秋の夕暮れは少し肌寒く、半袖のままでは寒い。だからと言って長袖を着るまでもない中途半端な気候。
霖之助と蓮子は買い物袋をぶら下げながら商店街を通り帰路へと足を進めていた。
今夜の夕飯は秋茄子のゴマ和え、秋刀魚の塩焼き、レタスと卵のスープだと蓮子は言う。
そんな他愛無い話をしていると、ガランガランと鐘の音が耳に入ってきた。
音は足を進めるうちに大きくなり、同時に人も多くなっていく。
商店街の入り口付近で簡易なテントを建てて、中年の男性と買い物客の一人だろう主婦が六角形の回転式の何かを隔てている。
その様子を見て蓮子が呟いた。
「あ、そういえば今日でおしまいだった」
「?」
霖之助は蓮子に何のことだか聞いてみると財布から小さな紙を数枚出し見せた。
「福引。ほら、最近部屋のティッシュがポケットティッシュになってるじゃない?これのせいなんだよ」
ようするに「当たり」「はずれ」を定めたくじをひき、当たった場合は景品等を贈呈するという商店街の販売促進の一環である。
霖之助は自分の知識の中に似たような抽選方法があったことを思い出す。
「ああ富くじのことか」
「…とみくじ?」
富くじとは賭博とも取れるくじ引きの一種であり、宝くじの起源である。
歴史は深く、寛永の時代(1624年~1643年)から行われている。当時は商品と対象とせず金品を与えていたのだが、天保の時代には一切の突富興行が禁止された。
……と物の本で霖之助は知っていたのを思い出したのだが、こんな歴史マニアのようなことを知っていては怪しまれるためにごまかした。
「あ、いやなんでもない」
蓮子は特に疑う様子もなく話を再開させた。
「先週くらいから私とメリーでやってみるんだけど、なかなかいいのが当たらなくて…。あとこの券が一枚あれば一回できるんだけど」
「それってこの券のことかい?」
霖之助は財布とは名ばかりの小銭入れをポケットから取り出し、蓮子が見せた券と同じものをとり出した。
「それそれ!なんか買ったの?」
霖之助は物欲があまりなく、バイト代もほとんど残っている。
たまに自分のバイト先である本屋にて本を買ってくるか、間食としての菓子を買う程度。もしくは蓮子やメリーへのせめてもの生活費として消えている。
そんな霖之助が自ら買い物をすることが珍しいため、蓮子は何を買ったか気になった。
バイト先の本屋は商店街の福引の対象となっていないし、間食程度の買い物では福引券はもらえないのだ。
霖之助は思い出すようにうーんと声を出し。蓮子をジロリと見ながら言った。
「この間パシられたとき…」
「じゃあ霖之助の運試しだ!」
蓮子は何事もなかったかのように霖之助に自分の持っているだけの券を与え福引の列に並ばせた。
霖之助は軽く息を吐くとやれやれと呟いた。
「おっ!頑張れよ兄ちゃん」
法被(はっぴ)を羽織った中年の男性は元気よく、見た目ほど老いていないのかもしれないと霖之助は思った。
六角形の抽選器の取っ手を取ると中で小さな玉がカラリと動いたのが分かる。
「これをこっちに回せばいいんだね?」
「霖之助!もう私ティッシュはいらないから!5等のたわしセットでいいから!」
蓮子は手を合わして祈るのを背に霖之助は抽選器を回した。
カラカラカラ…コロンッ
***出た玉の色は…***
「はぁ?!温泉旅行?!」
ところ変わって自宅。
大学からすでに帰っていたメリーは目を丸くして驚くばかり。
当たったのは1等のペア温泉旅行。
蓮子は未だ興奮しているようで自分が当てたように喜んでる。
「霖之助すごいよねぇ」
「運がよかったんだよ。ペアみたいだし、君たちで行ってきたらどうだい?」
霖之助は自分の手にあった温泉旅行のチケットを2人に差し出した。
しかし、その行動に2人は眉をひそめる。
