《春の最後の日》



 春と言っても京都の風は未だ冷たく、夜は冬使用の布団を使っていた。
 すでに時計の針は“今日”を示し、アルコールの匂い漂う部屋にはメリーと蓮子が並んで布団を敷いて寝ている。

 時計の針にして“昨日”。
 蓮子、メリー、霖之助の3人は小さいながらに宴会をした。
 酒の缶、ビンが部屋に転がり、3人は大いに盛り上がった。
 蓮子がぐでんぐでんに酔うことで宴会はお開きになり今に至る。
 薄暗い部屋、布団に包まりながら2人で一言二言の会話をしていると、突然蓮子が酔いがさめたように喋りかけてきた。

「…ねぇメリー? 私思うんだけどさ…」

「?」

 改まった様子に顔だけを蓮子の方に向けながらメリーは蓮子の話を聞く。
 豆電球をただ見つめる蓮子にメリーは違和感を覚えてしょうがない。

「霖之助ってやっぱりただの人じゃないよね」

「…とっても今時の人じゃないでしょ? なんてったって田舎から来たのも」

「うん…そうなんだけどさー…。なんて言うか…すごく失礼なこと言っているって分かるんだけど…なんか人間らしくないっていうか」

「!」

 勘付かれた。そう確信するにはまだ早い。
 メリーは早鐘のごとく鳴り続ける心臓を押さえながら、蓮子の話を黙って聞いていた。

「そうだなーなんていうか…仙人?みたいな」

「…何言ってるのよ。霖之助に失礼と思わないの?」

「ちゃんと思ってるよー。ただ…人間らしくないところが気になってさ」

「………」

 淡々とした蓮子の言葉にメリーは言う言葉をなくしてしまった。それがいけなかったのか、蓮子はメリーの方を振り向き、寂しげに微笑む。

「メリーは霖之助の“実家”知ってるんでしょ? 言わないようにしてたのも知ってるんだから。別にね? もし霖之助が普通のヒトじゃなくてもいいんだ、これまでもこれからも…とっ友達でいる自信あるし! ……でも、でもね? …そろそろ教えてくれてもいいかなぁって…」

「………っ」

 “友達”と言う言葉に少々戸惑いがあったことを隠すように苦笑する蓮子にメリーの心臓は大きく跳ねた。


 前々から勘が鋭いとは思っていた。
 どの人間よりも幻想を求め続けていた少女。
 メリーの中の紫は、蓮子をその程度にしか思っていなかった。
 知らず知らす幻想郷に迷い込み、そのまま妖怪の餌食になるには惜しい人間。そう思い接触し、友達になった。
 いつしかその友達は親友なり、同居もする仲に。そして、その中に霖之助が加わった。

 この一年、紫は有意義な日々を送っていた。他愛ない日常が楽しくて、霖之助を外へと連れて行きたくなかったのがウソのようだった。
 好きな人に囲まれる日々は、常に心地よく、そして壊れゆくことが怖くなってしまったのだ。
 今、親友に教えねばならない状況を作り出したのは他でもないメリー(紫)である。
 霖之助をここに連れてこなければ、蓮子に境界の向こう側のことを話さなくてすんだのだ。
 もっと自然に、もっと望む状態で幻想郷を教えたかった。幻想郷に行くのなら自分と、安全な状態で。少なくとも、こんな心苦しい状態で霖之助のこと、紫(自分)のこと、幻想卿のことを口にだしたくなかった。
 そんなことを思っていたせいだろう。メリーの目からポロポロと雫が滴った。

