季節のために空は灰色に染まり、冬の寒さに震えながら人々は歩いていた。
しかし、世間の女性はピンク色の大きなリボンの宣伝に誘われるように店に入っていく。
テレビ画面に写る女性は皆生き生きとしていて、自分用に、義理用に、本命用にそれぞれ買った甘い進上物をこれ見よがしにカメラに向けていた。
「バレンタインデー…ねぇ」
テレビをジト目で見ていた蓮子は頬杖をつきながらそう呟き、自分と同じくコタツに入っていた唯一の男性に向かって問いかけた。
「霖之助はモテるからたくさんもらえたんじゃない?」
霖之助は別段テレビの内容を深く見ていなかったので、一瞬何を聞かれているか分からなかった。
テレビに映るピンク色のパッケージを見て、ふむ。と考え込む。
バレンタインデー。
女性が意中の男性にチョコレート渡す日本特有の風習。
某菓子メーカーの陰謀だと本で見たが、とりあえず問われていることに答える。
「そもそもこんな習慣なかったからね」
「えぇ?!」
驚く蓮子に、幻想郷に合わせた、つまりこことはそぐわない答えを言ってしまったんだと気付いた霖之助はあわててフォローする。
「…えっと…かなりの田舎でそこまで気が付かないんだよ…!」
蓮子は目を見開いて信じられないという表情をしたが、すぐに何もなかったかのように話を進めた。
「そうなんだ…じゃ!私からあげようじゃないか!」
「チョコレイトかい?いいのに」
「ただあげる人がいないんだよ!霖之助が私のチョコを受け取る人になっていいじゃない!ね!メリーもそうでしょ?」
屈託のない笑みは、同じくコタツに入っていたメリーに向けられた。しかし、食い入るようにテレビを見ていたために、蓮子の質問に弾かれたように身を強張らせる。
「えっ?! …えぇそうね…」
刹那、蓮子は霖之助のことを好いているのではないかという疑問が頭を過ぎった。
そしてすぐにブンブンと首を振って、思ったことを否定する。
(バカみたい…蓮子に嫉妬だなんて…でもあげれば気にしてくれるかしら、私の気持ちに…)
画面いっぱいのピンク色の背景は、どうしても胸を躍らせ、そして不安に駆られてしまうものなのだ。
好きな人の前でドキドキしないわけがない。
親友の好きな人が自分の好きな人と同一人物なのか気にならないわけがない。
バレンタインデー。それは、想いを寄せる女性の勇気が試される日。
* * *
2月14日 セントバレンタインデー
「はいどーぞ」
蓮子の手には両手に収まる程度の箱が置かれている。
中身はもちろんチョコレート。
「ああ、ありがとう」
ふふっと照れたように笑う蓮子は、くるりとメリーの方を向いて笑顔で問いかける。
「メリーもあるんだよ?ねっメリー?」
「……えぇ…」
力なく答えるメリーの表情はよく見えない。
いつもの帽子がいつもより深く被られているのか、俯いていることと前髪が邪魔で顔が見えない。
ただ、蓮子にも霖之助にも分かるのは、酷く顔が紅いことだ。
「メリー大丈夫?なんか顔色悪いけど…」
「…大丈夫よ」
心配する蓮子の手を自らの手で止め、メリーはおずおずと霖之助の前に出た。
そして押し黙っていたメリーは、決意したように霖之助の前に箱を差し出す。
その顔はさっきよりもさらに紅い。
「……霖之助…受け取ってくれる?」
「? もちろん」
霖之助はなぜここまで遠慮ぶるのか分からなかったが、折角の贈呈品をありがたく手に取るのであった。
「…あ、の…」
ひどく顔を紅くしてパクパクと口を開くものの、うまく声に出ないようだ。
何かを言おうとするもすぐに口を閉じて俯いてしまう。
「? どうしたの?なんかいつもと様子が…」
「だっダメ!!間違えた!これ蓮子のなの!」
メリーの様子に蓮子が心配するように顔を覗くと、霖之助にあげたチョコレートを乱暴に奪うと、同じ速度でそれを蓮子に押し付けた。
「…えっと。ありがとうメリー…」
蓮子は突然のことに戸惑ったものの、貰った箱に注目した。
シックな色使いながらシンプルな箱にはゴシック調のGODEVAという文字が見える。
「ってこれゴデェバじゃない!!友チョコにしては力入ってない?!」
それは高級チョコレートのブランドであるメーカーのものだった。
いくら親友の蓮子でも友達へのチョコレートにこれは高級すぎる。
「そうかしら…?」
あさっての方向を向きながらメリーはどうとも思っていないように振舞う。
「ごでぇば…?」
「高級チョコレートの店だよ…!」
「…霖之助にはコレ!」
蓮子があたふたしている隙に、メリーは霖之助に別の箱を渡した。
