《春の始まりの日(後編)》

 

「目を閉じて。思考を持たないで。すべてを私にゆだねて」
「ああ」

 言われるままに目を閉じて思考を持たないようにする。しかし、霖之助は押さえられぬ興奮が自分を襲っていた。
 紫が見せた外の世界は至極醜い様子だったが、そんな外の世界でも期待をしているのだ。
 何の期待をしているのか霖之助自身も分かっていなかったがか、なにか新しい出会いがあるような気がぼんやりとしていた。
 ひんやりとした空気が頬をなで、もう到着したのだろうと目を開けると、周りには自分だけで紫はおろかマエリベリーさえいない。

「あれ?ゆ、紫?」

 霖之助は着いて早々迷子になってしまった様だ。
 霖之助は冷静に自分の置かれた状況を分析し始める。
 紫が見せた外の世界とはまた違う景色。満月が綺麗な夜だ。とりあえず空は見えることを確認し、キョロキョロと周りを見回す。
 幻想郷でいうと里の場所に当たるのか、民家が多い。違うのは里よりもその民家一つ一つが壮麗であり、何より大きかった。そしてこれほどまで密集していることに霖之助は驚いた。
 道の真ん中に立っていたのが悪かったのか、背後から大きなものが来る気配がした。そのうち轟音を鳴り響かせながら、光を放ち突進してきた。

――妖怪に襲われる!

 瞬時に塀にへばり付いて避けるが、妖怪だと思っていたものは、紫が見せた外の世界の鉄の塊だった。
 鉄の塊を分析し、『自動車』乗り物の一種と結論付ける。『自動車』など博麗大結界の前に見たとき以来だ。かなり形が変わっているなぁ。そんなことを思いながら、このままジッとしているのもなんだからと周辺を歩くことにした。
 すると、橋が上にある場所に出た。
 下にはちゃんと道もあるというのに更に上に道があるとは効率的なものがあってこその考えだろうか。そう思っていると、さっきの轟音とはまた違うけたたましい音が右上、つまり橋の右側から聞こえてきた。
 芋虫のように連なった鉄の乗り物はガタンゴトンと橋を揺らし、あっという間に左側へと走っていった。
 能力を使って分析する前に、ただ呆然と外の世界にいるという実感に、魔理沙とどちらが速いだろうかなどとぼんやり思っていると、橋の下に男女が口論しているのが見えた。

「通してくれませんか?」
「まーまーねーちゃんえーやろー?えーことある言うとるんだからこっち来ぃや」
「嫌です」

 一人の少女に複数の男が寄ってたかって通行を邪魔している。少女は強気に拒否をしているが、そんな発言も男たちにとっては無意味なものなのだろう。
 内容は何やらよろしくない会話なのは分かるが、驚くところはここではなかった。
 周りの行き交う人間たちは皆見て見ぬふりをしているのだ。
 助けることも、助けを呼ぶことすらしない。

――なんと情が薄い人間たちなのだろうか。

 実際、霖之助自身も見て見ぬふりをするかもしれないが、それは喧嘩になっても死なないスペルカードルールがある幻想郷だから言える上、自分が仲裁に入ったとしても、幻想郷に住む少女たちには無意味だからだ。
 外の世界ではどうなのだろうか。
 特に情報がない今、口出しするのは危険な行動に過ぎない。
 しかし、このままでは少女に危険が及ぶだろう。

「やさしゅー言うとるのにこんのアマァ!」
「見苦しいぞ」

 気が付くと声をかけていた。見苦しいのは男たちなのか、それとも行き交う人間たちなのか。二重の意味をもつ言葉を霖之助は口に出していた。
 声をかけてしまった自分に驚いたが、人間たちが全く怖くなかったのも驚いた。
 すごむ人間も妖怪に比べれば赤子同然に思える。

「あぁん?」
「なんだにーちゃんやるんかぁ?!」

 勝つ気はないが負ける気もしない。本当にとりあえず仲裁に立っただけだった。

「いや、僕はあまり強くないのでね。とりあえず止めてみたんだが…」
「危ない!」

 少女の悲鳴に似た叫びは、霖之助の言葉を遮り、背後の気配に気付かせた。
 ひゅっと音をかすめて頭をかすったものは鉄の棒であった。

「…危ないじゃないか」
「危なくしてんだよタァコ!」

 見ず知らずの人間からタコ呼ばわりとは心外であった。
 しかし、今話しかけているのはリーダー格の男であり、鉄の棒を振り回す男じゃない。
 この男を無視して話を再開させようとしたとき。