「わっ!ごめん!忘れて!私どうかしてたや!」

「私こそごめんなさい…突然泣いちゃって…」

 蓮子は慌てて起き上がるとメリーの涙を拭い、手をとって力強く握る。
 そして、話をそらすために、思いついた話題を口にした。

「もうすぐ霖之助に会って1年だし何かお祝いしないとねっ!メリー!」

「ええ…もちろん」

 メリーは上品に微笑んで、繋がれた手に力を込めた。


 再び布団に入ると、布団の温かさに体が温まっていくのがわかった。
 すぐに睡魔が来るだろうと思っていたが、なかなか寝付けず目を瞑ることに飽きかけたときだった。

「……ねぇメリー…起きてる?」

「何?」

 さっきのような尋問が繰り返されるのだろうかと不安に思っていたが、蓮子から出た言葉はただ一言だった。

「手…繋いで寝ていい?」

 メリーは無言で蓮子の手を取った。


 蓮子にとって、メリーはかけがえのない親友である。
 前々から思っていた疑問は、大切な親友を泣かせるまでにことらしい。
 今の蓮子にとって、それだけの答えで十分だった。
 そして同時に、その質問をしたことでメリーも霖之助も離れるような気がしてならなくなった。
 根拠はないが、勘…および本能がそう告げるのだ。離れるような思いを否定したいがために、蓮子はその心苦しさから、メリーを確かめるように手を求め、そして瞼を閉じた。

 一方メリーにとって、真実を教えることがとても恐ろしいことならば、そのことを知る側というのも怖くてたまらないはず。そう分かっていた。
 手を握ることで安心するのならいつまでも握っていてやろう。
 そう心に決めて、メリーも眠りについた。



* * *



「これは…本当に人間が登る建物なのかい…?」

「京都名物古都タワー!ここを登らないと京都巡りとは言えないよ」

 東京タワーに通天閣、京都タワー…様々な観光タワーがある一方、首都として繁栄をみせた京都に日本一のタワーが生まれた。
 それが古都タワーである。
 蜘蛛の糸という異名をもつそのタワーは、名の通り細くて高い。その高さ510メートル。
 400メートルに位置する展望台には京都を一望できることで観光客が絶えない。

 そのタワーのもと、顔をひきつけながら男は呟いた。

「…これは倒壊するおそれはないのかい?」

 その様子に共に来ていた少女2人はニヤニヤしながら男を安心させる。

「大丈夫よそこらへんは高度な建築技術が施されているんだから」

「何? 怖いの? 霖之助ったら」

 その言葉に特に否定しない男の足は全く進む様子がない。

「……僕はここで待っていようかな」

「何言ってるの? ほらー早く行くよ」

「うあ!」

 黒い帽子を被った少女が強引に男の腕を取り古都タワーに歩き始める。
 男は少女の腕を払う様子はない。
 そのことに少女は安心と嬉しさが溢れ、自然に笑みを増す。
 そして今の現状を冷静に見つめ直した。

――あ、腕組んじゃってるんだ。

「えへへっ」

「そんなに僕を登らせたいのか…」

「大丈夫大丈夫!怖いと思うから怖いんだよ!怖いと思わなければこんなの楽勝だよ」

「メリー。蓮子が無茶を言うんだが…」

 2人の様子を数歩離れてみていた、金髪の少女は寂しげな思いを振り払って2人の元に駆け寄った。

「気の持ちようと言っているのよ。さ、頂上までは外が見えるエレベータで一直線よ」

「わっ! 2人ともっ引っ張らない、で…っ!!」

以下暗転。


* * *


 今日はメリー、蓮子、霖之助の三人で京都巡りをしに街に繰り出したのだ。
 霖之助がやっかいになってほぼ一年とたった今日。
 特に予定のなかった3人で出かけることにした。
 ちゃんと目的を決めたわけではない京都巡りは、メジャーな場所からマイナーなところまで様々。

「高いところは苦手だったのにこんな場所にある神社の境内は平気なんて変だねー」

「あ、あれは慣れてなかったせいだ」

「霖之助、言い訳は醜いわよ」

「……」

 そこは、山々に囲まれた神社。
 どこまでも続くかと思われるほどの階段を登り、到着した神社は、八百万の神々を奉る京都には珍しいほど小さな神社だ。
 高い場所にあるために、神社からみた景色は町を一望でき、先ほどのタワー頂上からみた風景とはまた異なる魅力がある。
 3人はその風景を見入った後、名も知らぬ神に参拝した。

