《オンザ眉毛》


カランカラン

「いらっしゃ…い?」

 扉が開いたと思ったらそこには店の隅に縮こまる猫がいた。
 猫…および少女には珍らしく挨拶もしないで三角座りで。
 なんとなく少女の雰囲気が違うと思ったが、それはふくれっ面をしているからだと判断するが、どうも様子がおかしい。

「…」

 ぶっすー
 あまりに頬を膨らましているものだから魔理沙あたりその頬を突いて遊んでいそうだと思ったが、彼女らしくないのが少々気になったので声をかけてみた。

「橙…どうかしたのかい」

 声をかけたことにイラついているのか、それともすぐにでも声をかけなかったからイラついているのか、はたまたまた別の理由だったのかは分からないが、キッと僕を睨んだ後に俯いてゆっくりと事の発端を喋ってくれた。

「藍様が…」
「藍さまが」
「まえ…がみを」
「前髪を」
「き、切りすぎちゃ…うぇ」
「ああ、その前髪か」

 さっきの雰囲気の違和感はこれかと思いもう一度よく橙の前髪を観察する。
 確かにいつもより短い。
 だが僕が男のせいなのかあまり気にはならない。

「ぅぇ…」
「あー泣かないでくれ」

 泣きそうだ、むしろもう泣くだろう。あまりこの子に泣かれるのは控えたいが、僕にどうしろというんだ。

「もう外歩けなぁい!!うわぁぁああん」
「うわぁ…」

 とりあえず、彼女の主に怒られことを覚悟することにしよう。



 ようやく泣き止んだ橙に話を聞くと藍に前髪を切ってもらっている最中に、藍はくしゃみをしてザックリと切ってしまったらしい。
 さすがに藍も慌ててそのザックリ切ってしまった短い髪に合わせて前髪を揃えていった結果、眉毛よりも上の位置の、いつもより短い前髪が出来上がったらしい。
 ちなみにそのとき橙は寝こけていたらしく、気付いたのは目が覚めてからだったそうな。
 そのとき自分の主に暴言を吐いたらしいが、詳しい内容までは触れないようにした。
 とりあえず励ましてみる。

「その髪でも十分似合っているじゃないか」
「んーん…変だよぉ」
「髪なんてすぐ伸びるじゃないか」

ムカッ!!

 当たり前のことなのだがこの言葉はタブーだったようだ。彼女は立ち上がり今にも掴み掛ってきそうな形相で怒鳴る。

「伸びるっていつなの?!店主さんは髪の毛がすぐ生える道具を持ってるの?!だったら…だったらちょうだいよぉ!今すぐ伸ばしたいのぉ!」

 またも泣き叫ぶ橙にうんざりしながら、店の商品を思い出す。
 ないこともないがあれは即効性がない。
 自ら試してみたがあれは髪が伸びるのではなく、髪を生やす薬だ。
 やれやれ、こんな小さな子でも乙女心というのを持っているらしい。

「友達にそんな髪を見せたくないのかい」

コクリ

「藍にも会いたくないと」

コクリ

「なら簡単だ、どこぞのお姫様のように引きこもればいい話じゃないか」
「でも…そんな場所なんて」
「ここにいたらいいんじゃないか?」
「…いいの?」
「…そんなに人が来るわけでもないし、静かにしていれば僕はかまわないよ。ただ僕は君と遊ばないがね」

 一見、明るい顔を見せた橙だったが、最後の僕の言葉に表情は一変した。

「ぇ…」
「さて、僕は仕事があるから」
「…」

 店に取り残された橙は僕の背中を見ているだけだった。


* * *


 このとき橙は考えた。引きこもるというのはいったい何をすればいいのだろうと。
 引きこもるとは家の手伝いもしてはいけないことなのだろうか。
 そうなると必然的に暇になる。
 遊んでくれない店主。遊ぶ友達も来ない。
 それでいいはずだ。それを望んだはずだ。
 でも、暇なのだ。
 暇すぎてそのうち頭からきのこが生えるかと思った。
 店主は注文があったのか針仕事をしている。
 主に暴言を吐いたことに激しい後悔が襲う。
 こんなことなら笑われるのを承知で皆と遊びに行けばよかった。
 そう思ったら止まらなくなる。
 どうにかここから出ようとするが、自分から引きこもるといっておいて早々に立ち退こうにも、今度は店主が気になる。

『もう出て行くのか、自分で決めたのに』

 そんなことを言われたらどうしようかと、自分の意思の弱さを恥じる。
 考えに考えた末、橙は出て行くことを決めた。
 もう友達からは笑われるのは必至、ならばここで笑われてももう関係はないはずだからだ。


* * *


「店主さん…」
「ん?」
「帰る」
「そうかい」

 そろそろそう言うと思っていた。

「藍様にも…謝る…し、友達と…遊ぶ」
「そうか…じゃあこれはいらないかな」

 橙の頭にあるものをかぶせてやる。

「うにゃっ…?なにこれ、耳があったかい」
「君の耳の位置だとこれで前髪は見えなくなるけど」

 手鏡を出して橙にみせる。
 橙の頭にどこぞの妖怪の帽子に似せた帽子をかぶらせたのだ。
 すっぽりと頭を包み、前髪も見えないようにしたつくり。ピアスのために耳に余裕を持たせることも忘れない。色はもちろん緑色。

「うわぁ!藍様の帽子みたい!」

 さすがその式だ。時間がなかったため藍のようにフリルをつけることは出来なかったが、なかなかの出来ではないかと自画自賛をする。

「前髪が気にならなくなったならもういらないね」
「いる!」

 ひらりと僕の手から帽子を奪うと帽子をギュッと抱きしめる。

「そうかい?」

 嬉々として答える彼女にこちらまでうれしくなる。
 満面の笑みを浮かべて橙は香霖堂の扉を開く。

「えへへありがとう店主さん」
「ああ、気をつけてお帰り」

 橙は店が見えなくなるまで後ろを振り向きながら手を振って帰っていった。
 そのおかげで僕は橙が見えなくなるまで見送りをしなくてはならなくなったが、鬱陶しいとは微塵も思わなかった。
 道具屋名利に尽きるいい仕事をした。やはり客(今回のは無償だが)が喜ぶところを見るのは喜ばしいことである。
 ここで背中の視線もとい死線がなければいい話で終わったんだが…。


* * *


 その日の夜。
 藍は橙にどう声をかけていいか迷っていた。
 橙には自分のせいだと言ったものの、実は前髪を切りすぎたのは理由があった。

 マヨヒガの庭で散髪をしていたのだが、暖かな気候で橙は眠ってしまった。
 そして橙の小さなくしゃみと、はさみの切れる音は同時。
 つまり、前髪を切りすぎたのは藍のせいだけではないのだ。

 橙には自分のせいだと言ったものの、そのあとの暴言は中々のダメージになり、その後の家事に差し支えがあったほど。
 橙にどう言って仲直りをしようかと悩んでいると、橙は何事もなく帰ってきた。
 香霖堂店主から貰ったという帽子を被りながら。

 香霖堂店主が嫌だとは言わない。言わないが、寂しいような、悲しいような、嫁を寝取られた夫の心境のような気持ちに藍は悩んでいた。

「…橙、寝るときは帽子を脱いだらどうだ」
「いいえ藍様。これとってもあったかいんですよ」
「そ、そうなのか」

 なんとなく釈然としない藍を他所に、橙は照れながら言う。

「だって藍様とおそろいなんですもの!」
「橙…!」

 ギュッと抱きしめたのは言うまでもない。

 

<2009,2,26 加筆修正>