「まぁ端的に言えば、その子を放して…」
「何後ろ向いてんだよ!」
「がっ!!」
「きゃっ!」

 ゴツンと金属音と共に霖之助は倒れ、少女は短い悲鳴を上げた。

「あーっはっはっは!こいつバカじゃねーの?!」
「さぁねーちゃんはこっちに…」
「や…やめっ!」

 邪魔者がいなくなったのをいいことに少女を無理やり連れて行こうとするが、男たちの背後にはむくりと立ち上がる霖之助がいた。

「いてて…」

 鈍器が当たっただろう場所をなでながら、痛いじゃないかと呟くが、痛がる様子には見えない。

「?!」

 男たちは驚いた。普通の人間であれば鉄の棒で頭を殴られれば、当たり所が悪ければ死に、軽症であっても頭から血が出てきているからだ。
 しかし、男たちの前に立った男、すなわち霖之助は死にもしなければ、血の一滴も出していなかったのだ。
 答えは単純。霖之助は妖怪の血が混じっているゆえに普通の人間よりも丈夫なだけであり、痛いことは痛かったが重傷にまでいかなかったのだ。
 しかし、この男たちがそれを知る由もない。
 驚いた男たちを尻目に、何事もなかったかのように話かける。

「後ろからなんて卑怯だと思わないのかい?」
「な…なんだこいつぁ?!」
「おいっ!甘っちょろくすんなや!」
「でも俺はちゃんと…!!」

 一番驚いたのは鉄の棒を振り回していた男だった。
 自分は確実に脳天をぶち抜く感覚が手に残っていたからだ。
 このままでは、更なる暴力が加わるだろうと見なした霖之助は、強硬手段を試みることにした。

「僕自身あんまり強くはないが…武器ではこっちの方が強いと思うんだ」

 肩に下げた棒状のものの布をしゅるしゅると取っていくと、そこには一本の刀が現れた。
 キンッと金属特有の音を鳴らしながら鞘から外すと、真剣が光をはじき、鋭い様子を男たちに見せ付ける。

「か、刀だぁ?!」
「それなりに鋭いし、最悪相打ちでもいいんじゃないか?」
「はぁ?!こいつ頭おかしいぞ」
「つ、付き合ってらんねー。行こうぜ」

 相打ちという言葉に一気に覚めた面々は、少女を放し夜の闇に消えていった。



 戦わずして、勝利を勝ち取った。そう言えば聞こえがいいが、ただ単に時代遅れな脅しに結果的に男たちが引っかかってくれただけである。
 助け方はどうあれ霖之助は困っていた少女を助けたのだ。少女は霖之助に近付くと、ニコニコ笑いながらお礼を言ってきた。

「さっきはありがとね」
「いや、僕は何も…はっ!」

 さすがは天下を取った刀、さながら自分を守ってくれたのだろうと霖之助は信じて疑わなかった。
 この勝利は自分の力ではない。ただ、家宝の刀が身を守ってくれただけである。
 自分は何もしていない。そう答えようとして思い出してしまった。
 紫の言葉を。

『外の世界にいるときは“ああ”と“まぁな”しか使っちゃダメよ!』

 霖之助の頭内で紫の声がエコーになって響き渡る。
 今頼れるのは紫だけなのである。紫がルールなのである。しかし、その紫もはぐれてしまい傍にいない状態なのだ。
 この状況で霖之助は霖之助らしく話すべきなのか、それとも紫の言うことを守るべきか。
 考えた結果、霖之助は紫の言うとおりにすることを決めた。
 この世界において異種の存在である自分は、通常存在しないはずの人物だからだ。
 もしも、変に喋って自分の存在が怪しまれることになってしまったら、もしかしたら幻想郷に影響があるかもしれないのだ。
 この少女とは一度きりの出会いならば、なるべく怪しまれないように、記憶に残らないように行動するほかない。
 瞬時にそう考えた霖之助だったが、早速苦難に襲われる。

「君は恩人だ!連絡先教えてよ、お礼送るからさ」

 いきなり『ああ』と『まあな』では答えられない質問が飛んできたのだ。
 まず、連絡先はこの世界には存在しない。お礼を送ることは不可能だろう。
 この世界の住人でもないゆえ、普通に答えることもできない。
 たとえ『お礼など結構です。気をつけて帰ってください』と答えても、日本人特有の『まあまあそう遠慮せずに』の会話になり、ふりだしに戻ると予想できる。だからと言って、ここで『ああ』と答えてしまったら連絡先を教えることになってしまう。『まぁな』なんて論外だ。意味が分からない。
 霖之助の頭の中で考えが考えを呼び、その間、少女と無言の状態でいることになる。

