《少女、狼少年であるゆえ》
それはいつもとなんら変わらない昼下がり。
ガラス窓を破壊しながら投げ込まれた文々。新聞を読みながら霖之助は香霖堂を商っていた。
新聞記事には今幻想郷を騒がせている宝船のことで持ちきりである。
捕まえたら一生不自由しないという噂があるが、今日の記事には宝船から宝が降ってきてその宝を手に入れた者が幻想郷のどこかにいると書かれていた。
おそらくウソだろうと霖之助は思った。
天狗の書く新聞の8割はデマが多いというのを霖之助は知っていた。
しかし、残りの2割は本当のこと。それは霖之助自身で実感できるからだ。
窓から空を覗くと、まるで捕まえてくれと言わんばかりの大きな船が空を悠々と飛んでいる。
春先で妖精も活発になる時期であり、同時に人も狂う季節。それは妖怪にも言える事。
周囲はその船に神頼みするほどだったが、霖之助はこの異常にさして慌てることはなかった。身近に異変を解決するスペシャリストがいるのだから。
――しかし今回の異変は長いな。霊夢たちが気付いていないわけ…ないかな?
新聞を持ち替えながらそんなことを思っていると、他称宝船の写真に指が咲いた。
ボツッ
「?!」
「ふふっ!変な顔!」
新聞に指を差し込んだ犯人は、気配なく近付くことが容易い少女だった。霖之助の驚いた顔がおかしいのかクスクスと笑っている。
「…君か」
「あ、なんか今の言い方ヤダ」
「こいし…」
「なぁに?」
げんなりと肩をすぼめながら穴の開いた新聞をたたみ、悪戯をして霖之助を驚かせた地底の妖怪・覚り(さとり)古明地こいしと対峙する。
「…もう何回目だと思っているんだ。こんな悪戯するの」
「わからないわ」
「…はぁ」
ここ最近、こいしはよく霖之助に悪戯を仕掛けていた。
今のような新聞に風穴を開けることや、膝かっくん、指ぶちゅ、耳元でいきなり大きな声を出したり、ついこの間は寝床に侵入、おまけに風呂場にも神出鬼没をするのである。
地底でこのようなことをしても恐れられるだけであり、だからといって霊夢や魔理沙に仕掛けると仕返しなのか弾幕が襲い掛かってくるとか。
おそらく霖之助を“友達”と認識したことがこの悪戯の発生の理由だと霖之助は考えていた。
実際こいしが何を思って悪戯を仕掛けるのかは分からなかったが、毎回悪戯を仕掛けられては霖之助も参るもの。
どうやってこいしの悪戯を止めさせることができるだろうかと頭を抱えていると、ビリビリと何かを破る音が霖之助の耳に入った。
「ああっ!!」
「ふふっ!びーりびり♪」
無残にも破り捨てられたのは読み途中の文々。新聞だった。
読み終えていない新聞が破り捨てられたことは霖之助を落ち込ませる要因にしては十分であり、同時に霖之助の落ち込んだ姿はこいしを喜ばせる要因でもあったりする。
地に手をつき落胆する霖之助に笑い転げるこいしは、思わず出た涙を拭きながら言った。
「竹林の兎さんたら本当に楽しいこと考えるのね!悪戯ってとっても楽しい!」
どうやら事の発端は悪戯をよくする竹林の兎のようだ。
長の因幡の兎が子分(兎)に悪戯の極意を教えていたところを偶然こいしが通りかかりその極意というのを教わったのだと数日前に霖之助は聞いた。
「特に私は簡単にできるもの!」と誇らしげに言うこいしに、別の意味で涙目の霖之助は思った。
――そりゃそうだろうね…。
「えー?なにー?」
「君本当は第3の瞼開いてるんじゃないか?」
無意識を操るこいしにとって、気配を消すことは容易い。
幻想郷中を徘徊することが趣味なのだが、霊夢や魔理沙と弾幕勝負をしてから他人に対して積極的になった気がする。
…と、使いとしてやって来た地底の猫が言っていた。
霖之助にこいしが変わったことなど分からない。悪戯をすることは妖怪らしいと言えばらしいかもしれないが、大きな力をもつ地底の妹君に悪戯を仕掛けられては正直疲れるのだ。
見せるように大きくため息を吐くも、残念ながらこいしは気付かなかった。それどころかここ最近のことについて喋りだした。
「あの船の近くにいた傘のお化けも驚かすことが好きって言ってたわ。最近の人間は驚いてくれないって。でも、貴方はいっつも驚いてくれるから飽きないわ」
「…そうかい…。 んっ何? あの船とは宝船のことかい?」
「地底も地上も歩き飽きたし、今度は空に行ってみたの。そしたらなんか大きいのが浮んでたわ」
「で、捕まえたのかい?」
「いいえ?私はその近くにいた傘のお化けと会っただけよ」
天狗の新聞よりも確かな情報に霖之助も興味を示したが、そこまで核心突く情報ではないと知ると淡々と「そうか」と呟くだけだった。同時にまたこいしに余計な知識を植え付けて…などと少々肩をすぼめる。
「で、その傘のお化けとは仲良くできたのかい?」
「ん? 暇ーって言ってたからちょっと逆に驚かしちゃった。そのときの顔ったら…!ふふふっ!」
「驚かしたというより弾幕を仕掛けたんじゃないのかい?」
「そうとも言うかも」
「あわれな傘の妖怪…」
「えー?」
くぅ
「あれ」
仔犬の鳴き声のような音は確かにこいしの腹部から出た。