「霖之助が当てたのに?私たちが行くの?なんだか悪いわ」
「そうだよ!バイト先にいないの?一緒に行ってくれる友達」
「それは…」
蓮子は知らないのだ。霖之助がこの世界のヒトではないことを。
見知らぬ人間が霖之助のちょっとした態度に怪しむことがあることを霖之助は恐れていた。
そのことはメリー及び紫も同じように考えており、助け舟を出すために口を開こうとするが、喉にものがつっかえたようにうまく言葉に出なかった。
その間にも蓮子は霖之助に「どうなの?」と迫っている。
「えっと!だから…蓮子…。霖之助と一緒に行ってきたら?」
やっと口から出た言葉はメリーにとってあまり口に出したくないものであった。
「えぇ?!なっなんで?!」
「だって…その…言うなれば蓮子と霖之助がいたからその温泉旅行が当たったと言っても過言じゃないわ。だから…」
「でも…」
霖之助は少女2人に行かせようと思っていたので、メリーを反対しようとしたとき、蓮子から思わぬ言葉が出てきた。
「わかった!メリーと一緒に行きなよ霖之助。私留守番してるから」
「蓮子?!」
驚いた二人をよそに蓮子はグッと手を握って親指を上に突き出し、心配しなくともよいと言わんばかりの態度で言う。
「大丈夫!家のことはまかしといて!」
「蓮子温泉好きじゃないっ」
「んもー!遠慮しない!」
「遠慮してるのはそっちじゃない!」
譲り合い精神は良いことだと思うが、むしろムキになってお互いを薦めあっている様子は見ていて不毛な戦いである。
そんなことを思いながら一触即発の2人を霖之助はなだめた。
「分かったから二人とも落ち着いて…」
しかし、霖之助は気付いていなかった。自分が火種になっているということを。
「霖之助はどうしたいの?!」
「そうよ。当てた本人に決めてもらえば私たちは何も言わないわ。さぁ!」
なぜか目を血走りながら二人は霖之助に詰め寄る。
「さぁ!」
「さぁ!!」
頬に冷たい汗が流れるのを感じながら、霖之助の出した答えは…。
***で…***
「うわぁ!今、四十雀(シジュウカラ)鳴いた!」
「すっかり秋ね」
周りの見事な紅葉の景色に少女2人ははしゃいでいた。
少々暑さの残る街と違い、山の秋は初冬のような寒さが肌をなでていた。
電車で2時間。タクシーに乗って30分。そして歩いて15分の場所に旅館はあるはずなのだが、何しろ歩く場所が場所なのでたった15分の移動でも一苦労していた。
とくに霖之助が。
「あと…どれくらいで宿に着くんだ…?」
「霖之助は運動不足だねー」
霖之助の息遣いに蓮子は呆れている。
本来の無縁塚周辺を歩く半妖の霖之助はこの山道は苦ではない。しかし、今霖之助の手には荷物が3つぶら下がっているためにしょうがないともいえなくもない。
「いや…なぜ僕が君らの分の荷物を運ばなければならないんだ…」
「男の子だからよ」
「何か…差別を感じる…」
落ち葉とも土とも見紛う地面には巨石が顔を覗かしている。
石段とは名だけの階段は上へと続き、周りの赤や黄色の紅葉は霖之助に秋の妖怪の山を思い出させた。
幻想郷と違うのは周りから聞こえる音は妖怪の鳴き声ではないことくらいで、夜雀の歌ではない四十雀の歌が耳に入ってくる。
霖之助の手が痺れてきたときだった。やっと旅館は目の前に現れた。
「あ!見えた!」
貫禄のある旅館は山の中にひっそりと存在していた。
仲居だろう着物をきた女性が愛想よく部屋に案内し、福引で当てた部屋とその隣の部屋に案内される。
霖之助の希望したとおり、温泉旅行券はメリーと蓮子に行き渡った。
そのかわり、3人はもう一部屋予約をしたのだ。それが今回霖之助の寝床になる部屋である。
誰が留守番するということではなく、3人一緒に行くということに決定したのだ。
結果、それぞれ3分の1の料金で旅館に泊まることになった。
