《いつかの日》



 いつもと同じような空。
 いつもと同じような風。
 いつもと同じような光が差し込む日。
 いつも通り、何事もなく過ぎようとしていた。
 …その日のその時刻まで…


 巫女と魔法使いが香霖堂にたむろしている。
 巫女である博麗霊夢は茶を飲みに、魔法使いの霧雨魔理沙は本を読みに。
 ようは暇をつぶしに来ているのだが、特に暇をつぶせるような会話もなく、時間は流れていく。
 一言二言の会話が終了すると、香霖堂店主である森近霖之助は窓を見上げて目に見えて変化した外を発見した。

「おや、霧が出てきたね」

 真っ白な霧は香霖堂はおろか幻想郷中を覆うかと思わせるほど。
 これを見た霊夢と魔理沙は争うように外に出て行ってしまった。
 霊夢と魔理沙、どちらにせよ、この白い霧は早々に解決されるだろう。
 霖之助は本を片手に呑気に構えていた。

 すると「ごめんください」と一言言いながら少女が入ってきた。

「いらっしゃい」

 黒い帽子を被った少女・宇佐見蓮子は店内を見回しながら

「あ、ここやっぱり店だったんだ」

 と言った。

「その様子だとお客さんじゃないみたいだね」

「ああ、うん。迷子なの」

「…外来人かい?」

「え?私普通に日本人だけど」

「なるほど」

 まさかと思いながら、問いただした答えに、蓮子はわけが分からない様子である。
 完璧なる神隠しだな。そう思うと同時にある女性を思い出す。

「友達とミステリーツアーに参加してたんだけどはぐれっちゃったみたいで」

 ミステリーツアーとは名ばかりで実際はただ道順を客に教えないツアーなのだが、蓮子が見つけたミステリーツアーとはまさに謎を究明するツアーだったそうな。
 しかし、それと幻想郷は関係はない。

「そうか、まあそのうち案内してくれる人がくるからここで待っているがいい」

 案内してくれる人。おそらく神隠しに携わる女性が迎えに来るだろうと高をくくり、蓮子を香霖堂で接客と言う名の非難をさせることにした。

「ここは何の店?」

「道具屋だよ」

「コンビニみたいなもん?」

「こんびに?」

「コンビニエンスストアだよ。24時間営業のさ」

 はて、コンビニとは?そう思うと同時に残念ながら24時間も連続営業はいくら半妖の霖之助でも出来ない。
 否、そんなに営業していても売り上げが上がることはないだろう。

「僕の店はそんなに長いこと営業してないよ」

「そうなの?じゃー骨董品店かな?」

「だから道具屋だって」

「ふーん、あ!これかわいい」

 霖之助の言い分もそこそこに、蓮子は店内にあった妖精の置物に興味を示してしまった。
 霖之助はため息を吐くと、お茶を用意しようとその場を少し離れてしまった。





「はい、どうぞ」

「あ、どうも」

 少々熱めのお茶。
 外が霧に覆われている今、それくらいの方が丁度言いと言うものである。
 一口お茶を飲んで、ふと蓮子の動きが止まった。

「…あれ、これどこのお茶?」

「里で買ったものだが」

「なんか懐かしい感じがして…」

「何か問題でも?」

「ううん!とってもおいしい!」

 ニコニコと蓮子は笑う。
 それにつられて霖之助も笑みを作った。
 お互いに何かひっかるもの物があったものの、笑っている相手にそう思うのは失礼だろうと思ったので何も言わなかった。