「………」

 もちろん、怪しまない方がおかしい。

「? どうしたの?黙っちゃって。なんか問題でもあるの?」
「ああ」

 問題があるのは本当のことなので、とりあえず、紫に言われた通りの返答をする。
 ここでひらめいた。『名乗るほどの者じゃない。じゃあ気をつけて』これなら紳士的かつ無駄のない会話である。
 霖之助が口を開こうとすると、頭の中を読み取ったかのように少女が言う。

「あ、あれか!名乗るほどでもございませんよってやつか!」
「…まあね」

 先に言われた以上、そう答えるしかない。

「なるほどーでも今のご時世それじゃこっちの面子が浮ばれないのよ」
「…ああ」

 さっき出鼻をくじかれたせいで霖之助自身も答え方が曖昧になってきた。

「分かってるなら連絡先!名前!電話番号!」
「………」

 しまった。と霖之助は思っている。このままでは名前を名乗るしかなくなってきた。名前くらいしか確実なものがないのだが。
 やはり黙ってしまい。少女はいぶかしげな顔でこちらの様子を伺っている。

「もしかして私が名乗らないからそっちも名乗らないの?」
「……まあな」

 少々悩んでこう答えると、少女はやっぱりと言ってニッコリと笑う。

「しょうがない人だなー。私は宇佐見蓮子。そこの大学通ってるの。はい次は君の番!」

 どうするべきか悩んだ。名乗るべきか、名乗らずにいるべきか。
 霖之助は冷静に名乗って影響が出るものを考えた。
 名前一つで何が出来るだろうか。所詮自分で考えた名前。真名ではないし、人間に知られてもそこまで幻想郷にとっては影響ないはずだ。自分自身にはあるかもしれないが、自業自得なだけだろうと解釈する。
 正直悩むのにもう疲れた・飽きた・面倒になってきたのではない…はずである。
 諦めて名乗ろうとしたときだった。聞きなれた声が耳に入ってきた。

「霖之助!やっと見つけた!…って蓮子?!」
「メリー?!」

 霖之助の名を呼んだのは間違いなくマエリベリーだったが、蓮子と呼ばれた少女はメリーと呼ぶ。
 確認のために「メリー?」と呟くと、蓮子はマエリベリーを紹介しようとするが、青年を呼ぶ友人に首をかしげた。

「メリーは私の友達で…ってりんのすけ?」


* *


 霖之助はマエリベリーとメリーが同一人物かどうか分からなくなり、
 マエリベリーは迷子になった霖之助が自分の友人である蓮子と一緒にいるのか謎に思い、
 蓮子は友人マエリベリーと霖之助と呼ばれた青年が顔見知りであることに不思議に思っていた。
 それぞれ首をかしげるところはあるが、会話をしてその疑問は解かれた。
 メリーとはマエリベリーを短くした呼び名であり、
 道に落ちてしまった霖之助は蓮子を助けていただけであり、
 メリーと霖之助はもとから顔見知りだったということなのだ。

 疑問も解けたところで、3人は蓮子とメリーがルームシェアしているというアパートに向かうことになった。
 道すがら、会話も進む。

「森近霖之助さんかー何歳?どこから来たの?血液型は?」
「えっと…」

 ここはなんと答えればいいのか分からなくてやはり適当に答えようとしていると、メリーが話に加わりフォローに入る。

「霖之助は私のお父さんの実家の近所のおじさんと仲良くしてたほんとぉにド田舎に住んでいた23歳なの!血液型は調べてないんだって!」
「それでなんで京都に行きたいって?」
「なにせテレビもねぇギターもねぇ電話もねぇ!みたいなとこから来たから!」

 メリーは蓮子にウソをつくのが極端に下手らしい。間違ったことは言っていないが必死にフォローしようという雰囲気が出ているのを霖之助は見た。

「そんなとこまだ日本にあるの…?」
「…たぶん」

 力なく答えるメリーは、さすがに言い過ぎたと思い肝を冷やす。しかし、蓮子はそのことには触れずとりあえず霖之助がここに来たわけを聞いてきた。

「まぁいいや。とにかく観光に来たということね」
「いやしゅぎょ…うっ!」

 霖之助は足の甲に鈍い痛みを感じて最後まで言えなかった。

「え?何か言いました?」

 そんな霖之助に蓮子が問うが、答えたのはメリーだった。

「いいえ?なんにも?」

 どこに持っていたのかハンカチを取り出し、涙を拭くように見せながらこう言った。

「それがねー…霖之助ったら親に勘当されちゃって…」
「ええ!大変だねぇ」
「それでほとぼりが冷めるまで私たちの部屋に住まわせてほしいの…だめかしら」

 控えめに聞いているが、メリーは内心不安でしょうがなかった。ここを逃してしまうと霖之助の生活する場所がないからだ。もしも許可されなければ、霖之助は公園にでも泊まらせるほかない。