これに関して少女2人の反発はなかったという。
はじめ、一部屋分を霖之助一人が払うという意見には少女2人の猛反対があったのだが、これは別の話。
***旅行といえば?***
カポーンという音がしそうな広い露天風呂に少女2人はご満悦だった。
「温泉最高!」
「さすがねー」
少女2人は大きな岩風呂に腕を延ばしてお湯に浸かっていた。
髪の毛を上げて湯に浸からないようにするのも忘れない。
あまり客もいないようなのでほぼ貸切状態である。
秋の高い空を見上げながらの温泉は2人を癒していた。
主な効用は、神経痛、筋肉痛、関節痛、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、疲労回復、切り傷、火傷、慢性皮膚病など。
この温泉は俗に言う『美人の湯』と呼ばれ、炭酸水素塩泉であると霖之助は熱心に説明していたが少女2人はあまり聞いていなかった。
蓮子はパシャリと水音を鳴らしながらメリーに近づいて、ニヤリを口角を上げて言った。
「ねぇメリー?」
「胸の触りあいなんかしないからね?」
「べ!別にそんなんじゃないよ!………ちぇ」
何かお約束なことが無性にしたくなった蓮子の思惑はメリーには筒抜けであった。
小さく呟いた最期の舌打ちにメリーは苦笑するが、蓮子に聞いてみたかったことを聞いてみることにした。
「……ねぇ霖之助がここに来てもう随分経つけど…蓮子は霖之助がいて…その……楽しい?」
「うん楽しいよ。霖之助面白いし。今時の人じゃないよねー」
「まぁ…そうなんだけど…」
蓮子は笑いながら即答するが、メリーは「そうゆうことじゃなくて…」と小さく呟いたが蓮子には聞こえなかった。
「? どうしたの?」
「別に…何もないわ…」
「変なメリー。そんなことより他のお風呂行こう!ここいくつもお風呂あるんだって!」
「…ええ」
湯気立つ水面に波を作りながら、二人は違う湯を求めて歩き出した。
***入浴後***
3人は特に温泉から出る時刻を話し合っていたわけではなかったので、少女2人は時間が許す限り入浴を楽しんだ。
メリーが茹でタコのように真っ赤になってやっと蓮子はお腹が空いたからもう出ようと言って出ることになった。
もう夕飯が部屋に運ばれるような時間である。
食事はみんな一緒に食べることは約束していたので駆け足で部屋に戻りたかったが、火照った体はうまく動いてくれなった。
「熱い…」
蓮子に付き合って茹でタコのようになったメリーはおぼつかない足取りを必死に進めていた。
蓮子の肩を借りながらゆっくりと移動する姿はまるで病人のようだ。
「少し湯に浸かり過ぎちゃったね。ごめんごめん」
「いいのよ…私も考えてたし…」
「え?何?」
「何も…。霖之助お待たせ」
やっとの思いで部屋に着いた少女二人を待っていたのは、温かい料理と浴衣姿の霖之助であった。
「二人とも遅かったね。…随分顔が赤いが、上せたんじゃないか?」
「私のせいだね。私東京っ子だし、つい熱い風呂は我慢してでも入っちゃうんだ」
江戸っ子は熱い風呂が好き。
そんな話は霖之助でも聞いたことはあるが、妖怪である紫およびメリーをここまで上せあげた蓮子は大物なんじゃないかと霖之助は思った。
まさか蓮子は八雲紫をも越える大妖怪なのでは?霖之助は首を振って自分の意見を否定し、2人に食事を薦めることにした。
「まぁもう食事は来ているし、お腹もすいてるだろう?」
「わ!会席だ!」
蓮子は部屋の会席料理を見ると興奮した様子で席に着いた。
借りていた肩がなくなったメリーはゆっくりと部屋の中を進む。
そして、軽く蓮子に注意をしようしたときだった。
「蓮子、鍋でやけどしないように…きゃ!」
未だ冷めない体は重く、足がもつれて倒れそうになったのだ。