一気に顔を赤くするこいしに思わず霖之助は吹いた。
「ははっ!」
「もぅ……お腹が減ったわ。この店何かないかしら?」
「む。それが狙いでここにきたんじゃないか?」
勝手に店の奥、つまり住居スペースに上がり込むこいしをさして止めることなく、霖之助は台所に立って簡単な料理を作ることにした。
こいしは大人しく居間で待つ…………ことはない。
そわそわと霖之助に近付き、悪戯を仕掛けるために背後に回った。
霖之助は人参を包丁で切っており気付いているように見えない。笑い声を上げたいのを殺し口角を上げる。
気配をなくすなど容易いことであり、後ろから仕掛けられる悪戯を考える。
膝かっくんは先日やった。指ぶちゅは反対側を向けられることがあるのでやめよう。わき腹をくすぐってみる?背中に線をかいてくすぐるのもいい。
にやにやと思い巡らせ、そして思いついた。
「秘技(?)子泣きじじぃ~♪」
「痛あ!」
こいしは勢いよく霖之助に抱きついた。
もちろん驚かない霖之助ではないので、大げさに出された声がこいしの耳に入った。しかし、霖之助の声以上に耳に入ったものは霖之助の肘に置かれた茶碗が驚いた拍子に床に落ちて派手に割れてしまった音だった。
「あー…」
背中からパッと降りると、2人は床に散らばったガラスを拾い集め始めた。
「ああ、君は拾わなくていいよ」
「…あ!?」
こいしの顔の前に手を差し出して手伝いは無用と伝えるが、こいしは霖之助の指から既に赤い血が流れているのが見えてしまった。
「ごっごめんなさい!今ので切った?」
それはこいしが背中に飛び乗った際に包丁で切ってしまった人差し指だった。
少し深いのか血が大きな玉を作っている。
「ああ、こんなもの舐めれば治るよ」
「そっか…」
納得したように頷くも視線は霖之助の指を見つめ、そのまま切れた指のある左手を取った。
誘われるような自然な動作に霖之助はただこいしの行動を受け入れていた。
自分の手のように感じることができず、これがこいしの無意識の力だろうかとぼうっとしていると、こいしは何も迷いなく指を口にくわえてしまった。
「ふぅっ…ん!」
口内の温かい温度が指にまとわり付く。粘着質な音を立てながら指を吸い付かれ、思わず霖之助の背筋にゾワリと何かが走った。
「こいし!」
「治った?」
「…そういうことはしない方が…」
「えー?」
「こいし膝が切れてる」
「あ、ホント!」
半ば無理やり指を抜いた際に茶碗の破片で膝を切ったらしい。玉を作る血が面白いのか傷の周りを触っているこいしは思いついた。
「…ね?舐めて?」
「………」
霖之助の思考が白くなる。
指に吸い付く行動や、どこで覚えた分からないサディズム的発言。姉が聞いたら卒倒するのではないだろうかと思った。
救急箱を持ってこようと立った霖之助が動かなくなるのを見て、最初のうちは面白がっていたこいしだったが、あまりにも長い間立ち尽くしているのに焦り、言い訳を口に出そうとする。
「なぁんちゃっ…」
「分かった」
「え?」
こいしは見た。
霖之助の瞳に黒い何かが映ったのを。
救急箱を持ってくるために立った霖之助はこいしの目の前にかしずき、切り傷のある左足を軽々と持ち上げた。
下着が見えるんじゃないかと慌ててスカートを押さえる。が、それがいけないのかバランスを崩してそのまま後ろへ転倒してしまった。
「いたた…」と頭をさするが、左足は未だ霖之助に掴まれていた。
どこか野生的な目はジッとこいしを捕らえ、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。
そして霖之助の顔はこいしの膝へとゆっくりと移動する。
霖之助の熱い息が膝にかかってこいしは一気に正気に戻った。
「ダメダメ!もう大丈夫!治ったの!!」
掴まれた足を奪い後ろへと引き退く。涙目を浮かべ情けない姿と自分でも思ったが、見たこともない霖之助に恐怖を感じたのも事実である。
脅えるこいしに申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、ここはぐっと我慢して口を開いた。
「…はぁ。悪戯される側の気持ちが分かったかい?」
大げさに大きく縦に頷くこいしを見て『少しやりすぎただろうか』と頭を掻いたが、まず傷のある膝を手当てしなくてはと救急箱を持ってくるために立ち上がって言った。
「これにこりて、過剰な悪戯は控えること。分かったね? …あ」
今までこいしが座り込んできた場所には誰もいなかった。もぬけの殻。
無意識を操るために周りの意識とは関係なくその場から立ち退くこともできるこいしに、霖之助は大きくため息をついた。
* * *
ところかわって地霊殿。
地底の猫・火焔猫燐は膝を抱えぼうっとするこいしの膝に不器用に包帯が巻かれているのに気が付いた。
「あれー? こいし様お怪我なさったんですか?」
「ん…」
顔の赤いこいしに風邪だろうかと首を傾げていると、こいしがゆっくりと口を開いた。
「ねぇお燐…。男の人って本当にオオカミなのね…」
「はぁっ?!」