「…随分かわいらしいチョコレイトだね…」
「クマだ!かわいい!」
クリアな包装紙からは、ネクタイやチョッキを着こなしたテディベアのチョコレートが並べられている。
「霖之助にピッタリでしょ?」
「そうかなぁ…」
疑う蓮子を他所に、霖之助は「もらえた事に感謝しないとね」などと天然なのか、ただ事なきを得ようとしているのかわからない回答をした。
霖之助のことだろう、間違いなく前者で正解だろうが蓮子は納得しない。
「………」
「そうよ!何事も感謝しなくちゃ!」
霖之助の言葉にホッとしたような、焦っているような様子に蓮子はメリーに訝しがるばかりだった。
* * *
その夜。
「メリー!ダメだよ!ちゃんと渡さないと!」
「な…なんのこと?」
布団を敷いてもう寝ようとしているとき、蓮子は布団の上に正座してメリーと向かい合った。
蓮子につられてメリーまでも布団の上で正座をし始め、2人の間には険悪なムードが漂う。
「もーとぼけちゃって…チョコ!私のチョコがこんな本命チョコだなんて思わないよ!」
「そ、そっちこそ間違えよ!私は蓮子だからこのチョコを渡したんだもの」
未だ隠そうとするメリーに業を煮やした蓮子は怒鳴るよう言った。
「意地張らなくていいよ!」
それに対抗するようにメリーまでも怒鳴る。
「意地なんて張ってないわ!」
じりじりと2人の間に火花が散る。
ここまで来ると子供のケンカのような言葉が出てくる。
「意気地なし!」
「分からずや!」
「なによ!むっつり!」
「なんですって?!この鈍感!」
「外人!」
「地味っ子!」
言っているのも聞いているのもバカらしくなる言い争いは、ドアを叩く音によって制された。
コンコン
この部屋に住むヒトは3人。つまりノックする人物は一人しかいない。
「……霖之助?」
「寝る前で申し訳ないんだが…少しいいかい?」
ドア越しのためのくぐもった声に、2人は顔を見合わせ言い争いを止めると、ドアに駆け寄り2人して霖之助を出迎えた。
* * *
「まさか霖之助が夜這いとは…」
「違う。なんだかテレビで男性もあげてもいいと言っていたから…」
蓮子の冗談交じりの言葉は早々に否定され、その代わり花の装飾が付いた箱を2人に渡した。
「私たちに?」
「さっきはなんだか渡せなくて…」
さっきと言うとメリーが真っ赤になり、その様子に蓮子が疑っていた“さっき”なのだろう。
霖之助はわずかながらメリーの様子に異変を感じていたのだ。
そのことを思うとメリーは恥ずかしくもあり、情けなくもあり泣きそうになった。
「ごめんなさい…」
「謝ることじゃないさ。誰しも間違えはあるものだよ」
しかし、異変を感じていながら霖之助が思うことは妙にずれている。
「メリーが本当に間違えたと思ってるの?!」
「違うのかい?」
霖之助のずれた意見に蓮子は憤怒するも、当の霖之助は全く問題に気付いていない。
「違うも何もメリーは…!」
「蓮子。私本当に間違えちゃったのよ?」
メリーは手を前に出して制すると、蓮子は「でもっ!」と口を開いた。
しかしメリーの真っ直ぐな目は、蓮子にその意味を伝えるには十分なものだった。
「…むぅ…」
口を尖らせて押し黙った蓮子にメリーは安堵と、そして蓮子の優しさに頬を緩めた。
「……じゃあさ、このチョコ一緒に食べない?なんだか私お腹空いちゃった」
それはメリーから蓮子へと渡った高級チョコレートの箱。
「太るんじゃないか?」
ムカッと言う音が…聞こえたような、聞こえなかったような。
「あーそう。じゃあ霖之助にこのチョコあげないよ?これすっごくおいしいんだから」
「ただ注意しただけで食べないとは言ってないじゃないか」
コーヒーを淹れよう。そういって居間に向かう霖之助を見送りながら、蓮子はメリーに目配せし、小声で囁いた。
「これで食べてもらえるよ」
蓮子の手に渡ったチョコレートは本当だったら霖之助に渡るべきもの。
それはチョコレートと共に気持ちも渡るべきものだった。
それが蓮子の手にある以上、チョコレートに込められた気持ちは霖之助に届くこともなく、食されることもない。
そこで、蓮子は『みんなで』という条件を付けつつも霖之助に気持ちのこもったチョコレートを食べさせることにしたのだ。
チョコレートという気持ちのこもったものを食べてもらうくらいは、メリーだって気分が楽になるというもの。
…気持ちが霖之助に伝わるかどうかは別問題なのだが。
「…もう、蓮子ったら…ありがとう」
メリーは肩の力をフッと抜いて蓮子に呟いた。