「霖之助さんは私の恩人だものいいに決まってるでしょー」

 蓮子は屈託のない笑顔でそう答え、メリーは安心とうれしさが顔に出ていた。

「ありがとう蓮子!ほら霖之助もお礼」

 とりあえず宿は確保できたのだ。感謝をしなくて何をする。
 霖之助はここが本当に外の世界なのだと認識すると押さえていた興奮が舞い戻ってきた。
 自然と笑みがこぼれる。

「ありがとう蓮子」
「………」

 蓮子の頭は一時停止状態になった。おまけに立ち止まって、驚いたように霖之助の顔を凝視する。

「蓮子?」

 メリーはどこか具合が悪いことでもあったのだろうかと心配し蓮子の顔を伺う。
 そんな視線に気が付いたのか、慌てた様子で侘びを入れた。

「あ、ゴメンゴメン!えと…どういたしまして?」

 語尾に疑問系をつけてしまったのは、先ほど自分が思考停止になってしまったことを不思議に思っているのと、頬が温かくなる現象が起こったからだ。
 風邪かもしれないと思った蓮子は、心配かけることを恐れ何事もなかったかのように歩き出す。

 満月が綺麗だなぁ。

 蓮子がそう呟くと双方からそうだねと肯定の声が聞こえたことに、やはり何かむずかゆい感情とうれしい感情が湧き出てきた。しかし、それは不快感などなく不思議と心地よかった。

 

* * *

 

~おまけな女の子の会話~

「やっぱり部屋はメリーの部屋にする?」

 今二人が住んでいるアパートは2DKの間取りである。ちなみに家賃は5万2千円。
 首都京都にとっては格安だ。
 2つの部屋を二人はそれぞれの部屋としているので、霖之助をどこで寝させるかを少女たちは相談していた。
 冗談を含んでいるのか、蓮子はメリーと霖之助を同じ部屋、しかも一組のベッドしかないので床まで一緒にさせようとした。
 それにはさすがのメリーも焦る。

「なっ!だめよ!申し訳ないけど私が蓮子の部屋で寝泊りするわ!」
「あれー?いいのかなー?」
「なんのこと?」

 蓮子はジト目でメリーを見ながら、後ろに歩いている霖之助に聞こえないような声で呟いた。

「だって普通の男じゃないでしょ霖之助さんって」

 メリーもとい紫は焦った。前々から蓮子は勘が鋭いとは思っていたが、出会ってまだ数時間も経っていない霖之助の正体を見破ったのだろうかと思ったのだ。
 外の世界の人間に幻想郷の存在を知られるわけには行かないと思っていたメリーにとって焦るほか何もない。
 しかし、バレた可能性はまだ明確ではなかったため、メリーは平常心を保ちながら蓮子に問う。

「ど、どうゆう意味…?」

 蓮子はにんまりとメリーを見ながら、子供のように微笑んでこう言った。

「カレシでしょ?」
「ちっちが!!」

 予想外の返答でホッとはしたものの、今度は気恥ずかしさが襲う。
 確かにメリーは霖之助のことは好きである。これは紫にも該当する。
 しかし、そのような関係ではない。
 外の世界にしかいないメリーとは付き合ってほしくない。あくまで幻想郷で末永く付き合える妖怪の紫と霖之助が付き合ってほしいのだ。
 まだ、そのような関係ではない。と心の中で紫は呟く。
 そんなことはつゆ知らず、蓮子はニヤリと笑ってメリーをからかう。

「ふーん?そうなの?それじゃあ私が狙っちゃおうかなー?」
「ダメよ!!」

 つい強く言ってしまった。蓮子と霖之助は期間限定で出会っているに過ぎない。もしも付き合うなんてことになったらと思うときっとメリーは泣いてしまうだろう。
 もしかしたら霖之助は二度と幻想郷に戻って来れなくなる可能性もある。
 親友と好きな人の幸せそうな笑顔はとても素敵だが、その中に自分がいないのは悲しすぎる。

「えー?なんでぇ?」
「も…もー!」

 蓮子の笑顔で、自分は遊ばれていると気付くと、つい自分まで笑顔になってしまう。
 そのうち少女たちは声をあげて笑い始め、霖之助は一人置いてけぼりにされる。
 仲いいなと思いながら二人の後についていく霖之助であった。