「しっかし! こんな場所でよかったの?もっと雑誌に載ってるような神社連れてくのに、なんでまた寂れた神社なんか」

「いや、僕はここがいいんだ」

「ふーん。ま!私もこうゆう不思議な場所のほうが好きだからいいけどね!」

「うん、そうだね」

「ありゃ、知ってましたか」

「そりゃあね。もう1年一緒にいるから」

 その言葉に蓮子はキョトンとしていたが、趣味を分かってもらったことが嬉しくて、そして感慨深くなった。

「えっへへ! そうだよ もう一年もたったんだよ。早いなぁ」



 その後、コンビニに立ち寄り京都観光の本を購入する。
 そして、霖之助も蓮子もメリーも気になるだろう場所に向かうことにした。

「えっと…。ここの角を曲がらずに真っ直ぐ…」

 蓮子は観光本付属の地図を見ながら先頭に立って道を探す。
 高いビルが立ち並ぶコンクリートジャングルを、人波に流されながら進む。
 すぐ隣は6車線の道路。行き交う人間はもちろん車も引切り無しに走る。
 少々頼りない後ろ姿を見守りながら霖之助とメリーは進んでいたが、突如メリーが呟くように霖之助に話しかけてきた。

「…今更懐郷病(ホームシック)にでもなった?」

 実は先ほどの神社は、霖之助が行きたいと言い出したところだった。
 寂れた神社はどうしてもよく知る場所を思い出さずにはいられない。
 メリーの問いに、霖之助は虚空を見上げて何かを思い出すように呟いた。

「帰宅願望か…。出ているかもしれないな」

「素直ね」

「まあね、自分でも驚くほどさ。幻想郷にいたときはあまり博麗神社にも行かずに店の中で過ごしていたが、今はこんなにも幻想郷を思わせる場所に自分は行きたがっているからね」

 てっきり強がって否定するかと思っていたメリーには、霖之助の肯定の言葉は信じられなかった。
むしろ本心が気になってしょうがない。

「なにか、企んでいるの?」

「まさか」

「うそね」

 即答で否定するメリーに、霖之助はやれやれと呟くと、諦めたようにため息を吐いた。

「…もし帰ったとしても、今度は自分で外の世界への行きかたを探すつもりだ」

「まぁ!そんな不可能な幻想をしていたのね」

「不可能?なぜ?」

「もちろん私がいるからよ」

 博麗大結界がある幻想郷。博麗の巫女である霊夢はもちろん、結界の保持を担っている紫にとって、その話ははたはたおかしい発言でしかなかった。
 しかし、当の霖之助の視線は真っ直ぐで、できると信じて疑っていないように見えた。

「そうかな」

「そうです」

 その目に見つめられたメリーは、自分の心臓が高鳴ったのを隠すようにそっぽを向いた。
 外に出れる出れないの会話はそこで終了し、霖之助とメリーは蓮子の後を追うように歩く。

「……ねぇ霖之助?」

「?」

 なんの前触れもなくメリーが立ち止まり、数歩進んだ霖之助が不思議そうにメリーの方に振り向いた。

「…このままこっちに住まない?」

 人の行き交う中、そこだけ時間が止まったように思えた。
 メリーは霖之助を真っ直ぐ見ることしかしない。
 メリーのその表情はどこか泣き出しそうだと思った霖之助には、その言葉は聞こえなかった。

「え? なんだって? 聞こえなかったんだが」

「…何も、ないの…」

 雑踏で聞こえなかった。
 それは幸か不幸か。
 メリーは自分の言った言葉を否定するように目を力いっぱい瞑っていたが、蓮子の声にびくりと肩を振るわせた。

「なに二人で喋っちゃってるの?赤信号になるよー」

 信号は青になったばかりのようで赤になる心配はないだろう。
 ただ、霖之助とメリーが数歩遅れて来ていたことを心配して言ったようだ。
 蓮子は「早く~」と急かすように声をかけ、その声に霖之助とメリーは歩く速度を多少速くして進む。

「分かった分かっ…?!」

「今行…っ!」


 それに安心して2人に笑顔を向け、後向きで進んだのが悪かったのかもしれない。
 信号は青だった。
 それは蓮子もメリーも霖之助も、そしてそこを行き交う人間も分かっていたことだろう。
 人通りの多い道。すぐ隣は6車線の道路。そこで轟音が鳴り響いた。

「蓮子!!!」



* * *



「いったった………ぇ?」

 蓮子は軽く打った頭をさすりながら、周囲の異変に気が付いた。
 自分は歩道に倒れこんでおり、人だかりが壁になって道路の様子が伺えない。
 蓮子には何が起こったのか分からなかった。

――突然霖之助がすごい顔で近づいてきたと思ったら、私の腕引っ張って

 ひどく必死な形相で霖之助が自分の手を引っ張って、歩道の方に引き寄せられたこと。
 そこまでの記憶しかなく、なぜそうなったのか思い出せない。

 まず自分は何をした?