妖怪の癖にこんなドジなことをしてしまうのかと自分を惨めに思いながら、視界は暗転…するかと思われた。
「おっと」
メリーは何か温かいものに包まれた。
霖之助の胸に飛び込む形で支えられた体は、上せた体をもっと上せあげる。
メリーはこのままずっとこの体勢でいたいと思ったが、ふと自分の衣服を思い出す。
あまりに上せたままだったので下着を着ていないのだ。
霖之助の胸板にはやわらかい2つの山が当たっている状態。
メリーは急に恥ずかしくなって霖之助から飛び退いた。
「ご、ごめんなさい」
「いや、謝ることじゃない…」
恥じるメリーを見て、胸板に当たる山の正体が分かった霖之助も、さすがに照れる。
そんな2人の様子をすねたように見ていた蓮子は、ジト目になりながら言った。
「…二人ともーご飯冷めちゃうよー」
「あ、ああ」
「そ、そうね」
***おいしい食事***
「おいしいぃ」
一人用の小さな鍋をつつきながら、蓮子は料理を堪能していた。
地鶏をふんだんに入った鍋。山の幸を存分に使った料理。旬の食材を使うことも忘れていない。
うまい空気、うまい酒、今宵は満月。
会席料理は瞬く間になくなっていく。
すると、メリーがふと思ったことを口に出した。
「それにしても豪勢ねぇ。商店街の福引なのに」
「ああ、これはちょっとプラスをしたんだ」
「プラス?」
霖之助がその訳を答えると、少女2人は声を合わせて復唱した。
「いつも2人には感謝をしているから、食事だけでもと思って僕が…」
つまり霖之助がこの料理の代金を出したということ。
照れたように言う霖之助に対し、メリーと蓮子は立ち上がって叫んだ。
「なんですってぇ?!」
「最後まで言わせてくれてもいいんじゃないか?」
「いくらよ?!」
「そんな…僕が払うんだから…」
「霖之助にお金を払わせるとなんだかカツアゲした気分になるのよ」
「カツアゲって…」
蓮子は額を押さえながら正直に自分が思ったことを言ったが、カツアゲとは酷いものである。
無理して出したわけではない。
使う当てもなかった金を霖之助が自分で決めて出したのだ、ここまで反論されてしまうと言うんじゃなかったと後悔さえ出てきた。
「…2人は…僕からのプレゼントが気に入らなかったのかい…?」
「そうゆうことじゃなくって…」
しゅんと肩を落とした霖之助を見た2人はさすがに言い過ぎたと気付き、慌てて弁解する。
「違うの!霖之助は別段何もしなくてもいいっていうか…」
何もしなくてもいいのは言いすぎだと思ったメリーは、蓮子のフォローを期待した。
「なんだか霖之助って私たちの弟みたいで」
「そうそう…って弟ぉ?!」
蓮子のフォローにメリーは思わず頷くが、恋愛対象としてみていた霖之助を弟呼ばわりした言葉に驚いた。
メリーは口をパクパクさせて首を振って否定しようとしたが、蓮子の言葉は続く。
「うん!なんていうか…ペット…?いやいや!家庭に一台欲しいって言うか…」
「これは喜んでいいのかい…?」
「もちろん!」
メリーは否定したかったが、内心蓮子が霖之助のことをどう思っているか分かってホッとしたような、それともそれは本音なのかと疑うような複雑な気分だった。
しかし、二人の笑いあう姿を見てまぁいいやと思うあたり、それほどメリーにとって2人は特別な存在なのだろう。
***就寝***
羽目を外しすぎたとはこういうことだろうと霖之助思った。
ぐでんぐでんに酔った蓮子を部屋で寝かすまでこの部屋の状態に気付かないふりをしていたが、い ざ目のあたりにしてみるとほろ酔いかけた頭がハッキリしてくるのが分かる。
部屋は酒のビンと酒の匂いが充満し、食べ残した食事が床にばら撒かれていた。
食事の際、酒を頼んだのが失敗だったのだろう、食事は小さな宴となったのだ。
「…どこの神社だ…」
