《秋の鰯雲流れる日》

 

 窓から差し込む光は橙色で、遠方ではカラスの鳴く声が聞こえた。
 霖之助にとってカラスの泣き声はどこか寂しげで、どこかホッとさせる音だった。
 カラスが鳴けば、もうすぐ夜だということが分かり、このまま闇へと誘われるのかと畏怖するときがあった。
 しかし、今はカラスが鳴けば帰ってくる少女がいる。
 一人見知らぬ世界で、居場所をくれる2人の少女。霖之助は2人に多大な感謝をしていた。
 大学と呼ばれる学び舎で学習をした2人はそろそろ帰ってくるだろう。
 疲れて帰ってくる少女たちに霖之助は自分が出来ることなら何でもやりたいと思っていた。

「ただ今…」

 力なく開かれた扉から、疲れきった様子でメリーが外出から戻ってきた。

「お帰り紫」
「今はメリー」
「…すまないメリー」

 今は蓮子もいないのでつい紫と呼んでしまった霖之助に弱弱しい声で注意したメリーは、帰るなり机に突っ伏した。

「眠たい…」

 疲れ方が尋常じゃなかったことから、学び舎ではないと察した霖之助は立ち上がってコーヒーでも淹れてようとした。

「幻想郷に行ってきたのかい?」
「紫の仕事があるからね…」

 誰が思うだろうか、メリーと呼ばれたこの少女は幻想郷1、2を争う最強の妖怪・八雲紫であることを。
 その姿は、日本にいる大学生そのものである。
 霖之助はコーヒーを淹れる前に疑問に思っていたことを聞いてみた。

「なんだか君が12時間寝るという話に納得したよ…君、2日にいっぺん寝てるんじゃないか?」
「…まぁそうゆう日もあったりするわ」

 気だるそうに否定なのか肯定なのかいまいち分からない返答をする。
 幻想郷での彼女は1日の半分以上寝ることで有名なのだ。
 しかし、それは彼女のウソだった。
 霖之助はついこの間知ったのだ。実は幻想郷で寝ているというのはウソで、寝ていると言われた時間、メリーとして外の世界で生きているということを。
 もしかして冬眠というのもウソで、冬眠といわれる間は、ずっとこちらで生活しているのでは?と思い始めたが、今は彼女の睡眠時間を心配した。

「この二重生活は確かにつらそうだ。布団しこうか?」

 コーヒーを淹れるどころではないと判断した霖之助はメリーの答えを聞く前に二人の部屋へ移動しようとしたが止められてしまった。
 メリーがすそを引っ張ったのだ。

「んーん…蓮子が帰ってきちゃう…」

 首も上げず、声だけで答える。

「その間寝てちゃだめなのかい?」
「…今布団で寝たら少なくとも12時間は起きない…」
「この時間から12時間か…それは困るね」

 今は夕方の5時。起きて午前5時。
 熱もないのに風邪をひいたと言ってしまえば、いらぬ心配をかける上、心配事はその一つだけではなかった。

「蓮子に…怪しまれたくないし」

 怪しまれるほどおかしい事ではないだろうと思われるが、蓮子は勘が鋭い。しかもそれは無意識のうちに発揮されるものだから厄介ななのだ。
 自分が寝ている間に蓮子が何かに気付いてしまった後では遅いのである。
 おそらくメリーは蓮子が帰ってきたことを確認し、蓮子が寝静まった後、幻想郷に帰りひと寝入りするのであろう。
 幻想郷と外の世界の時間の進みかたが異なっている事でできる技である。
 人間好きの妖怪は少ない。彼女もそうであると思われていた。実際、幻想郷で紫がよく会話する人間は2人いたらいいほうである。
 しかし、外の世界での様子を見ると、人間好きに部類されるのではないだろうか。
 メリーは蓮子のことを大切に扱っていることからこのことが見受けられる。

「…本当に蓮子が好きなんだね」
「まぁね…でも、霖之助のことも好きよ…?」
「いよいよ寝ぼけてきたな。ほら、机なんかで寝ないで膝を貸してあげるからこっちに来なさい」

 霖之助は布団を敷くことも、コーヒーを淹れることも止め、いつも座る位置にいつものように座りなおした。
 メリーはのそのそと移動し、壁にもたれている霖之助の膝に頭を乗せる。

『そんなことないのに』

 その言葉よりも今は睡魔を優先してしまい、重たいまぶたを閉じる。

「これだったら、僕が動けば君も起きるだろう?」
「ん…」

 素直に膝に頭を預けた紫、もといメリーが数秒で眠ってしまった。
 自分には大した経済力もなければ、この世界の知識も少ない。
 少女に貸せるものといえば膝くらいしかないのだ。
 幻想郷にいたときの紫にはありえないだろうこの姿に笑みがこぼれそうになったが、規則正しい呼吸で眠るメリーが少しかわいく見えて、軽く頭をなでる霖之助がそこにあった。