《カテキョ!-3-》


「こんにちわ。フランドール」

 歪な音を奏でる扉を押すのは、フランドール・スカーレットの家庭教師として雇われた香霖堂店主森近霖之助。
 つまらなそうにベッドに寝そべっていたフランは、霖之助の声に慌てて飛び上がった。

「やっと来…っ!」

 文句を言うために開いた口は、ハッと短く言葉を失い、フランの両手に押さえられた。
 わざとらしく咳払いを一つした後、お屋敷のお嬢様らしくスカートを持ち上げて腰を下げた。

「…ごきげんようこんにちわ」

 その様子に霖之助は驚いたが、伏し目がちに影を作ったルビーの瞳は、その霖之助の顔を見た途端、悪戯した子供のように笑顔を作った。

「ふふっ! どう? ちゃんと挨拶できたわ」
「うん。よしとしよう」

 本当は二重丸を与えたいほどだったが、なんとなく曖昧な返事しか出来なかった。おそらく予想もしなかった挨拶に驚いてしまったのだと霖之助は結論付けた。

 しかしある言葉が思い出された。あれは教師としてのコツを里の教師に聞いたときの言葉。
 褒めることも大切だと里の教師は言った。タイミングを逃してしまったが、今更ながらに褒めてみようとフランに手を伸ばしたが、目の前に居たはずのフランは人形魔理沙の髪を撫でながらままごとの体勢にうつっていた。
 出鼻を挫かれたとはこの事だろう。行き場をなくした右手を、顔を掻く素振りをしてなかったことにする。

「あー…。さっきの挨拶はとてもよかったよ」

 何を今更などといわれることはなく、むしろ嬉しそうに頬を緩める。これは効果があるかもしれない。そう霖之助が期待したとき。

「じゃあ宿題の件もよしね!」

 と、フランが言った。

「それは宿題を見てからだよ」
「そこのテーブルにあるわ。今日こそはおままごとでしょ?!」
「そうだね」

 何か嫌な予感が霖之助を襲う。
 テーブルを確認するとしわしわになった紙が数枚。中には破れているものもある。
 一枚だけ拾うと、霖之助は固まった。

「……フランドール?」
「何?」
「宿題はどこだい?」
「だからテーブルの上に」
「落書き以外の紙が見当たらない」

 紙には黒い線が数本あったり、黒い丸が数個あったりする落書きしか書いていない。
 霖之助はとりあえず先日の宿題はなんだったか思い出す。
 『一日の挨拶を書くこと』だったはず。しかし、すべての紙を見ても黒い線や丸ばかりで文字と言う文字は見当たらない。
 どういうことかとフランに視線を移すが、フランは人形魔理沙の髪を撫でることをやめることなく、人形魔理沙しか見ずに答えた。

「私字書くの嫌いなの。ねぇそれよりおままごと!」

 霖之助は手を額において大きくため息をついた。

「…おままごとはまた次に変更だ」
「えぇ?!」
「今日は文字の読み書きについて学ぶ」
「えー!いいじゃないそんなこと」

 床に座り込むフランの手を取ると、机に座らせようと引っ張る。が、妖怪の中でも上級妖怪に当たるフランが動くはず無い。

「文字を読み書きするというのは、今後の応用はもちろん更なる学習の向上において必要になる。さ、紙と筆を用意したからテーブルに着くんだ」
「いや!」
「フランドール」
「いやったらいや!」
「フランドール!」

 なおも嫌がるフランにさすがの霖之助も怒鳴る。しかしそれがいけなかったのか、フランは霖之助の手を振り払い怒りを露にした。

「貴方は言ったわ! 次はままごとだって! 約束を守らないなんて最低だわ!」
「…!」

 今にも噛み付きそうな少女の目は赤。吸血鬼の牙を見せながらフランは地団太を踏んだ。

「みんなみんな約束破って…!どうせ私が外にいけることもウソなんでしょ?!だったら貴方みたいな弱いヒト連れてきても無駄に決まってる!」
「フランドール…」

 謝ろうとして出した手を、フランは叩き落して怒鳴った。

「出て行ってよ!そして二度と私の前に現れないで!」
「……っ」

 叩かれた手をさすりながら、霖之助はフランを見つめていた。
 まるで信じられないものを見る目。
 それがますます気に入らないのか、フランは更に苛立ちが募る。

「何よ…さっさと行きなさいよ…でないとどうなっても知らないんだから」

 それでも動こうとしなかった霖之助に、フランは「出てって!」と怒鳴りながら弾幕を飛ばし始めた。
 フランの周りを囲むように現れた弾幕は、外へ外へと放たれる。焦った霖之助は弾幕を不恰好に避けながら、逃げるように部屋から出て行ってしまった。
 扉の閉まる歪な音は、弾幕のはぜる音でよく聞こえず、フランは気が済むまで弾幕を飛ばし続けた。