宴の後の博麗神社に似た部屋に霖之助は力なく呟く。
結局蓮子の就寝と共に少女2人は部屋に行ってしまったので、旅館の人に悪いと思った霖之助は自分で片付けられる範囲だけを片付けて布団を敷いた自分の部屋に戻っていった。
その夜のこと。
乱暴に扉をノックする音で目が覚めた霖之助は訪れた来客に驚いた。
「りりりりりり霖之助!!!」
「蓮子…どうしたんだそんなに慌てて…?」
蓮子はパクパクと口を開くだけで何も言う気配がない。
夜遅くに女性が男の部屋に入ることはあまりよく思わなかったが、ひどく動転した様子の蓮子を放っておくこともできず、霖之助の部屋へと招き入れた。
そして、全身を震わせる蓮子の背中をさすりながら、蓮子の言葉を待った。
「ででで出た!!」
「出たって…何が…」
血の気の引いた顔からやっとのことで出てきた言葉は、霖之助にとってはあまり驚くことではなかった。
「ゆゆゆ…幽霊!!」
「…幽霊」
霖之助は腕を組んで「ふむ」と考え込むと、幻想郷の幽霊について思い出していた。
半霊の少女と、亡霊のお嬢様。
春雪異変に関与した人物であるが、恐ろしいと思う相手ではないし、そもそも幻想郷の幽霊は冷たくて、ここのクーラーのような存在で重宝していたくらいだ。
そういえばお嬢様にいたっては食される危険性があるとかないとかと聞いたことがある。しかし、所詮霖之助のように皮も肉も硬い妖怪を食らうことはないと分かっているのでそこまで畏怖することはなかった。
クーラーよりも幽霊のほうが程よく体を冷やすことができるので、出るなら暑くてしょうがない夏に出てきてくれればいいものをと、のん気なことを思っていたときだった。涙目でじっとこちらを覗く蓮子は不安げに尋ねる。
「霖之助怖くないの?!」
「…いや、これといって…」
しかし、蓮子の顔からは血の気が引くことばかりで今見た衝撃を霖之助にぶつける。
「私見ちゃったんだよ!髪の長い女の人!金髪で!紫色の服着てて!消えちゃって……あれはどう考えても幽霊だよ!」
どこかで見たことある特徴の女性だ。と思ったが、蓮子にそんなことを言う気はなく、とにかく勇気付けるために言葉を選んでいく。
「……そうゆうオカルトな話蓮子好きじゃなかったかい?」
蓮子の大学でのサークルは境目を暴くオカルトサークル『秘封倶楽部』であることは知っていたし、夏の特別番組の幽霊特集は録画してまで見入っていた。
しかし、今の蓮子は恐怖におののき、声もうまく出せない状態である。
首を振って「そうじゃなくて」と否定する。
「っでもでも!メリーが!!」
「メリーが?」
一言言えたことで安心したのか、後の言葉は流れる水のよう出てくる。
「メリー部屋に居なかったの!!どうしよう霖之助!メリー幽霊に誘拐されちゃったかも!」
「…それはないと思うよ」
メリーの正体は幻想郷屈指の大妖怪・八雲紫である。
そんなメリーが幽霊にさらわれることは皆無だろう。
あとの居なくなった原因となれば、考えることは二つ。
「なんで?!メリーは確かに境目が見えるし、1人でも好奇心に負けてほいほい夢の中に連れて行かれちゃうけどっ!でも…あの幽霊笑ったの!私に…!」
「…えっと…そうだ、風呂に行ってるかもしれないじゃないか」
“風呂”だという可能性を考えていなかったのか、霖之助の言葉で蓮子も落ち着きが現れてきた。
「そ、そうかも…だけど…」
メリーが今居なくなってしまったとしたら、風呂に入っているか、“紫”になって幻想郷に戻っているかだ。
蓮子の目撃したところをみると後者としか考えられない。
今霖之助に出来ることは、“紫”が戻ってくるまでの時間稼ぎと、蓮子を大人しく寝させることくらいだろう。
「きっとそうさ。君がメリーは幽霊にさらわれたと騒ぐくらいだ。今君が部屋から居なくなっては戻ってきたメリーが騒ぎ出すんじゃないか?」
