《春の始まりの日(前編)》

 

 うららかな春の昼下がりのこと。
 大妖怪八雲紫が香霖堂の縁側でお茶を飲むことが日課になりつつあった。
 理由は桜にあると紫は言うが、それは春の慣用句である桜と春の気狂いをかけたのか、それとも庭に咲く桜が満開になるのを待っているだけなのか。
 否、桜はもう散り始め、桜吹雪の見事な様子が絵に描いたように庭に描かれている。
 つまり、桜の満開の時期は過ぎているのだ。そうすると残った春の気狂いと言う名の戯れなのだろう。
 当の店主、森近霖之助はそれを最初こそ嫌な気分になったが、慣れというのは恐ろしく、この大妖怪がいる縁側でお茶を飲むのも趣があると考えだしていた。

 しかし、ただで縁側に居座ることを許したわけではない。
 大妖怪、八雲紫の能力を知っているからこその“お願い”を彼女が来るたびしているのだ。
 時に気軽に、時に頭を下げ、時に酒も酌み交わし、酔わそうとして断念したりもした。
 そして答えはいつも同じ。

「却下ですね」
「やはりそうだろうね」

 初めは霖之助自体冗談のつもりだった。
 しかし、“お願い”をするたびに『もしかしたら』という希望を見てしまったのだ。
 長年の夢。もしかしたら叶うかもしれない夢。ここで逃したら、もうないかもしれない。
 そう考えるとだんだん“お願い”にも力が入ってきてしまうのだ。
 ちなみに今日は“気軽”にお願いをしてみた結果である。

「却下を食らうと分かっていてそんな“お願い”をするなんて…少々気が知れないわ」
「君がここに来るから僕が“お願い”するんじゃないかな」
「“外に行くお願い”以外の話をしましょうよ」

 そう、霖之助の“お願い”はいつも一つ。

『外の世界に連れて行ってくれないか?』

 結界がある以上外には行けないはずだ。しかし、霖之助は考えた。無縁塚に外の道具が流れ着くなら、どこかに外へと続く出入り口があるはずだと。
 最近になって、この目の前にいる妖怪が何か情報を持っているのではないかと知ったが、いかんせん出会うことすら稀有な存在であったため憚っていた。
 むしろ出会えることがいつも唐突であったために憚るどころか、霖之助本人も聞くことを忘れていたのだ。
 しかし今はどうだろう。苦手としていたこともあったが、こうしてお茶を一緒に飲む程度の仲にはなった。
 しかも、春になってほぼ毎日顔を合わせるようになり、話す機会も増えた。
 今言わなくていつ言うことができる。

 霖之助は聞き方をまず悩んだ。率直に出入り口を聞こうか、それとも目的を匂わせないようにぼかして聞くべきか。
 しかし、意外とさらっと言えたのには本人も驚いた。
 あれは話が進んで笑いも交えたときだった。
 何気なしに「じゃあ僕を外の世界に連れてっておくれよ」と言ったところ、彼女はやはり冗談で「私のお婿さんになったらね」と笑いながら言った。
 そのあとなぜか双方共にため息を吐いたが、その話が出たおかげで霖之助はことごとくその話題に触れてきたのだ。
 今度は至極まじめに「僕を外の世界へ連れて行ってくれ。頼む」「だから私のお婿さ」「冗談はよしてくれ!僕は本気なんだ!」この後の紫はひどく深いため息をついたが霖之助は彼女の意図には知る由もなかった。
 そんな会話があったりなかったり、なかったり。

 霖之助はあせっていた。桜は散り始めている。この妖怪が桜の満開のときを見届けていたのであるなら、もう時間はない。

「何か賭けないか?」
「賭け事?」
「君の要望に答えられたら、僕の要望を聞いてもらう。そうゆう賭けさ」
「どうせ貴方の要望は外の世界に連れて行ってくれ、でしょう?そんなことはお見通しよ」
「そうかな」
「?」

 さすがに見抜かれていたが、霖之助は不敵に笑みを浮べている。

「逆に考えればいい。この賭けで君が僕に絶対にできない要望をすればいいのさ、出来なければ僕も諦めるよ」
「私と勝負しようということですね…」
「弾幕ごっこは勘弁してくれ」
「弾幕?いいえ。言葉で、です」

