夏の入道雲は青い空を覆い厚い雨雲となって雨を降らす。
にわか雨、雷雨、集中豪雨と言われるそれは、明るかった空をあっという間に暗くして稲光と共に落ちていく雨水に激しい音と光を与える。
ピカッ!
雷は音と光と軽く揺れを感じさせながら容赦なく頭上を縦断する。
少女と霖之助はアパートにいるので身の危険が及ぶことはないが、少女は稲光走るたびにわざとらしく悲鳴を上げた。
ピカッ!
「きゃー!!」
「蓮子…顔が笑ってるんだが」
先ほどからさも楽しそうにきゃーきゃーと叫ぶ蓮子にうんざりしながら、霖之助は視線をテレビから蓮子に移した。
「別に怖くないもの。それともなに?霖之助にしがみついて怖がってほしいのぉ?」
ニマニマと趣味の悪い笑みを浮かべる蓮子を霖之助は眼中に置かないことにした。
「メリーは今日は大学の補講だったかい?」
「…無視かよ。 まぁね、そろそろ終わってると思うんだけど…ずぶ濡れで帰ってきそう。大丈夫かな」
メリーは大学の補講のためにアパートにはいない。
雨はやむ気配もなく、雨水は弾幕のように激しく地面を叩いている。
地面は大きな水溜りはおろか道全体に水が溜まって、なおも雷は鳴り続けている。
一方メリーの持ち物は傘一本。横降りの雨に対応できるとは思えなかった。
このとき車などの移動手段を持たない二人が迎えに行っても洗濯物が増えるだけで何も役に立てない。だから2人は大人しく待つことしかできないのだ。
ただ、メリーが帰ってきてから迅速な対応が出来るように用意をするしかない。
「この雷と豪雨だからね。タオルと風呂は用意しているんだろう?」
「一応ね。 ……こうゆう日ってメリーは見えちゃうから大丈夫かな…」
「見えちゃう?」
蓮子はまるで自分のことを自慢するかのようにふふんと鼻を鳴らして、自分の目を指しながらこう言った。
「メリーの眼は結界が見えるの」
「…え?」
霖之助はすぐに“眼”とは“能力”のことを指しているのだと理解し、蓮子にどこまで言っていいのかを思い巡らした。
自分が道具の名前と用途を見ただけで判断できることや、蓮子の言う“眼”とは“能力”のことだということ、そしてメリーは見えるのではなく操ることまでできるということ。いろいろと自分で思案するも、次の蓮子の言葉で固まってしまった。
「気持ち悪いよねー」
「………」
霖之助は今考えたことをすべて脳みそのくずかごに入れて、蓮子には何も言わないことにした。
これでは自分の能力さえも『気持ち悪い』呼ばわりになるからだ。
心なしかガッカリした霖之助に気付くはずも無い蓮子の言葉は続く。
「そっちよりも私の眼のほうが自慢できるものだよね」
「?」
興味を示した霖之助に、蓮子はにんまりと笑みをこぼしながら自慢げに言う。
「私の眼は星を見ただけで今の時間が分かって、月を見ただけで今居る場所が分かるの」
霖之助は蓮子の能力を知って、蓮子の存在に疑問を持ったが、まず一つ思い当たったことを聞いてみることにした。
「…言っていいかい?」
「何?」
「どんな航海をしてきたんだい?」
「しっ失礼だなぁ!」
星を見て時間が分かることも、月を見て場所が分かることも冒険家や航海術士が生業とするものだとものの本で霖之助は見た。もちろん、本来ならば大掛かりな道具などを用いて当てていたので、やはり蓮子独自の能力なのだろうと霖之助は理解している。
しかし、蓮子自身が能力だと理解していない今はぼかすしかないのだ。例えば蓮子のオウム返しのように『気持ち悪い』と言っておけば事なきを得るだろう。蓮子が幻想郷の存在を知り、自分の能力の有無に気が付けば別だが。
「結構アクティブな子供時代を過ごしてきたんだなと思ったんだ」
「確かに活発な性格してるのは認めるけど、そうゆう風に言われたのは初めてだよ」
蓮子は霖之助から期待通りの言葉「すごいね」という褒め言葉がでなくて肩を落とすが、突如思い出したように顔を上げた。
「そういえば、私とメリーの大学のサークルって霖之助に説明してたっけ?」
突然の会話の変動に困惑したが、女性の会話なんてそんなものと解釈して、以前聞いたことを思い出す。