 その後一言二言の会話をし、霖之助は蓮子に問うた。

「ここまでどうやって来たんだい?」

「それが話せば長くなるんだよねー。いかつい顔のツアーガイドさんについていって…そしたら真っ白な霧が出てきて………」

「? どうかしたかい?」

 問いに素直に答えようとするのだが、蓮子の言葉は途中で詰まってしまった。
 不思議そうにしている霖之助に蓮子はジト目で睨みつける。

「…いや、言っても信じない内容だから…」

「笑わないさ」

「本当?」

「ああ」

 真剣に聞くことを約束すると、本当は言いたくてしょうがなかったのだろう、蓮子の言葉は溢れるように出てきた。

「それがさ! フワッと私の体が浮いたんだよ! ピュ―ッと空飛んで…まるで夢の中みたいだった…」

「ほう」

「季節感のないものだったり、ありえないものが私の目の前でグルグル回っていたような…」

「たとえば?」

「翼の生えた女の子とか…大きな桜の木…色とりどりのふすまが永遠に続く道…長い滝に流れる紅葉…。別世界みたいで…きっとここは境目の向こうなのね」

「境目?」

「ん。なんでもない」

 いつも親友と解明したくてしょうがない境目の向こうを、関係ないだろうヒトに言いたくなかったのだろう。
 蓮子は境目の話はそこで止め、自分の見てきた風景を霖之助にこと細かく説明する。


 小半刻(30分)ほど話していただろう。ふと、霖之助は蓮子が商品を触っていることに気が付いた。

「それ、気に入ったかい?」

「あ、なんだか手に取ったら触ってたいなって思って…ダメ、だった?」

「お買い上げかい?」

「今持ち合わせが…」

 蓮子が必死にポケットを弄るが、残念ながら1円一枚もなかった。
 持ち合わせがない。そう分かっていても、不思議とその商品・リボンが欲しくてたまらなかったのだ。
 金銭がないと分かった霖之助は言った。

「物々交換でも構わないよ」

「物々…ずいぶん時代遅れだね…」

「等価交換は、商売はもちろん物理学上、生物学上ごく当たり前の自然現象だよ。遅れも速いもない。で、どうするんだい?」

 その言葉に蓮子はニヤリと笑った。

「なるほど。じゃ、リボンに対したらリボンで返すしかないね」

 そして、自分の被っていた黒い帽子、そこに巻いてあったリボンをしゅるりと解くと、霖之助の目の前に出した。
 が、霖之助はそのリボンを一目見ただけでため息をついた。まるで話にならない。そう言われたようで蓮子はカチンと来たことは内緒である。

「このリボンと君のリボンじゃ価値が違いすぎるよ。これは四十葉のクローバーのエッセンスを含んだ幸運を呼ぶリボンだよ。君の雨風を受けたリボンとはわけがちがうものさ」

「失礼だなぁ。貴方商売する気ないでしょ」

「君が素直に相当の価値を持つものを出せばいいんだよ」

 霖之助が言葉巧みに商売をするのであれば、客である蓮子にだってその資格はある。
 引きつる眉をグッと我慢しながら、自信満々に口を開いた。

「言っておくけど、このリボンはただのリボンじゃないよ」

「ほう?」

「私がいた京都は首都なのは分かってるよね?」

「えっと…」

「ええ、当たり前だから声も出ないわよね。今、新しい生地を生み出すことに力を入れてるの。化学綿と似たそれは従来のポリエステル素材じゃない。これはネオポリエステル素材として適応された新素材よ? ここら辺ではまだ入荷もしてないんじゃない?」

 本当はただのポリエステル素材である。
 が、蓮子は四十葉のクローバーなど聞いたことはないし、店主である霖之助がそのような法螺を吹くのであれば、こちらとて吹く権利だってあるはず。
 これが蓮子の言い分だ。

 その言葉に、やっと霖之助は蓮子のリボンを手に取った。

「……綿でも麻でもないな…たしかにただのリボンじゃなさそうだ」

 引っかかっている! そう思った蓮子の口は止まらない。

「ただのリボンだなんて! これは発売してまだ間もないのよ?」

 しかし、霖之助とて完璧に信じたわけではなかったようだ。

「じゃあなんでこれを交換しようと思ったんだい?」

「それは…」

 そう、もし蓮子のリボンが珍しいものであるなら、こんなところで売るわけはない。

「大方、これはただのリボンなのだろう?」

「くぅっ」

 ばれてしまった。騙していたに等しい行為に蓮子は顔を歪めて謝ろうとした。
 が。

「まぁいいだろう。僕も向こうの化学製品には興味がある」

「…いいの…?」

 別に蓮子が可哀想だと思ったからというわけではない。
 ただ純粋に外の世界の布製品に興味を持っただけである。
 霖之助は黙って頷くと、蓮子は花が咲いたように顔をほころばせた。