 弾幕ごっこはできないが、頭のキレならば多少なりに自信はあった。
 無論言葉で勝てていたのなら、とっくの昔に霖之助は外の世界に行っていたのだが。

――これでもダメだったか…。

 霖之助は早くも諦めかけていた。
 明日あたり春雨が降るだろうと踏んでいる。桜は散り切ってしまうだろう。つまり紫はお茶を飲みに来なくなるということだ。
 霖之助は軽く息をつくと、へこんだ様子を見せることなく会話する。

「さすがに分かったか。魔理沙あたりなら引っかかってくれるんだが」
「あら、種明かししちゃうの?」
「君をこれ以上騙すことなんてできると思わないよ」

 最初から素直に騙されてくれるとは思っていなかった。それに一瞬とはいえ、かの大妖怪八雲紫と騙そうとしたのだ。それなりに罰もあるだろう。
 外の世界には紫に連れて行って貰わなくとも、自分自身で出入り口を探すまで。諦めたわけじゃない、むしろ決意を新たにしたまでのことである。
 しかし、その新ためられた決意を次の言葉で希望に変えられてしまった。

「…いいでしょう、引っかかってあげます」
「いいのかい?」
「そんなこと言っていいのかしら?The person who believes is saved. (信じる者は救われる)よ」
「それを言うなら正直者は馬鹿を見る、の方がいいんじゃないか?」
「気分がいい今のうちよ?」

 霖之助の気は動転していた。皮肉をいうくらい興奮していた。紫の含んだ笑みで我に返ると、すかさず謝る。

「悪かった。要望は?」
「絶対に声を出さないこと」

「!?」

 紫の妖艶な笑みを最後に視界がぐにゃりと歪んだと思えば、一瞬にして真っ赤な空間へと落とされた。
 声を出さないというとこととはどうゆう理由なのか。どこへ連れて行くのだろうか。霖之助は冷静に分析をしていた。

 気が付くと妙に高い建物と人間がたくさんいるところに出た。

「ここは外の世界。といっても本物の外の世界じゃないわ。結界の記憶を貴方に見せているだけ」

 地面は白と黒しかなく、上空はほとんど空なんて見えないくらいせまい世界だった。
 何か音楽が鳴っているが、その音楽も寂しげなものだった。
 人間たちはこの音楽が鳴っている間移動しているようで、音楽が止むと鉄の塊が人間を乗せて走り出していた。
 白と黒といえば魔理沙を思い浮かべたが、この世界の白黒は温かみが全くなく、行き交う人間の表情は何も考えていない様子が見えた。
 なんだか、寂しいところだと思っていると、紫は結界を操って移動した。

「次はここ」

 さっきのように目の回るような移動ではなく、一瞬で視界が移り変わった。
 見渡す限りモノの集まりなのと、異臭が鼻に付く場所だった。
 無縁塚で見るようなモノもあれば、見たこともないモノがそこら中に転がっている。否、積み上げられていた。
 遠くの方ではさっきの鉄の塊が自在に動いてモノを運んでいる。
 さっきよりもずっと空が広かったが、何せ色が灰色なのだ。外なのに空気が淀んでいるとはどうしてだろうかと疑問になったが、それよりもこのモノの山が気になってしょうがなかった。

『ガラクタ?』

 だろうか。と思ったときだった。

「ガラクタならいいほうね」
『僕は声を』

 思わず口を塞ぐ。しかし、紫は何事もなかったかのようにここの真相を話す。

「出してないわ、読み取ったの…酷いでしょう。これ、すべて人間たちが出したゴミ、よ」

 勝手に心を読むとは下賎な真似だと思ったが、解説してくれるのはありがたいほかになかった。
 霖之助は足元の転がっていたクマの人形を指して紫に思念を送る。

『これは薄汚れているだけでまだ使えるんじゃないか?』
「そうね、でもその人間にとっては要らなくなってしまったゴミでしかないの」

 洗えばまた綺麗になるのにと思っていると、香霖堂に置いてあるものを見つけた。
 箱型の…

『あれは…式神?』
「コンピュータのこと? ここは粗大ゴミの場所じゃないんだけどね」

 周りには袋に詰められたガラクタが転がっているが、その一箇所のみ、大きな箱型のコンピュータが丸出しで転がっていて周りとは違う異質な雰囲気を出している。

「いるのよ。約束(ルール)さえ守れない人間が…次はここ」

 突如眩しくなった思っていると、その光は一瞬にして消えうせ、残された土地は大きく削られ、その穴の周りには焼け爛れた人間がうめき声を上げながら這いつくばっていた。
 先ほどとの異臭とはまた違う臭い。肉の焼ける嫌な臭いだった。
 強烈な光景に息を呑む。

