星も瞬く夏の夜長。
わし座のアルタイルが東の空に浮んでいる。
そんな空の下、いつものようなやり取りがされていた。
「蓮子。お風呂空いたわよ」
濡れた髪をタオルで包んだ髪形で、火照った体をパタパタと手で仰ぐメリーは部屋で本を読んでいた蓮子に風呂を勧めた。
「ん、わかった」
本を閉じた蓮子は二つ返事で風呂へ向かう。…が、向かう前にガチャリと玄関から扉の開く音がした。
「ただいま」
蓮子は玄関の戸が開いたのが分かると、今々外出から戻った霖之助に近づいて、手に持っていたビニール袋を受け取った。否、奪い取ったに近い。
「おかえり~。おつかいご苦労様!わーいアイスだ!お風呂上がった後にたーべよ♪」
ビニール袋の中身を素早く冷凍庫へ投げ入れ、自分は颯爽と風呂場へ向かった。
蓮子の様子に霖之助は軽くため息をつく。
「パシリおつかれさま」
その言葉に霖之助はげんなりとした表情で振り向くと、所得顔のメリーがそこにいた。
「…じゃんけんで負けたと言ってくれ」
メリーはプリンを受け取ると、冷蔵庫にそっと入れた。
「あら、どうせ私たちが負けても行くんでしょ?」
「女性一人で歩かせるの?とか言い出すんだろう?どうせ」
「そうね」
いわずもがなの様子に霖之助はがっくりと肩を落とすと、メリーの濡れた髪を指摘する。
「ほら早く髪を乾かしたほうがいいんじゃないかい」
けして、早々に会話を切り上げたいがための言い訳ではない。…たぶん。
メリーはもう一度「そうね」と言ってドライヤーを手にブロンドの髪の毛を乾かし始めた。
霖之助は開放されたことにホッと胸を撫で下ろしながら、先ほど買ってきたチョリソなる惣菜パンを温めようと電子レンジの前に立った。
電子レンジは、霖之助をたびたび驚かす道具だった。
何でも瞬時に温めることが可能で、しかもボタン一つの命令だけなのだから。
電子レンジを一度使いこなしたが最後、このようにパシリにされると、霖之助は頼まれたものとプラスして、レンジ調理または温めて食べる食べ物を買ってくるようになった。
ついこの間ゆで卵を作ろうとしてひどく驚いたが、霖之助がその程度で便利な道具から遠ざかる玉ではない。
エアコンからの涼しい風に打たれながら、霖之助は本当に便利な世の中だと認識を新たにしていた。
「しかし…この部屋は涼しいな。電子れんじ使うよ」
「ええ」
メリーは特に何も考えずに返事をした。
思っていたことと言えば、そろそろ髪の毛が乾きそうだ、そのくらいだろう。
霖之助が赤い字で書かれた『あたためる』ボタンを押した瞬間。
ポチッ
バシュン
「え?」
「へ?」
「うん?」
ドライヤーからは熱風が止み
風呂の明かりは消え
その場に立っているかも分からないくらい真っ暗になってしまった。
メリーは窓から差し込むわずかな明かりを見て、すぐにこの現状が分かった。
「ブレーカー落ちちゃったみたい」
「ぶれーかー?」
暗闇の中、おそらく霖之助がいるだろう方向を向きながらメリーは説明をする。
「電気には上限があって、その上限以上使うと電気が自動的に止まるのよ。直すにはイスと…」
玄関の頭上にあるブレーカーはいつもならイスを引きずって少女たちが直している。
しかし、今は背の高い霖之助がいるではないか。
「霖之助。玄関の上にブレーカーがあるの、分かる?」
「えっと…うあ!!」
ゴツンと鈍い音が聞こえたと思えば、霖之助の「いたたた…」と情けない声が聞こえた。
明かりを取り戻すには、落ちたブレーカーを上げるしかないのだが、真っ暗すぎてブレーカーの位置を霖之助に説明することは困難である。
霖之助は涙目になった目を擦りながら、明かりを求めた。
「…ロウソクはないのかい?」
「そうね…アロマキャンドルならものいれに…」
メリーは手に持っていたドライヤーを床に置くと、物入れがあるだろう方向へ進んだ。
すると、またも何かにつまづくような音と共に、後ろから体重がのしかかってきた。
ガッ
「うわぁ!!」
「きゃあ!?」
暗闇で詳しくは分からないが、まるで後ろから押し倒されたような状態になり、床に押し潰された自分の胸が痛かった。
しかし、それ以上に押し倒したのが霖之助だと分かると、偶然と言えどときめきを感じてしまって自分が情けなく感じる。
「すまない…」
「いいえこっちこそ」
部屋の方向からして、どうやら霖之助はメリーの置いたドライヤーに足を取られてしまったようだ。
ドライヤーを置いたことを申し訳ないと感じながら、むしろこのときめきが申し訳なくて、早く霖之助の下敷きから開放されようと身をよじるが
「ああ!動かないでくれ!」
「え…」
それは自分と同じくときめきを感じたから?
この状態を維持したいから?
霖之助と私は同じ気持ちだから?
次から次へと湧いてくる期待がメリーを襲う。
しかし、霖之助の口から出てきた言葉は
「眼鏡が…落ちた…」
つまりこのまま下手に動いては床に落ちた眼鏡を踏む可能性があると霖之助は言いたいのだろう。
それは自分の眼鏡のためか、それともメリーを怪我させまいと気遣ってか。
おそらく前者だろうとメリーは分かっていたが、それでもこの状況を嬉しく思っている自分がいた。
わずかに濡れた髪が嫌に香って、霖之助にまでそれが分かっていると思うと無性に恥ずかしくなる。
それでも、偶然でも、触れ合っていたい。
自分の甘い匂いに酔いそうになる。
このまま朝までこの格好でもいい。そんな不埒な思いも浮んだ。そのとき。
ポッ
「二人とも大丈夫ー?」
小さな光はこちらを照らし、暗闇に慣れてきた2人の目を眩しそうに細くした。
「携帯!」
小さな光をこれでもかと見せびらかしながら、バスタオル一枚に包まれた蓮子は倒れた男女の様子を不思議そうに見ていた。
「……何やってんの?」
眼鏡も見つかり、すんなりと光を戻した部屋だったが、ドキドキしていたメリーは気恥ずかしくなったのか口に出すのは言い訳じみた言葉ばかりだった。
「ちっちがうのよ蓮子!これは…そう事故!!事故なのよ!なんていっても暗かったし!そもそもドライヤーとレンジとエアコンを同時進行は電気代にも痛いものよね!」
「分かったってば。霖之助ももういいよって言ってあげてよー。ほらチョリソかじってないでさぁ」
以下、メリーの言い訳は寝る直前まで続く。