「そう? じゃあ決定ね!」

 気をよくした蓮子はリボンを取ろうとした、が。

「でも同等ではない」

「なんですって?」

「まだこちらの価値の方が勝っているのさ」

 まだ自分から何か取ろうとしている。この悪徳店主め。
 そう思いながら引き下がることは出来ない。が、これ以上渡せるものもない以上、蓮子にはなす術がない。
 蓮子は何かを決心したように不敵に笑った。

「…わかった。なら、今度このお代を払いにくるよ」

「それはツケにするということかい?」

「そうなるね」

 そう言いながら蓮子は自分の帽子に買ったリボンを結ぶ。
 その様子に呆けた様子で見ていた霖之助は呟くように言った。

「…来れたらね」

 幻想郷に戻ってくる外来人は居ない。
 否、聞いたこともない。
 もし蓮子が運よく幻想郷から脱出できたとしても、もう一度幻想郷に訪れることは稀である。その上、脱出すら危ういと思われる。
 なにしろここは幻想郷。妖怪・幽霊・神までも住む楽園が、外から訪れた人間をこころよく迎えるとは思えない。
 どこか諦めたような態度に、蓮子はムッと眉を寄せた。

「失礼だなぁ…。いいよ、ここに来れたんだから帰ることも出来る。なら、またここに来ることは可能のはずよ?」

「確かにそうかもしれないけど…」

 理論的にはそれは可能だろう。
 衣類(セーター)のように入るところが一つでも、出口、つまり腕や首を通すところは複数であったりする。
 同時に風船であっても、空気入れの入り口と出口は同じ場合もある。
 このように多くの場合、入ったなら出ることが容易いことがわかる。
 しかし、ここは幻想郷である。
 入る・出る、これを管理する賢者の気分次第とも言えるのだ。
 歯切れの悪い霖之助の様子に、蓮子は思いついたように口を開いた。

「じゃあ、逆に考えてみて、このお代が欲しかったら貴方がこっちにこればいいじゃない」

「外へ?」

「外? 何、ひきこもりさん?」

「いや、外の世界には行きたいとは常々思っているよ」

 蓮子にとって“外”=“家の外”と思われたせいで、どこか異様な会話になってしまっているのだが、2人はそのことに気付いていない。

「じゃあ私のおかげでひきこもりからさよならね。もしこっちに来たらお代と一緒に何かおごるよ。コンビニでよかったらね」

「…ああ、努力してみよう」

 前々から行きたくてしょうがなかった外の世界に行く見込みが出来たようで、霖之助に笑みがこぼれる。
 その笑みに何かフラッシュバックのようなものを蓮子は感じ、何か言おうとしたときだった。

 遠くで聞きなれない少女の声が店の外で聞こえた。
 それは蓮子のよく知る…

「あ!メリーの声だ!」

「迎えが来たみたいだね」

「うん!」

 いそいそと扉に駆け寄ると、蓮子は振り返って笑顔で手を振った。

「またね、霖之助!」

「また会おう、蓮子」



* * *



 蓮子とほぼ入れ違いで来店してきたのは、幻想郷の賢者であり、霖之助が苦手としている大妖怪・八雲紫だった。

「…こんにちわ」

「…君か。神隠しかい?」

「……そう、ね」

 先ほどの人間はおそらく紫が招きいれた・もしくは迷い込ませたのだろう。
 その力を羨ましいと思いながら、霖之助は立ち上がって用件を聞く。

「今日はどういった用件で?」

「…用がなくちゃいけない?」

「君の場合。大体は商品に用があるじゃないか」

「そうだったかしら」

「そうさ」

 ストーブの燃料しかり、小型の箱しかり。
 商品に用がなければ来ないはずの妖怪は、今日は少し違っていた。
 窓から見える桜の木をジッと見たと思えば、物思いに呟く。

「…桜…散っちゃったわね」

 霖之助は前触れのない会話に躊躇しながら、視線を紫と同じ方向に向けた。
 そこにはいつの間にか霧も消え、いつもの庭が姿を現していた。
 霧が無くなった。そう意識する前に紫の問いに答えることにする。