「声出して驚いていいのよ?」

 これは声を出して驚くところではない。嘆き悲しむべき場面だと霖之助は察した。

「醜いこと…これが戦争」

 そのうち違う人間が乗り込んできて、手に持った武器でそこら中を打ち落としていた。
 攻撃方法は弾幕と似ていたが、弾は弾でも凶器にしかなりそうのない弾。
 その弾は動くものすべてを打ち落とし、その中には幼い子供の姿もあった。

『あんな小さな子まで』
「死体…武器…食糧難…水…別れ…殺意…いろんな思念や思惑がここを渦巻いている。なんて醜いんでしょうね…次はここ」

 長居は無用なのか早々と移動を開始する。さすがの紫も、この酷い情景を目のあたりにするのはきついのだろうかと思っているうちに次の場所へと移っていった。
 そこは魔法の森と見紛うほどの豊かな森林であった。
 ただし…正面だけ。

『森が…』

 後ろを向くと木があっただろうそこには切り株があるだけで見事に何もない“森だった”ところだった。
 先ほどよりも空気も澄んでいるし、空も青い。しかし、何かもの悲しげな雰囲気を漂わせる。
 上空に鳥が2羽飛んでいる。
 切り倒された木に巣でもあったのだろう、わが子を探すように見えた。

「木の伐採。行き場をなくした動物。でもそれは妖怪も一緒ね」

 つまり、外の世界には妖怪の居場所がなくなりつつあるということだろうか。

 そう思っていると、視界はいつもの見慣れた景色に変わった。
 香霖堂の縁側である。
 紫は長い髪を風になびかせ、ふぅと短く息を吐くと霖之助と対峙した。

「さ、こんなもんかしら。どうだった?外の世界は?」
「…僕の思っていたより残酷な世界だった、ね…」

 正直な感想だった。醜く、無慈悲でまさに幻想郷が楽園と呼ぶに相応しいところだと確認できた。
 霖之助の顔は初めの高揚とした顔とは全く別の顔になっていた。落胆という様子がひしひしと伝わってくる。
 その様子に紫は満足気に話しかける。

「そうでしょ?もう行きたくない、考えたくもない。そんな気分にならなかった?」
「なったね…」
「そう、ならもう…」

 ある種のショック療法だった。外の世界で起こった杜撰(ずさん)な光景を見ればもう行きたくなくなるだろうと思ったのだ。
 計画通りに行ったと思った。
 …どちらが?

「僕の要望は?」

 霖之助の返答に紫は自分の耳を疑った。

「なんの話ですか?」
「君の要望、『声をださない』ことは守った。今度は僕の要望を君が応える番だ」

 “声”は出さなかった。
 すべて紫が勝手に心を読んだだけである。
 紫は多少焦ったが、要望、つまり『外の世界に連れて行け』以外の“お願い”だろうと踏んで、紫は霖之助の願いを叶えることにした。

「…いいでしょう。貴方の要望は?」
「短い期間でいい。僕を外の世界で修行させてくれないか」

 一時は耳にタコが出来るくらい聞いた言葉が、霖之助の中の配慮によってか、より具体的に、より簡潔に望みがつづられていた。

「はぁ?貴方…もう外に行きたくないって思ったんじゃなくて?」

 計画通り。
 つまり、霖之助は勝負に勝ったのだ。
 声を出さないという要望を成し遂げた霖之助に遠慮と言う2文字はない。

「確かに醜く荒んだ世界だった。でも…僕の長年の夢だ。簡単に諦められないよ。頼む!」

 紫は霖之助が両手を合わせて頼み込む姿を、ここ最近で何回も見たが、今は呆れるばかり。

「あの世界を見てまだ行きたいなんて…気がおかしいんじゃなくて?」
「気が知れないの次は気がおかしいときたか」
「だってその通りだもの…」

 紫自身こうなると思っていたのか驚きはあまりなかった。

「賭けに参加した時点でこうなると思ってましたし…私が無理難題を押し付けたりしても、貴方はどうにかしてでもそれを達成しようとするんでしょう?」
「…まぁ一筋縄ではいかないと思ったからね」
「まったく…その無理難題が貴方の命と引き換えのものだったらどうするつもりだったの?」
「そのときは…そのときに考えるよ」
「もう…」

