「ウドンゲ!!蔵にある赤い箱の中に入った薬あるだけ持ってきて!!」
「はい!ただ今!!」
今、永遠亭はかなり忙しい。なぜなら人里で流行り病が起こり、里の薬屋は病人が殺到する毎日だからだ。
永琳は人里に下りない。その代わり人里の薬屋に不足した薬を調合するのに力を注いでいた。
材料はある。しかし調合に時間がかかる上、完成した薬の量は極わずかと言うかなり厄介な薬。
そのため、永琳だけではなくその弟子やウサギたちも多忙な日々をここ3日間は続けていた。
「この薬草潰して!」
「はい!」
「このビン消毒お願い」
「はいぃ!」
「薬草を山から採ってきてちょうだい!」
「はっはい…っ」
「いけない!香霖堂に注文してた薬草があったんだったわ!ウドンゲ!買いに行ってきて!」
「ハァハァ…はいぃ…」
* * *
「いくらなんでも忙しすぎ・・・」
香霖堂へのお使いのため外に出た鈴仙は肩を落としながらつぶやく。
次々と飛び交う命令に彼女は疲労困憊であった。
「よぉう鈴仙。師匠のことなんてサボっちゃわね?」
「てゐ!どこ行ってたのよ!こんな忙しい時に!」
竹林からひょっこりでてきた因幡てゐに鈴仙は激怒した。
しかし、当のてゐはハンカチを手に、よよよと泣き出したのだ。
「いえいえ実は人間の里に薬の配達に行っててさ…そこで私ったら人間の目にかかりアレよアレよという間に兎鍋にされそうになったんだよ。もちろん性的な意味で…」
「えぇ?!大丈夫だったの?!」
「ええまぁ…命からがら逃げてきたんだよ」
「良かったぁ…って待ってよ!薬の配達は兎たちにさせてるのに!なんでてゐがやってんのよ」
薬の手配は妖怪兎にさせているため、竹林の道案内役であるてゐがするはず無いのだ。
驚いたりホッとしたり怒ったり…。まるで百面相な様子の鈴仙を見ててゐは満足したのか、隠す様子もなく真実を明かした、
「だって嘘だし」
「なんだぁ…ちょっと心配しちゃったし」
ホッと胸をなでおろした鈴仙にてゐはニッコリと笑う。
「じゃ、遊ぼうぜ」
「ソレとコレとは話が違うでしょ」
「ッチ」
はっきりと言い放った鈴仙にてゐは舌打ちをした。
「とにかく!今人里で大変な流行り病が起こってんだから!それを見殺しにはできないでしょ!てゐも嘘ついて遊んでる暇があったらちょっとは手伝ってよね」
「はぁい…」
「じゃあ、私香霖堂にお使いがあるから行くね」
「んー」
力なく返事をし、こっちを見ずに走り去ってゆく鈴仙に片手をふって見送ったてゐだったが、その顔はニヤリと何かをたくらんでいる顔だった。
* * *
「ちょっと遅くなっちゃった…」
あと少しで香霖堂のところで、太陽が傾いているところを見て鈴仙は不安になった。
ここのところ永遠亭は本当に忙しく、倒れる兎も少なくない。
そんな状況で、自分の師匠は周りの誰よりも働きまわっているのだ。
いくら死なない体を持っていても、額に汗を流す姿を見て、疲れていないのかと心配しないわけがない。
自分は早く戻って、薬の調合を手伝わなければ・・・と、思っていたときだった。
「おぉーい! れいせーん!!」
「え? てゐ。どうしたの?」
後ろから先刻会話したばかりのてゐが追いかけてきたのだ。
てゐはやっと追いついた、とつぶやき、息を整えながらスカートの中から紙袋を取り出した。
「師匠から」
「? お師匠様から? なんだろ」
鈴仙はゴソゴソと袋を開けて、中を覗こうとした。そのとき。
「嘘だけどね」
てゐがつぶやいたが、遅かった。
「え? きゃっ…!!」
べちゃっと顔に向かって緑色の液体がとんできた。
緑色の液体の他に、緑に染まった毛玉も跳んできた。おそらくこの毛玉を使って顔に飛び出すように仕掛けを作ったのだろう。
緑色の液体は顔のほかにもブラウスやスカートにもシミを作っている。
「何コレ…ぅわぁ草くさっ…!」
「てゐ様お手製新薬さ!これをかぶれば素肌トゥルトゥル!化粧のりが良くなったと小山のうさ様のお墨付き!」
「ちょっ…! こんなんじゃお店行けないじゃない!!」
「行かなくていいんじゃねぇ?」
「んもぉ!!てゐの馬鹿!!」
「馬じゃなぁい鹿でもなぁい兎だもぉん」
さすがの鈴仙も怒っている。
しかし、てゐには、ぬかに釘、のれんに腕押し。反省の色もなくへらへらと笑って過ごしている。