――私、道路の、信号青で…交差点を渡ろうとして…

 広い交差点。青信号の時間は比較的長い。
 メリーと霖之助が自分より遅れて信号を渡った。
 否、渡っただろうか。
 よく思い出してみたら自分しか渡ってなかったかもしれない。

――じゃあ、なんで私歩道にいるの…?

 それよりも、自分の前に立ちはだかる人たちの視線の先が気になった。
 焦げたような匂い。ガソリンだろうか。
 人々の足のすきまから向こうが見える。

――倒れている人がいっぱいいる…

 なぜか胸がざわつく。
 信号の白と黒の縞模様に別の色が見えた。

――あの赤い液体は…何?

   「人が轢かれたぞ!」
   「救急車呼んで!」
   「大丈夫か?!」

――遠くで声がする。水の中にいるみたいな

 不思議と声が聞こえづらい。
 周りの声よりも自分の鼓動の方がうるさいのだ。

「蓮子!大丈夫?!」

 道路に視線を集中していた中に、金髪の顔の整った少女が写った。
 親友であるメリー。

 メリーは蓮子の手を握ると、思いのほかしっかりした声で蓮子に言った。

「蓮子。落ち着いて聞いて…」

 メリーが何か言ったような気がするのだが、なぜか耳に入ってこない。
 自分自身がおかしいことは分かっている。

――でもすごく落ち着いてる私。

 そのときメリーの言った言葉が断片的に聞こえた気がした。

――え?だって、メリーはそこにいるし…りんのすけは…り…りんの、すけ…?

 人の足の間から銀色の髪の毛が赤く染まっているのが見えた。

――ア、カ、ク…?

「り…霖之助ぇぇぇえ!!!」

「蓮子!」

 野次馬である人間を掻き分けて、倒れている霖之助に駆け寄った。
 赤い液は頭を染めて、顔や手、道路に模様をつける。
 何度も名前を連呼するも、霖之助は動かない。
 血は止まる気配もなく、霖之助を触れる蓮子の手をも赤く染める。

「なに…これ…止まって…止まってよぉ!」

「蓮子!動かしちゃダメ!とにかく落ち着いて助けを呼ばな…」

 頭から血液は流れるところから、頭を打っていることは確か。そんなヒトを蓮子は揺らそうとするのでメリーは止めようとした。
 が。

パンッ

「大丈夫!大丈夫だよ!助かるから!私が助けるよ!霖之助が助けてくれたみたいに…だから!」

 メリーは一瞬何が起こったか分からなかった。
 蓮子が自分の手を払ったのだ。
 もちろんケンカしたことはある。しかし手を上げるなんてことは一度もなかった。
 つまりそれほど必死であり、親友であるメリーの姿さえも今の蓮子には見えていないということ。

「だから…! し…死んじゃいやぁ!!」

 泣き叫ぶ蓮子の声は、野次馬の声・救急車の音、コンクリートの壁によって虚空に消えた。



* * *



「居眠り運転だそうよ」

「そ、う…なんだ」

 病院の待合室。
 診療時間を過ぎたために、そこには蓮子とメリーしかいなかった。

 事故の内容は簡単。
 人ごみの多い信号の中に、曲がろうと止まっていたトラックは運転者の居眠りによって発進。
 何かの拍子でアクセルは強く踏まれ、人が行き交う信号に突進した形で突っ込んでしまったのだ。
 そこにいた人間約5人が即死、28人が重軽傷を負った。
 トラックの運転者も28人中に入っている。
 もちろん、霖之助も28人の中に入っており、重傷を負ったのだが、奇跡的に生きている。集中治療室で。