 そっぽを向いた紫に小さな声で霖之助は呟こうとした。「ありがとう」と…そのとき。

「ただし!…その格好だと問題あるわ」
「え?」

 突然振り向いた紫の言っている言葉に驚いた。
 格好というと服装のこと。

「民族衣装とも取れるけど…ただのコスプレよねやっぱり」
「?こす??」

 聞きなれない言葉が耳に入った、反復することも出来ず、おまけに意味も分からない。

「持って行くもの用意しててちょうだい。でも、貴方の服は私が管理するわ」

 つまり、着替えは用意してくれるのだろう。そう確認を取ろうと思ったが、もうすでに紫の姿は消えていた。
 霖之助にとって用意するものといえば、着替えと店の戸締りくらいなのだから。



 夜になって紫が戻ってきた。

「おまたせしました」
「ああ」

 なぜか紫の息は切れていた。そして両手には紙袋が4つほどぶら下がっている。
 息を整えてから、まじまじと霖之助の旅支度と言うものを見てみると、肩に下げた刀くらいしか見当たらなかった。
 所詮男性なんてその日生きていくくらいの準備が出来ているのなら平気なのだろうと解釈し、女性は大変なのにと比較してしまった。
 旅支度に刀一本…一体いつの時代なら通用するのだろうと思いながら霖之助に尋ねてみる。

「その刀、持って行くの?」
「家宝なんでね。もし留守中に魔理沙が持っていかないという保障はないし」

 紫はあの少女ならやりかねないと思ったが、正直外の世界には必要ないものだ。しかし、本人が持って行きたいのと言うのであれば紫は気にしなかった。
 ただし、幻想郷と外の世界ではルールが違うことを霖之助は知らないために注意をする。

「うーん…鞘に収まっていても銃刀法違反だわ、布で包んでおいてくださいな」
「じゅ?とう?」

 またも聞きなれない言葉が耳に入る。
 とりあえず言われた通り適当な布に包めておく。
 郷に入れば郷に従えともいう。霖之助はその郷とやらにはまだ入っていないが、今は紫がその郷の入り口である。
 紫に従うほかないのだ。

「ああ、あと、外の世界にいるときは『ああ』と『まぁな』しか使っちゃダメよ!」
「な、なぜ?」

 言葉にまで規制をかけられてしまった。しかもその答えも意味不明。

「こっちが恥ずかしくなるのを防ぐためです」
「???」

 よくわからなかったが、頭に入れておくくらいはしておこうと思った。

「最後に!私の友達に手ぇ出したらたとえ霖之助でも痛い目あわせますから」

 目が本気だった。



 渡された紙袋に入っていたのは数着の服だった。
 言われるままに着たところ、紫はしげしげと霖之助を上から下まで見回した。
 霖之助はあまりいい気にはなれなかったが、紫は一通り見回したあと、ニッコリと笑ってこう言った。

「意外と似合っているじゃない」

 青いTシャツの上に白地に緑色のチェックが入ったYシャツを羽織った霖之助は、その褒め言葉とは裏腹に服の違和感が拭えなかった。

「なんだかむずむずする…」
「慣れるまでの辛抱です」
「まあ…そうなんだが」

 外の世界に行くためと自分に言い聞かせる。今は慣れなくともそのうち平気になるだろうと信じて。
 突如、思い出したように紫がひらめいた。

「そうそう、彼女を紹介しなくちゃ」

 手を出したら痛い目にあうという紫の友達だろうかと思ったが、紫がふわりと一回転すると、そこには紫ではない少女が立っていた。
 紫ほど長くない金髪がふわりと舞い、薄紫色のワンピースが揺らめく。丁寧にお辞儀をする少女はどこか紫に似ていた。

「はじめまして霖之助。マエリベリー・ハーンと申します」
「え…紫?」

 紫だと思っていた霖之助にはどうゆうことか分からなかった。
 マエリベリーと名乗る少女は人差し指を口元に持っていき、イタズラをする子供のように微笑んだ。

「まぁそうゆう風に思っていただいても構いません」

 長いスカートをひるがえして、紫否マエリベリーは霖之助の手を取った。

「さぁ、参りましょう?」

 紫が見せたことないような無邪気な笑みに、霖之助はやはり別人なのだろうかと思っていると、またも視界が歪んで真っ赤な空間へと落とされた。

 今、香霖堂から人気が消えた。
 主をなくした店の地面に、ぽつぽつと雨水が模様を作る。
 春雨の降る夜。雨と一緒に桜の花びらも地面に落とされた。