「急がないと師匠が…いいわ!このままで行ってくるから!!」
「おややぁ…」
一度永遠亭に戻り服を着替えてきてからでは、永琳に多大な迷惑を与えてしまう。
自分が居ない間、永琳の作業が止まることはない。むしろ手伝うものが少ない分余力を使わせているのだ。
鈴仙はてゐに構わず走り去っていった。
…まぁ予想はついてたけどね。
そんな独り言が聞こえたよな気がした。
* * *
「ごめんくださぁい」
「いらっしゃ…どうしたんだいその格好」
霖之助は来店してきた鈴仙の姿に驚いた。
耳まで飛んだ緑色の液体は、鈴仙の顔、肌、服に不恰好な模様を作っている。
まるで誰かに泥団子を投げられたような…。そんな想像をしていると、臭っているのかと気にした鈴仙は言い訳を考えた。。
「すみません…ちょっと来る途中で、えっと…雨が」
「雨が緑色をしてるわけないじゃないか…なになに?艾葉(がいよう)をすりつぶしたもの? ふむ」
緑色の液体に能力を使って正体を明かすと、何か考え込むように手をあごに寄せる。
その目は真っ直ぐと鈴仙を見つめており、なんともいえない空気が流れる。
見つめられて声が出ないのか、この空気が息苦しかったのかは鈴仙自身分からなかったが、耐えられなくなった鈴仙が口を開く。
「あの…えっと…?」
「ああ、すまない…時間はあるかい?」
「えっ?!正直ないんですが…」
「そうなのかい?これは肌につけるのには問題ないが服だとシミができてしまうよ」
「それは困ります!!」
永遠亭は忙しいせいで洗濯もままにならない状態になっている。今や永遠亭には洗濯物の山が3つほどあるくらいだ。
ウサギたちに洗濯を頼むが一回一回が小量なため山は高くなるばかりなのである。これ以上洗濯物、しかも厄介な染み抜きを必要なものは遠慮したい。
「うーん…じゃあ僕のところで服を貸そう。なに、乾いたらそっちに持っていくよ」
「えっ?! そんな悪いですし…」
「本当は風呂にでも入れてやりたいところだが時間がないのなら仕方ない。あいにく女性の服はないので僕の普段着で勘弁してもらえるかな」
「えっ…あの…」
「ああ、薬草を注文していたね。今出してくるから奥で着替えてくるといい」
「は…はぁ」
霖之助はトントンと話を進めていき、鈴仙はあれよあれよと流されるままいつの間にか霖之助の服を着て一旦永遠亭に戻ることになった。
* * *
「結局洗ってもらちゃったし…」
とぼとぼと帰路を進むが、ふと自分の着ている服に目を留める。
洗濯はしてあるから汚くはないよ。とは言っていたが、つまりは普段霖之助が着用しているものなのだ。
自分に優しくしてもらったのを感謝しつつ、そのことを思うとポッと頬が温かくなるのがわかった。
もどかしいこの感情を緩和するため、鈴仙は自分を抱きしめる。
いつも洗っている洗濯物とは違う洗剤の匂い。そして、あの店のにおいがした。
「なんか元気出てきた」
この感情は何?と思う前に鈴仙は永遠亭のことを思い、駆け足で帰る。
疲れなんてどこかへ跳んでしまった。今は何でもできる気がするのだ。
* * *
「ウドンゲ遅かったじゃない!ってなにその格好」
自分の弟子がいつも来ている濃紺の制服は、なぜか香霖堂店主がよく着ているものと同じ黒と青の服になっているのだ。驚かないほうがおかしいだろう。
少々焦った鈴仙だったものの、それよりも永琳の手伝いをしなければと言うように薬草を煎じる作業に取り掛かった。
「ちょっと雨で濡れたものだから店主さんが見かねて服を貸していただいたんです」
「…そう」
永琳はとくに何があったかとは聞かず、自分も作業に戻るために乳棒と乳鉢を手に取った。
そして、今日で何日目の徹夜の疲れを見せずに仕事を再開させたのだった。
「全く、あなたの帰りが遅いものだから薬作りは今夜も徹夜よ!覚悟しなさい!!」
「はい!!頑張ります!」
その夜、いつもより力いっぱい働く鈴仙がいたそうな。
* * *
翌日の夜、香霖堂は閉店時間なのに尋ねるものがいた。
「よう店主」
「君は…てゐといったね。今はもう閉店時間なんだが?」
「いいのいいの。…そういえば、鈴仙から服を奪ったんだってな。この変態」
「なんでそうなる、失礼だな。もう洗って乾いてるよ。明日の朝にでも届けようと思っていたところさ」
「ふーん」
誤解を招くような言葉を発するも、てゐは気にせずに店内を物色し始めた。