 荒い息を静めながら、ボロボロになった部屋を見渡す。
 居なくなった家庭教師に、フランは静かに呟いた。

「ホントに…行かなくてもいいじゃない…」

 気の済むまで弾幕を撃ったはずなのに、霖之助が居ないと知るとまたも苛立ちが湧き上がってきた。

――ムカつくムカつくムカつく…!

 ままごとをしないと言った霖之助。外に出れると言った姉。

――みんな私にウソついて。私にウソついてたのしいのかしら。

 宿題として出た紙が無残にも燃える。

――字?それが何よ?外に出れない私にとって字なんか要らないものだわ。

 そもそもの家庭教師という存在意義。

――教養?知らない…知らないもん!要らないもん!!

 監禁する姉。出れない外。

――私はどうせいらない子なんでしょ?!お姉様もきっと心の奥ではそう言ってるんだわ…!

 目に付いた人形魔理沙は、先ほどの弾幕で汚れ、そしてところどころ破れて綿が飛び出している。
 いくら大好きな人間の形をしていても、渡した半妖が憎くてたまらない今は形あるものに苛立ちはぶつけられた。

「こんな人形!!」

 人形が破れ、綿や布がはぜる。
 不思議と脳裏に霖之助との思い出が浮ぶ。
 感謝の気持ち。謝罪する相手。『頂きます』の意味。
 しかし、ざわめく心はその思い出をすべて嫌な方向にしか進ませなかった。

「こんなの要らない!知らない!知らなくてもいい!私はいつも!独りなんだから!」

 部屋のものをすべて壊し、壁に傷を作った。
 長く続いた癇癪は、己の目から出てきた水滴によって静まった。

「はー…はー…はー…。…ぅ、うぅ…」

 今思い浮かぶのは、以前忍び込んだ人間・霧雨魔理沙。自分が思いっきり弾幕を放っても、素知らぬ顔で避け、更に自分に弾幕を食らわせた人間。
 きっと今の癇癪も、魔理沙ならうまく受け流してくれるはず。そう思うと、魔理沙に会いたくてしょうがなくなる。

「……魔理沙に会いたい…会いたい…魔理沙、魔理沙……遊んでよ…!」

 人形でもいい。似たような存在が近くに居たのを思い出す。
 眼から溢れ出る涙を片手で拭きながら、足元に合っただろう人形魔理沙を探す。
 しかし、人形魔理沙は自分で破り壊したのだ。
 白い綿が、絨毯の赤に散らばる。
 黒い布が、赤い壁紙と重なる。
 なぜかそれは、霧雨魔理沙の血液に見えてしまい、フランの体温をゾッと下げた。
 弾幕ごっこをもうしてくれないような、話しかけることもしなくなるような。
 世界に自分以外誰も居なくなってしまったような感覚がフランを襲う。

「いやぁ…いやぁあ!!」

 フランは悲鳴を上げ、頭を抱えながらその場に座り込んだ。





 霖之助は香霖堂でいつもの席に座って、一枚の紙を見ていた。
 線と丸しか書かれていないそれは、フランに出した宿題。

「…悪いことをしたな」

 霖之助は紅魔館での出来事を思い出していた。
 まず先日のことを思い出す。腕の取れた人形。よく考えれば当たり前なのだが、人形を触るだけで腕がもげるものではない。
 ならなぜ取れてしまったかを考えると、フランの能力にある。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。つまり、フランは力の加減を知らないだけである。

 この宿題も同じことが言える。
 おそらく、筆を持ってものを書くこと自体、フランの加減を知らない力は合わないのだ。
 丸は筆を紙に押し付けてしまったせい。
 線は少しの力で字を書こうとした筆が紙の外へと走ってしまったのだろう。
 悔しくて流したのか、涙の後も後に見つけた。
 それを隠したくて紙がクシャクシャだったのかもしれない。
 自分の教え子は、懸命に霖之助から出された課題を実行しようとしたのだ。
 その証拠に、テーブルの隅には、壊れた筆が数本落ちていたのを、霖之助はフランに手を叩かれたときに見つけてしまった。
 おしまいに、しぶしぶ帰る途中で出会った図書館の管理者。