 霖之助は半妖であるために、体が丈夫だった。ただそれだけであり、おそらく怪我もたいしたことはない。…はずである。
 しかし、そのことを蓮子に教えることはできず、カタカタと震える蓮子にただ優しく、落ち着かせるように言い聞かせた。

「蓮子…霖之助は大丈夫だから」

「…ぃ」

「え?」

 声は小さく、震えるばかりで聞こえない。
 メリーが聞きなおそうとすると、蓮子はメリーの腕をつかんで怒鳴った。

「大丈夫なんかじゃない!!」

「!」

「だって…あったかったよ…? 流れる血は間違いなく…。でもどんどん霖之助が冷たくなっていっちゃって…」

「蓮子」

 怒鳴ったのは最初だけであり、情景を思い出してしまったのか、言葉は次第に小さいかすれ声になってしまった。
 何も言うことができず、無言の状態が続く中、蓮子が震えながら口を開いた。

「私のせいだ…」

「!」

「私があそこでもっと周りを見てたらこんな…霖之助がこんなことにならなかったんだ!」

「違うわ!」

「ちがくない!霖之助は私が怪我させたんだ。ううん、怪我だけならまだしも…あんな傷…あんないっぱい血が出ちゃって…!!し…死んじゃ…」

「霖之助は死なないわ!」

 必死に否定をするが、メリーの声は蓮子に届かない。
 むしろ、焦点の合わない目はメリーの目と合った瞬間に破顔した。

「メリーも本当は怒ってるんでしょ?霖之助をあんなふうにしちゃって…」

「そんなこと思って…!」

「私のことを怒ってよ!私が悪いんだって!ねぇ!う…うわぁぁぁぁああ!」

 笑ったと思った顔はすぐに泣き顔へと変わる。
 涙は止まることを知らないように蓮子の目から流れ落ちる。
 その顔を見ているメリーも辛くなって蓮子を抱き締めた。
 肩が蓮子の涙で濡れるのが分かる。


 きっと霖之助は数日でケロリと何事もなかったかのように帰ってくるだろう。
 しかし、それを蓮子に見せて平気だろうか? 妖しく思わないだろうか?
 むしろ今の蓮子は以前の天真爛漫の蓮子に戻るだろうか?
 次々と不安が思い浮かぶ中、何かを覚悟したようにメリーは、紫は呟いた。

「…蓮子には、使いたくなかったわ」



* * *



「あっれ?」

 それはいつもの朝だった。
 親友同士の同居をはじめて何日経ったのか分からない朝。
 蓮子は洗面所で不思議そうに首を捻っていた。
 そんなとき、蓮子の親友マエリベリー・ハーン、通称メリーが眠い目を擦りながら起きてきた。

「んー?どうしたの蓮子」

「おは…ははっ!メリーったらすごい寝癖!」

「む~…」

 メリーの猫毛がくるくるとあらゆる方向に跳ねていて、それが蓮子には愉快でしょうがなかった。
 一通り笑った後、思い出したように蓮子は洗面台の棚からあるものを取り出した。

「あ!そんなことよりこれ!誰の歯ブラシ?」

「!」

 驚いたようにメリーは目を見開き、新品同様の青い歯ブラシを見つめていた。
 ちなみに、蓮子はオレンジ、メリーはピンクの歯ブラシをいつも使っている。
 それに歯ブラシは揃ってこの間買ったばかり。突然ブルーを使うとは蓮子は思わない。
 蓮子はニヤリと微笑むと、親指を突き出しながらこう言った。

