《夏の暑い日》

 

 太陽の日差しが容赦なくアスファルトを灼(や)き、蝉は必死に鳴き声を発して今を生きる。
 太陽の光はどこまでも熱し、それは室内にまで影響していた。
 触れるものすべてが熱いとはこうゆうことなのだろう、いつもの定位置である壁にもたれて楽な体勢を取ろうにも壁自体が熱くてもたれる気になれなかった。
 霖之助は最近お気に入りの部屋着・甚平を着て力なくうちわを仰ぐ。
 しかし、うちわから流れる風は生ぬるく、汗だけが頬を伝う。
 霖之助は過去体験したことない程の暑さに悩まされていた。

「暑い…」
「霖之助大丈夫?」

 蓮子は冷凍庫にしまってあったチューペットを加えながら四つん這いになって霖之助を伺う。
 蓮子の部屋着はキャミソールにショートパンツを着用している。いつもならここで「そうゆう格好は止めなさい」と霖之助からの注意が飛ぶのだが、今日はそんな注意さえも出来ないくらい熱さにやられているらしい。蓮子の見てるだけで暑苦しい中途半端な長さの黒い髪も今日は高い位置で一つに結われている。
 格好より、髪型よりも、蓮子が口にくわえたものから出る冷気に霖之助は惹かれる。

「僕も…それ…」
「あ、チューペット?ざんねーん、メリーと一緒にはんぶんこしちゃったからもうないんだー」

 霖之助はにこにこと笑いながら話す少女が鬼に見えた。
 惜しんでも仕方がないので、もっと根本的な発言をする。

「…なんてここは暑いんだ」

 “ここ”とは部屋のことを指しているわけではない。部屋の中が暑いのは霖之助も承知していたからだ。ここ=外の世界を指していたが、蓮子はここ=京都と認識した。

「まぁねー京都は盆地だし、ヒートアイランド現象も相まって~…温暖化が~…二酸化炭素で~…」

 いつもなら、ふむふむと頷きながら蓮子の話を聞いているが、今日はそんな態度さえも出来ないくらい(略
 昨日までの居間は涼しかった。クーラーという名の室内冷却装置があったからだ。
 そもそもこの2DKの部屋には居間にしかクーラーはなかった。
 しかし今はどうだろう。窓を開けているのにもかかわらず風一つ入ることなく、日本特有の湿度が高く、肌に張り付き不快感しか呼ばない暑さだけが部屋を支配する。
 理由はこの部屋唯一のクーラーが壊れたことにある。
 昨夜のこと、不可解な音を出しながらクーラーが停止してしまったのだ。今日の朝一に電気屋に修理を頼んだが、運が悪いことに今日が猛暑日になってしまったことがタイミングが悪いとしかいえない。

 蓮子は霖之助の目の前に座り、ふむ。と言いながら自分の部屋へ戻っていった。
 軽い足音と共に戻ってきた蓮子の手にはフリルの付いたポーチが握られていた。

「そんな髪型だから暑いんだよ!私とおそろいにしてあげる!」

 頭を包む形で抑えられ、そのままポニーテールにされてしまったが、それで気温が変わるわけでもなくやはり虚ろな目で呟く。

「暑い…」
「これでもダメかー…」

 ついでに前髪も少女趣味なピンであげてみたが霖之助の様子は変わらなかった。

「うん。霖之助イチゴピン似合う!」
「こらこら蓮子!」

 霖之助をおもちゃにしだした蓮子をメリーは止める。
 しぶしぶ止めた蓮子に苦笑しながら、霖之助の状態を見てさすがに心配する。
 半妖である霖之助がこの暑さで死ぬことはないだろが、弱ることはあるだろう。
 幻想郷と異なる気温変化にバテるのも無理はない。幻想郷の夏はここまで暑くはないのだ。
 そもそも、土は太陽からの熱を吸収しする性質がある。しかし、この世界に土があらわになっている場所は少ない。今や地底へと封印されたそれは、ある種アスファルトという名の結界が張られ熱を吸収する程度の能力さえも遮断されている。
 便利を追求した結果がこの猛暑なのであれば、人間は愚かとしか言えない。そんなことを思うマエリベリー・ハーン及び八雲紫は真っ白なワンピースを揺らしながら、蝉の鳴く外を見つめながら呟いた。

「…今日は特に暑いもの、仕方ないわ」
「まぁクーラーが壊れたせいなんだけどねぇ。私とメリーはもう慣れたけど霖之助は暑さに弱いんだねー…霖之助の実家ってもしかして北陸?」

 台所から氷の入った麦茶を3人分注いできた蓮子はそれぞれにお茶を渡しながら、お茶を一口流し込む。
 ほら!北に住む人って暑さに弱いらしいじゃない?となぞなぞの答えを言うように蓮子は話す。
 ごきゅごきゅと喉を鳴らす音がすると思えば、霖之助がお茶を飲んでいた。
 お茶を一気飲みしているため蓮子からの質問に答えない。否、このような質問はメリーにまかせているのだろう。
 霖之助の意図を読んだのか、やはりメリーが霖之助の“実家”を説明する。