『突然挨拶についての本を見せて欲しいなんて言われてびっくりしたわ』

 だから挨拶が完璧に近いほど出来ていた。
 そう結論付ければ、悪いのは宿題ができていないと勘違いをし、ままごとをするはずだった予定を変更させた自分自身。

「今度謝らないとな」

 しかし『二度と私の前に現れないで!』と言われた以上、好き勝手に上がり込むことも出来ない。
 霖之助は天井を仰いで目を閉じた。





 癇癪は一定のリズムで現れた。
 思い出して苛立ち、そして周囲の物にぶつける。
 そのたびに紅魔館は大げさに揺れていた。
 苛立ちは時を経て憎しみに変わっていったのがフランにも分かった。

――嫌い嫌い嫌い。
――私にこんな思いをさせたあの半妖が嫌い。

 放つ弾幕一つ一つに憎しみを込める。
 荒い息切れとともに弾幕を止めた。

「…だれ?」

 確かに扉の前にヒトの気配がする。
 嫌いな半妖かと思うが、気配は完璧なる人間。咲夜と判断するも、咲夜は扉を申し訳程度開けるだけで特に入ってくることはない。
 扉の隙間から一枚の紙が流れて、同時に咲夜の気配が無くなった。
 扉は開いたまま。
 珍しいことと思いながら紙を拾う。そこに書かれたもの。それは。

「これは…」





 派手な破壊音とともに虹を思わせる閃光が空へと放たれた。
 館の色は赤く、空は黒い。寒くも暑くもない。
 月は雲に隠れて見えず、周囲は黒に染まっていた。脱走には持って来いの夜である。
 虹色の閃光を思わせる翼を揺らし、一気に紅魔館の上空までフランは飛び上がる。そしてサッと後ろを向いた。
 逃げる自分を追うのは門番であったり、図書館の魔法使いであったり、メイドであったりした。
 いつも「鬼さんこちらー」などと遊び感覚で脱走していたが、今回はどこか違う。

「いつもみたいに追手がない…?」

 闇に飲まれそうな館に、誰も居なくなったような錯覚が襲う。

――まさか本当に見放された…?

 などの考えが浮び背筋に悪寒を感じた。
 それを否定するように首を大きく横に振る。
 追っ手が来なければ目的地へすんなりと行けるということ。それは悪いことではない。

 目的地。香霖堂。
 フランの目的は、その香霖堂店主の殺害。

『私をこんな惨めな思いをさせたヤツなんて壊しちゃえばいい』

 ここ数日、暴れたおかげで見出した結果は、フランを狂わせることしか出来なかった。





 真っ暗な森にポツンと明かりが見えた。
 扉の隙間から流れてきた紙は魔法の森の地図に、香霖堂までの道のりが書かれた物だった。
 咲夜が何を思って地図を渡したのかはフランには理解できなかったが、フランにしてみたら丁度よかったとしか言えない。
 香霖堂の扉の前に立ったフランは、手に持っていた地図を燃やしドアノブに手をかけた。

 しかし、いくら力を入れようとしてもドアノブを回すことが出来ない。
 むしろ手は情けなく震え、うまく力が出ないのだ。
 香霖堂店主に会ったら何をするか思い出す。人形にしたように壊すのみ。
 そう考えているのに、なぜか胸が苦しくなる。
 息がうまく吸えない。
 自分でもワケが分からず、苦し紛れに扉を叩くことしかできない。

ガンガンッ

 乱暴に叩かれる扉に、店主である霖之助が気付かないわけない。

「…こんな時間に誰だい?」
「…っ!」
「入ってきてもいいんだよ?」
「………」

 扉越しに聞こえた声は、嫌に懐かしく聞こえ、扉を叩くのを止めた。
 その様子に、霖之助はまさかと思いながら声をかける。

「フランドール?」
「?!」

 返答のない扉の向こうの人物に霖之助は扉を開けた。
 すると、その場に立ち尽くすフランの姿。
 最初は驚いた顔をした霖之助だったが、すぐに微笑んで迎える。

「やっぱり…よく来たね。いらっしゃい」

 すくみそうな足を必死に耐え、弾幕もスペルカードも出ない自分の手に嫌気が差す。
 攻撃が出来ないのなら、言葉の暴力しかフランが今できることしかない。
 震える唇に力を込め、難癖を付ける。

「き…聞いたとおりオンボロな店ね!!」
「…そうだね」
「こんなところ私が弾幕ごっこしたらすぐにつぶれちゃうんじゃない?!」
「…そうかもね」
「わ、私っこんな場所は好きじゃないわ! もっときらびやかな…」