「ああ、なんだか寝ている間に散ってしまってね」

「…今度お茶をいただきに来てもいいかしら?」

 またも前触れのない会話。商品にしか用がない妖怪なのだが、その言葉は何某の巫女の言葉のようだった。
 何を企んでいるかは霖之助には理解が出来なかったが、ただ紫の思惑通りに進むことは癪でしょうがない。

「…まぁ、ただじゃ飲ませないかもしれないがね」

「例えば?」

「外に出るにはどうしたらいいか。とか…聞いてみたり」

 今自分が一番望むこと。それは外の世界への修行。
 ダメ元で言っていることは分かっているものの、どこか報われるのではないかと思うところがずうずうしいのかもしれない。
 霖之助のその言葉に、紫は一瞬言葉を失くしたが、すぐにいつもの妖艶な笑みを浮かべると

「…そう。安心したわ。じゃあ…」

 と言って何もないところからスキマを出し、そのまま居なくなってしまった。
 紫が何に対し安心したのか理解できず、霖之助は首を傾けるだけしかできない。
 それと同時に聞こえた言葉がある。
 それこそ霖之助には何のことか分からずに、やはり大妖怪の思うことは分からないと呟くことしか出来なかった。


『私も待ってます。また…あの時に戻れることを…』



* * *



「あっれ?」

 それはいつもの朝だった。
 親友同士の同居をはじめて何日経ったのか分からない朝。
 蓮子は洗面所で不思議そうに首を捻っていた。
 そんなとき、蓮子の親友マエリベリー・ハーン、通称メリーが眠い目を擦りながら起きてきた。

「んー?どうしたの蓮子」

「おは…ははっ!メリーったらすごい寝癖!」

「む~…」

 メリーの猫毛がくるくるとあらゆる方向に跳ねていて、それが蓮子には愉快でしょうがなかった。
 一通り笑った後、思い出したように蓮子は洗面所の棚からあるものを取り出した。

「あ!そんなことよりこれ!誰の歯ブラシ?」

「!」

 驚いたようにメリーは目を見開き、新品同様の青い歯ブラシを見つめていた。
 ちなみに、蓮子はオレンジ、メリーはピンクの歯ブラシをいつも使っている。
 それに歯ブラシは揃ってこの間買ったばかり。突然ブルーを使うとは蓮子は思わない。
 蓮子はニヤリと微笑むと、親指を突き出しながらこう言った。

「…もしかしてメリーのコレかな?」

「そ、そんなんじゃなくて!…そう!掃除用!掃除用に買っておいたの」

「えー掃除用に新しいのは使わないよー」

「そ、そうよね」

「じー」

 見つめてくる蓮子にメリーは焦った。

「そうゆうのじゃないったら…」

 言い出す気配がないことに、蓮子は「ふーん」と呟くと、爛々としながらメリーに言った。

「まぁいいけどね。今度は私がいるときに呼んでよぉ!カ・レ・シ」

「んもう…!」

「ははは!んじゃあまた来たときにでも使わせるからしまっておくよー」

「ええ…」

 メリーは寂しげに微笑んだが、蓮子は洗面台の棚に歯ブラシを仕舞っていたためにそれには気付かなかった。
 振り向いた蓮子は、何かを思い出そうとしながら口を開いた。

「そういえば、いつかメリーが見た夢みたいなの私も見たよ。今日」

「…どんな夢?」

「なんだか非現実的な夢。濃い内容だったと思うんだけど…忘れちゃったみたい。でも、いい夢だったなぁ」

「そうなの。良かったわね」

「うん!」

 蓮子は力いっぱい笑顔を作ると、朝食の準備とともに、今後の秘封倶楽部の活動についてメリーに相談することにした。

――境界の向こう側に行きたいんだ。

 その先のことは、リボンの変わった帽子しか知らない――…。