「…オカルトサークルのことかい?」
詳しく聞いていない霖之助に蓮子はにんまりと口角を上げると、立ち上がってさも自慢げに言う。
「ただのオカルトサークルじゃないよ!境目を暴くオカルトサークル『秘封倶楽部』!!」
「…境目」
境目とは何かというのを霖之助は知っていた。
メリー及び八雲紫が操る結界・境界・繋ぎ目のことだろう。
何も知らない蓮子はメリーを心配するように雨脚の強まる空を見ながら言った。
「こうゆう天地が不安定になるときっていうのはその境目が出やすの」
「天地が不安定というと?」
「こうゆう嵐とか、心が定まらないときも境目はその人の目の前に現れるの」
霖之助はふむ、と腕を組んで考えた。
境目に限らず、心や天地が不安定なときにありえないものを見るのは珍しいことではない。
外の人間に言わせてみたら、幽霊や妖怪の類でさえ心の持ちようとも考えられるくらいである。
昔 は存在していた幽霊・妖怪が、その“心の持ちよう”によって見えなくなってきているのだ。
“ある”と言えば実際に存在し、“ない”と言えば本当にないのだろう。
ヒトの心と言うものは、目の前の実像さえ存否を委ねるほど強く影響するのだ。
また、大きな天災に見舞われた時、その原因を怪物や幻想のせいにすることもある。
例えるならば、地震を地下に住む大ナマズのせいにしたり、猫が顔を洗うことで次の日が雨になるというものも含まれるだろう。
妖怪である紫、もといメリーが何を考えて幻想郷にモノを流しているかは分からないが、それよりも気になることがある。
「で…境目というのを暴いて何がしたいんだい?」
幻想郷と外の世界のスキマを知らない蓮子に言わせてみたら、至極面白おかしいことだろうが、興味本位で幻想郷を覗かれてしまってはこちらの住人としては迷惑である。
“幻想入り”と呼ばれるものはあるが、それは外の世界で『幻想』と分類されたものしか幻想郷は受け入れないはずである。
それはメリー、及び八雲紫の仕事の一つであるはずなのだが、メリーとしての紫を知っている霖之助にとっては謎でしかない。
不審な目する霖之助に対し、蓮子はあっけらかんと答える。
「霖之助ってロマンがないなぁ。境目の向こうに何があるか知りたくないの?」
「…たとえば蓮子は向こうに何があると思うんだい?」
蓮子は顎に手を置いて上に視線を送りながら考える。
「そうだなぁ…別世界…とか、正反対の世界とか幻影…ううん幻想的世界とか…」
「!」
『幻想』と聞いてドキリとした霖之助だったが、蓮子の言う幻想の意味が『幻想郷』のことではないと気付くとブンブンと首を横に振る。
「私はその境目は見えないからメリーに指揮してもらうしかないんだけどさ。でも、いつかは私この眼で境目の向こうを見てみたいんだ」
あまりにも目を輝かして語る蓮子に、境目の向こうに広がる世界を言うことはできなかった。
幻想郷の住人である霖之助は、大妖怪八雲紫に頼み込んで仕方なく連れてきてもらったイレギュラー因子。
好き勝手幻想郷を喋ることや、自分の半分は妖怪であることを言うことは、外の世界に異変を来たすことになる危険があるので霖之助は他人事のように呟くことしか出来なかった。
「…いつか…見れるといいね」
「うん!見るだけじゃ勿体無いから足も踏み入れたいし!あ!その前に霖之助の実家も行きたい!」
蓮子は屈託のない笑みで大きく頷くと、ずいっと顔を霖之助に近づけてお願いをする。
「行ってみたいなぁ。ねぇ?」
「そ…それは……」
「ん?」
答えの言えない霖之助はうまい言い訳も考えられず後ずさりするも、蓮子は不思議そうにこちらに詰め寄ってくる。
そのとき助け舟が出るように、小さく音をたてて扉が開いた。
「ただいまー蓮子ータオルくれないー?」
「あ!おかえりメリー!タオル足元にない?」
その声にきびすを返した蓮子は、すぐさまびしょぬれのメリーの傍に駆け寄った。
ホッと胸を撫で下ろしながら、霖之助はそっと呟いた。
「…いつか…ね」
雷はもう止み、空から一筋の明かりが差し込む。
隠れていた小鳥の飛び立つ翼の音とさえずりに、その声は蓮子に届かなかった。