 フランの口から次々とこぼれる難癖を、霖之助はゆっくりと肯定する。
 それが苛立つのか、フランの目頭が熱くなるのを感じた。

 そのとき。

「フランドール」
「…っ!」

 単調な呼びかけに背筋が凍るのが分かった。
 霖之助の口から出る言葉はおそらくフランを罵倒する言葉。
 なぜかフランにはそう思えて仕方なかった。

『なんの用だい?』
『僕は君に用は無い』

 冷たい言葉が浮かび上がる。
 攻撃を受けるとは違うのに瞼を固く閉じた。

 しかし、フランを待っていたのは頭を優しく撫でる大きな手。
 恐る恐る目を開けてみると、そこにはすまなさそうに顔を歪める霖之助がいた。

「ごめんよ。僕は君にうそをついた。僕はそれを謝りたい…」

――違うの!それは…!それは私の…!!

「うわぁあああ!!ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさい!!」

 栓を切ったように流れる涙に構うことなく、フランは霖之助の胸に飛び込んだ。
 霖之助も嫌がることなく、フランの頭を撫でてやる。

「僕こそ君にウソをついてしまったんだ。謝るのはこっちだよ。ごめんよ」
「ううん!ううん!!私っ!私ぃい!!」
「うん、聞くから。ゆっくり聞くよ」





「ゆっくりと…フランは成長をし始めたわ」

 ティーカップを片手に、レミリアは呟いた。

「扉の隙間から地図なんて。外に出なさいと言っているようなものじゃないですか」
「そのつもりよ」
「癇癪を起こしていたのに…あの状態で外出させるのはいささか危険かと思われますが…」

 フランに地図を渡した張本人・咲夜は、眉をひそめながら主人の横でため息を吐いた。
 その様子に、レミリアは鋭い視線を送る。

「咲夜。私を誰だと思っているの?」

 脅える様子を見せるどころか、咲夜は光栄と言わんばかりの態度で軽く礼をした。

「レミリア・スカーレット様でございます」
「運命はこうなるって分かってたわ。だから店主に任せたんじゃない」
「………」
「今そうかなって思ったでしょ」
「滅相もございませんわ」
「まあいいわ」

 メイドの無言の間を咎めることはせず、再び紅茶に口を付ける。
 夜にしか開かないカーテンから、月の光が差し込む。
 ティーカップにわずかに残った紅茶が、その月の色を映し出した。

「これから忙しくなるわよ。フランには教えることがたくさんあるわ。それこそ家庭教師だけじゃ足りないくらい」
「お供いたします」
「おままごと、ね。そんなことならいくらでも付き合うんだから。フラン」

 レミリアは雲から顔を出した赤い月に呟いた。





「何、人形を?」
「うん…壊しちゃって…ごめんなさい…」

 スカートの裾を握り締め、フランは赤くなった目をしながら呟く。
 その様子がおかしいのか、不思議と霖之助の頬が緩む。
 それが気に食わないのか、フランは眉をひそめた。「ごめんごめん」と二回軽く謝ると、噴出しそうになる頬を堪えながら手を出した。

「じゃあ謝りに行こう。人形師に」
「ついてきて…くれる?」
「もちろんだよ」

 恐る恐る霖之助の手を取って、一緒に外へと出る。
 扉を閉める霖之助に、フランは背中に向かって喋りだした。

「あのね…」
「なんだい?」
「…これからも家庭教師としてきてほしいんだけど」

 霖之助にとっては思ってもいなかった言葉だった。『二度と私の前に現れないで!』と言っていた本人からの依頼。
 よかったと安心すると同時に、フランの頬に付いた砂埃が目につく。

「……君、ちゃんと門から出てきたかい?」
「んーん…壁? から? …んっ」

 親指で砂埃をとってやる。『やっぱりな』と思いながら、繋いだ手に力を込めた。

「今度は部屋の出方、妖怪の山の歩き方を教えないといけないからね。僕はまだ君の家庭教師を辞めたつもりはないよ」
「ありがとう…!」

 そのとき初めて心から感謝をしたんじゃないかとフランは思った。
 感謝とはこれほどまで嬉しいものなのかと実感し、これから謝りに行く人形師にもきっとうまく謝罪できるに違いないと自信が持てた。

 そして霖之助とフランは歩いていく。
 フランは足も踏み入れたこともない未開の森へ。
 妖怪が活発化する夜の真っ暗な森の中へ。
 でも2人に恐怖心は微塵もなかった。
 強く繋がれた手の温かみを知っているから。