そんなてゐに霖之助は声をかける。
「そういえば君に聞きたいことがあるんだよ」
「?」
「あの子に付いていたあの薬。名前は確か『てゐ印美肌化粧水』だったかな?」
「…そんな名前だったかね?」
「少なくとも僕が見たらそうだったが?」
鈴仙がかぶった緑色の液体のことだろう。
てゐはあんなイタズラのために作った液体になんの用があるのか分からなかった。
「それがどうかしたの?」
「どうだろう僕と取引しないか?」
「取引?」
「僕は君に美肌化粧水を発注したいということさ」
てゐは顔を歪めて一歩引いた。
「うげーアンタ使うの?」
「違うよ。ただ、あの子が来たときから気になってたんだよ。この化粧水の成分にね。丁度注文があったんだよ化粧水をくれっていうね」
「そんなの永琳にでも頼めばいいのに」
「おや、僕の聞いた話だと今永遠亭はかなり忙しいと聞いたが?だから僕のところに買いに来たのかもしれないね」
そのときてゐの良心が痛んだ。永遠亭が忙しい忙しいと言いながら自分は全く手伝おうとしなかったからだ。
「…作ったらなんかあんの?」
「もちろんさ、君の頑張り次第とも言えるが…できるだけ望むものを与えるよ」
「…いいよ。作ってあげる。」
「そうかい? 助かるよ。正直、化粧品が運よく手に入る予定はなかったし」
取引が成立したのがよかったのか、機嫌よく話しかける。
霖之助の言葉を軽く流しながら、てゐは思い出したように呟いた。
「あの薬、よく見る雑草で作ったんだけどね」
その言葉を聞いて霖之助は耳を疑った。
鈴仙が帰った後、化粧水の作用があるか本で調べたのだ。
艾葉は食べても安全な上、肌につけても美容効果が期待できると物の本に記されていた。
「そんなことないだろう?艾葉は本当にいい薬草だよ。それともよもぎと言ったほうがいいかい?」
「ガイヨウ?ヨモギ?雑草じゃなくて?」
「雑草って…君のところのお姫様の字じゃないか。蓬(よもぎ)。永琳の事を手伝っているうちに知らず知らずに学んだんじゃないか?」
かあっと顔が熱くなるのがわかる。永琳の助手をやろうにもいやいや行っていたのに、知らぬ間に自分の力になっていたのだ。
生真面目な永琳、何もしない輝夜、恥ずかしがり屋の鈴仙を小馬鹿にしつつ、今てゐは無性に永遠亭にいる仲間たちに会いたくなった。
しかしそこはてゐ、そんな自分の姿は恥ずかしいと思ったのか何にも感じてないように振舞う。
「…ふん。今日来たのは他でもなく鈴仙の服を取りに来ただけだよ」
「そうか、じゃあ持ってくるよ」
霖之助が奥の住居スペースに移動しようとしたときだった。
霖之助よりも早くてゐが住居スペースへの扉に手をかけていたのだ。
「どこにあるのさ?私が持ってくるよ。あと奥借りるよ」
「え?」
「何?覗かないでよ?」
『覗く』という言葉で着替えるということが想像つく。しかし、奥にあるのは鈴仙の服であっててゐの服ではない。
「…着て帰るのかい?」
「着ていっちゃいけない?」
「僕は別にいいけど…いいのかい?」
本当は服にイタズラしようと思っていた。
最近鈴仙は永琳の手伝いばかりして構ってくれないのをイタズラで構ってもらえるようにする不器用な表現方法。
化粧品の名前を見てから、鈴仙にぶつけたのはてゐであると立証できる。
また服に何かするのではないかと疑うような目でてゐを見ていると、てゐはふて腐れたように口を尖らせた。
「べっつにぃ、今夜は徹夜だから充電しておきたいのさ」
「充電?」
霖之助は何のことか分からなかったが、そんな霖之助をよそ目にてゐは話を続けた。
「化粧水、3日もらえる?」
「あ、ああ。十分だ」
* * *
香霖堂からでると、星の瞬きがいつもと異なって見えた。月が綺麗なことに感心しつつ、いつもとは違う服装に気分が晴れ晴れしているのが分かる。
ぶかぶかでそでから手の出ない腕を大きくのばして伸びをする。そして思い出す。
帰路途中で鈴仙は自分を抱きしめ、「なんか元気出てきた」と呟き走り去っていくのを、てゐは草の陰で見ていたのだ、
半ば信じられなかったが、霖之助の服を着ながら鈴仙がやったように、自分を抱きしめた。
ギューー
「…なるほど、元気でたかも」
てゐは帰路を駆け出した。
今日も徹夜であろう永遠亭に向かって。
<2009.2.26 加筆修正>