「メリー帰ってきて私が居なくなってたら怖がる、かな…。そうだね…。でも…」
未だカタカタと震える足が立つことを許してくれないようだ。
涙目で見上げる蓮子に、軽くため息をついて立ち上がる。
「じゃあ蓮子はここで待っててくれないか?僕が君らの部屋に置手紙でも置いておくよ。蓮子は僕の部屋にいるって」
すべては蓮子を安心させるため。そう思っていたのだが、立ち上がったものの、浴衣を掴まれ動けなくなってしまった。
「いやぁ!今一人にしないで!!霖之助まで連れ去られちゃう気がするの!!」
おそらく未だに酒が抜け切れていないのだろう。蓮子のこんな姿を霖之助が見るのは初めてだった。
メリーはさらわれたと思っている蓮子は今1人になることを恐れている。
どうにか安心させようと言葉をかけるが、今の蓮子には何を言っても無駄のようだ。
「……考えすぎだよ」
「でも…メリーが…!メリーが…うぅ、うわぁ…! ああぁぁああああ!!!」
情緒不安定なのか、それとも幽霊の姿に動揺しているのか、蓮子は泣き出してしまった。
* * *
泣き疲れたのか、蓮子は霖之助にもたれた状態で眠っていた。
浴衣を握る指が離れるまで。そう様子を見ていたが、一向に指に力が抜ける様子はない。
そのとき、ふわりと風が舞った気がした。
「ちゃんと寝てから出て行ったつもりだったんだけど…」
そこには紫色のワンピースを着た女性が立っていた。
長い金糸が風もないのに揺れ、形のよい唇を結んでジッと蓮子を見ている。
「“紫”を見たようだよ。気を付けないとメリー」
「今は紫よ」
いつかは『今はメリーよ』と言ったくせに。と突っ込みたかったが、霖之助はぐっと我慢した。
「……どちらにせよ。蓮子はメリーのことが好きなんだね」
紫は淡い光を放ちながらメリーに戻ると、得意げに微笑んだ。
「親友よ?当たり前じゃない」
「…そうだね」
メリーは蓮子の頭をなでると、蓮子は安心したように顔をほころばした。
同時に浴衣を握る指にも力が抜けて、霖之助は蓮子を一時的に寝かせるためにそっと自分の布団に横たわらせた。
その行動を見ていたメリーは何を思ったのか、
「私もここで寝ようかしら」
と言い出した。
すると、霖之助はくるりと出入り口に向かって歩き出した。
「じゃあ僕は向こうで寝よう」
もちろん、メリーにとってこの霖之助の行動は予測済みである。浴衣の襟を整えながらニヤリと口角を上げたメリーは背を向ける霖之助に言い放つ。
「…気をつけて“本物”いるから」
「………は?」
くるりとメリーの方を向いて真意を確かめる霖之助に、メリーは笑みを押さえながら口から出た言葉の意味を話す。
「なかなか執念深い霊よ」
少々考え込んだが、霖之助は気にしないように冥界の従者とその主を思い出していた。
「まぁ僕の半分は彼らと同じようなものだし」
「幻想郷の霊とこの世界の霊は質が違うから気を付けてね?まぁ私のようにつよーい妖怪が居ればそんな下等な霊もいないも同然なんだけど」
「………」
霖之助は外の世界の妖怪・幽霊を知らない。元は同じ仲間だろうが、殺すか殺さないか、善意を持っているのかいないのかも分からないのだ。
蓮子と一緒に見た夏の幽霊特集は、人間に害をなす幽霊しか映し出されていなかった。
マスコミが“恐怖”を前面に出すための仕様とも取れた情報だったものの、霖之助が幻想郷の幽霊と外の世界の幽霊の違いを知るすべはない。
マスコミの言いなりになることは進まなかったが、外の世界に連れ出した紫の言うことを信じるしかないのだ。
霖之助は腕を組んで悩んだものの、不安げな顔をしながらメリーに尋ねた。
「布団だけこちらに持ってきてもいいだろうか…」
メリーはニッコリと答えた。
「もちろん」