「確かに霖之助の実家の夏はここより幾分涼しいわね」

 幻想郷を古きよき時代の日本とすると、外の世界のこの時代のほうが暑い。
 場所の詳細は言わなかったが、北陸とも断言していない。つまりぼかしたのだ。

「いいなぁ。避暑に行きたい」

 蓮子はうちわを片手にパタパタと仰ぎ始める。
 どうやらぼかしたことには気付いていないらしい。

「霖之助がお父さんに許してもらえたらね」
「早く仲直りして私たちを実家に連れてってよね!」

 蓮子は持っていたうちわを霖之助に向けて仰いでやるが、やはり霖之助は暑さのせいか適当にしか答えない。

「…ああ」
「あ!でも早く仲直りしたら霖之助ここにいられないか。まだここに居ていいからね?」
「…ああ」
「クーラーが直るまで数日の辛抱だ!頑張れ!」
「…ああ」

 霖之助の適当な返答に苦笑して、先ほど外を見つめていた表情とはまた違う、楽しそうな表情を外に向けながらメリーは呟いた。

「今夜は熱帯夜になりそうね」


* * *


 その日の夜のこと。
 蓮子が寝静まったことを確認して、メリーはむくりと起きる。
 今霖之助が使っている部屋はフローリングだが、蓮子の部屋は和室なので布団を敷いて寝ている。だからこそメリーは蓮子の部屋で寝泊りが可能なのだが、メリーにはもう一つの顔がある。
 八雲紫。
 幻想郷では知らないものはいないとされる大妖怪。
 昼間はマエリベリー・ハーンとして女子大生を演じているが、夜になると幻想郷へ舞い戻り八雲紫としての仕事をこなす。
 最近は式に一通りの仕事を任せていたので、今日こそ結界の修繕を見直さなければならない。
 そろそろ幻想郷に戻って紫の仕事をしなくちゃ…と思いながらスキマを開かせようとしていたとき。
 寝る前までは無かった物体が転がっていた。それはよく見知った…。

「霖之助ぇ?!」

 なぜ隣の部屋で寝ているはずの霖之助がここにいるのか分からなくてメリーは混乱してしまった。夜這いなのかとドキドキしながら彼の様子を伺うが、動き出す様子は無い。

「ん…」

 霖之助はメリーの声に身じろぎはするが、起きる気配がない。そして、思いのほか大きな声をしていたのだろう、隣で寝ていた蓮子が起きてしまった。

「んぁ…あれ…?霖之助…?」

 蓮子は目を擦りながら隣で寝ている霖之助に気付く。霖之助とはいうと、昼間よほど暑さで弱っていたのだろう、目も開けずに自分がここに来た理由を話す。

「僕の部屋…暑い……グゥ」

 確かに霖之助の部屋はあまり風通しは良くない。元から風は少ないが、少女たちの部屋には小さいながらに扇風機がある。
 霖之助はこの微かな風量を求めにここに来たに過ぎない。
 少々ガッカリするも、さすがに少女二人が眠る部屋に青年を眠らせるのはまずい。その上自分は今から幻想郷に戻るのだ。つまりこの部屋には霖之助と蓮子の男女一組が眠ることになる。
 霖之助に限ってそんな不埒なことをするはずはないと信じているが、世間的にまずい。蓮子が憤慨して霖之助を追い出すことに発展してもおかしくない。
 ここは暑いのを我慢してもらい自分の部屋に帰らせようとしたときだった。

「そうかぁ…じゃあしかたないねー……クゥ」

 当の蓮子が許可してしまったのだ。蓮子はそのままパタリと倒れ寝てしまった。
 もちろんこのまま居なくなるメリーは焦る。

「そんな!蓮子!!少しは起きて慌てたりしないの?!」
「んも…メリーはうるさいぞぅ…寝なよ」

 蓮子はむにゃむにゃと口を動かしてそう言うと、それを最後に規則正しい呼吸が聞こえてきた。
 メリーは肩を落とし、頭を悩ませる。このままほっといていいものか、それとも無理やりにでも霖之助を部屋に戻すか。
 ふと、二人を見ると、薄暗い部屋の中、二人は同じ格好で寝ていた。そのうち蓮子が寝返りを打って霖之助と向かい合う形になる。
 寄り添って眠る二人が幻想郷にいる式とその式を思い出して知らず知らず笑みがこぼれる。
 しかし、メリーは上がった口角に気付いて首をふる。男女、しかも好きな人と親友が仲睦まじく寝ているのはメリーにとって穏やかなことじゃない。

「むむむぅ……うん、寝よう」

 もうどうでも良くなってきたので自分も寝ることにした。もちろん霖之助の背中にくっ付きながら。
 心の中で式に謝りつつ、不思議と暑苦しくない背中にこのまま自分の想いが伝わればいいのにと夢見ながら。


* * *


 次の日の朝

「なんで僕は君たちの部屋で寝てるんだ?」
「なんで霖之助が私たちの部屋で寝てるの?」
「…二人とも寝ぼけてたの?」

 という会話がされたのは言うまでもない。