「…もしかしてメリーのコレかな?」

「そ、そんなんじゃなくて!…そう!掃除用!掃除用に買っておいたの」

「えー掃除用に新しいのは使わないよー」

「そ、そうよね」

「じー」

 見つめてくる蓮子にメリーは焦った。

「そうゆうのじゃないったら…」

 言い出す気配がないことに、蓮子は「ふーん」と呟くと、爛々としながらメリーに言った。

「まぁいいけどね。今度は私がいるときに呼んでよぉ!カ・レ・シ」

「んもう…!」

「ははは! んじゃあまた来たときにでも使わせるからしまっておくよー」

「ええ…」

 メリーは寂しげに微笑んだが、蓮子は洗面台の棚に歯ブラシを仕舞っていたためにそれには気付かなかった。
 振り向いた蓮子は、何かを思い出そうとしながら口を開いた。

「そういえば、いつかメリーが見た夢みたいなの私も見たよ。今日」

「…どんな夢?」

「なんだか非現実的な夢。濃い内容だったと思うんだけど…忘れちゃっ…」

「…蓮子?」

 蓮子の言葉は途中で詰まってしまった。
 それもそのはず、蓮子の目からはポロポロと涙を流していたからだ。

「あれ…?おかしいな…なんで私泣いているんだろう?」

「…疲れてるんじゃない?」

「そうなのかな…やだな、止まんない…」

「そう…」

 不思議そうに自分の涙を拭く蓮子をメリーはやはり抱き締めることしかできなかった。



* * *



「うーん…よく寝た」

「やっと起きたか香霖」

「あらホント」

 霖之助が布団から起きると、横では巫女と魔法使いがのん気にお茶を飲んでいた。

「魔理沙に、霊夢?僕はいったい…?」

「なんだか長期休業するって書いた紙だけ店の戸に貼って、帰ってきたと思ったら傷だらけ。何があったかなんてこっちが聞きたいぜ」

 はて、自分はそんな紙を戸に貼っただろうか。という思いと同時に自分の体に鈍痛が走るのに気が付いた。
 唸るほどの痛みではないにしろ、いつの間にかできた怪我に頭を捻った。
 頭には包帯であったり、おそらく薬であろうにおいもする。擦り傷も多いようで腕だけで無数ある。
 めがねまでも傷だらけであったことに霖之助は多少ショックを受けた。

「確かに傷だらけだね」

「なによ人事みたいに」

「で、この一ヶ月何してたんだ?」

「…一ヶ月…僕は留守になんかしてたのかい?」

「はぁ?!昨日まで居なかったじゃないか!」

「昨日までどこにいたの?」

「それは…」

「それは?」

 霊夢と魔理沙が霖之助の顔を覗きながら真相を聞きたそうにしている。
 しかし、霖之助はその期待に応えられそうになかった。

「思い出せないんだ」

「はぁ?」

 これには2人の少女も呆れ顔である。

「なんだよ。なんか山に篭って修行とかしてると思ったのに」

「僕の修行先は外の世界だと決まっているよ」

「へぇ、霖之助さん外の世界に行きたいの? 結界はゆるく張ってていいわね」

「なんだ、そんなに僕に行ってほしいのかい?」

「霖之助さんは結界ゆるくても出れないでしょ?」

「そうゆう意味か」

「で、1ヶ月は?」

 霊夢がどうゆう風に自分を見ているのか分かったような気がしてがっくりと肩を落としていると、魔理沙が落とした肩に乗ってきた。
 鈍い痛みに悲鳴を上げそうになったのを堪える。
 一応怪我人(おそらく)なんだからもっとわきまえるべきだ。そう言おうしたが無駄だろうと諦めた。

「…うーん、本当に思い出せないんだ」

「そうなの?まるで神隠しね」

 神隠しと言えばイコールで結べる少女がいる。

「紫かい?そういえばぼんやりと記憶に…」

「あるのか?」

 記憶のどこかでよく似た少女が笑っている気がするのだが思い出せない。
 むしろ思い出そうとすると頭痛がするのだ。

「…わからない」

「んだよつまんねーな」

「まあ、忘れているというのはさほど大切なものではなかったんだよ」

「そうかもしれないけどねー」

 面白くなさそうにする2人に、悪いと思いながら思い出すことを諦めた。

「文々。新聞から取材の申し込みがあるかもな」

 霖之助は脳内で香霖堂店主空白の1ヶ月-神隠しから謎の生還-という見出しが思い浮かんだ。
 それが幻想郷中に配られた日にはいい笑いものになるにちがいない。

「お断りしたいな」

「だなー」

 3人が会話に花を咲かしているとき、人知れずカタリと静かに草薙の剣が動いた。否、現れた。



* * *



 香霖堂の扉の前に立つ女性が立っていた。
 中から3人の楽しそうな声に、神隠しの主犯は無表情でその場を後にした。