ぎないし、咲夜は蝉を追っ払おうとしたから腹いせにおしっこかけただけだもん!なにようるさいからって追っ払おうとして!
今を一生懸命生きているだけなのに!!あなたの本の虫だってそう!管理をしっかりしておけば虫はそこに居座らないし本を食べないもん!
だいたい嫌がる人間はどんな神経してるかわからないよ!虫見ただけで「きゃあ」って!あなたより虫たちの方が怖がってるに決まってんでしょ!
虫の寿命は妖怪よりも…人間よりも短いのはみんな知ってることなのに…なのに…なのにぃ…!!」

 叫ぶように言った言葉は最後には小さく消えてしまった。
 霖之助は蛍二十日に蝉三日ということわざを思い出していた。盛りの短いことの例えであるが、蛍なのに短い命を持たない少女が目の前にいる。
 この少女は妖怪であることから永い間生きてきただろう。しかし、彼女の仲間である虫は永くない。むしろ彼女にとっては流れる光のように短い命なのだろう。
 どれだけ多くの仲間の最期を見ただろう。どれだけ多くの仲間を看取ってきたのだろう。
 霖之助は自分に置き換え、友人となった人間が老いていくのを思い出した。

「悪かったね…」

 気付くとそう呟いていた。

「あなたに謝られても…!!」

 霖之助一人が謝ったところで何も変わらないだろう。しかし、シバンムシのことはもちろん、巫女や魔法使い、メイドの行ったことについても謝りたくなった。
 すまない気持ちを表そうと、泣きそうなリグルの頭をなでてやった。

「ああ、でもすまない」
「う…うわぁあ!」

 ついに涙腺は決壊し、リグルは霖之助の胸に飛びついて泣きじゃくった。

 そして気付かなかった。

 つい…ついリグルの話に夢中になっていたのだろう。背後の気配に霖之助はもちろんリグルまでも気付いていなかったのである。

「霖之助さん…」
「香霖…」
「店主さん…」

 それぞれの声がすると思ったところでもう遅い。
 霊夢、魔理沙、咲夜の三人が揃いも揃って香霖堂へ来店していたのだ。

「!! これはこれはお揃いで…とりあえず話を…」

 驚きを隠せない霖之助は、顔面蒼白となっているリグルを背中にかばい、まぁまぁと機嫌を直すように促す。
 しかし、三人には霖之助なんて見ていなかった。霖之助が透けているかのようにリグルにしか視線はいかなかったのだ。

「結構よ。それよりその娘…渡してくれないかしら…」
「おっと咲夜それはこっちの台詞だぜ…?」
「この際みんな一緒にでもいいんじゃない?」

 霊夢の言葉で霖之助の顔まで蒼白となる。このままみんな一緒ということで予想されることは二つ。
 リグルの重傷と、そして…。

「いや!待て待て!虫にも事情って言うのが…」
「問答…無用!!」

 香霖堂から眩い光が放たれた。
 その際叫び声が二つ聞こえたらしい。
 予想されること。リグルの重傷、道具屋香霖堂の焼け跡と店主森近霖之助の重傷の三つに増えたということに気付いたものは霖之助一人だったそうだ。