《四季シリーズ》



《スプリングビギニング》

 控えめに叩かれた香霖堂の扉の向こうには春の妖精が酒瓶を持って立っていた。
 今はまだ春の暦には早い。
 庭の桜のつぼみもまだ固いままなのだ。
 香霖堂に何用かと問おうとすると、力いっぱい酒瓶を霖之助の前に差し出した。

「さぁ!浮かれてくださいのです!!」
「……は?」

 春の妖精。もといリリーホワイトはこう言った。

「春になるために必要なのはその場の浮かれ度なのです。でもここ数年ここだけ春が運びづらいのです。さ!浮かれてくださいのです!」

 つまり、リリーは霖之助の春度を上げようとしているのだ。
 妖精の浅はかな頭は、そうすることによって春を運びやすいと考えたのだ。
 実際、香霖堂と言う魔法の森と人間の里の境にあるせいか、少々春が訪れにくい。
 なんとか春を運びたいリリーにとってはそれは遺憾なことらしい。
 慣れない酌をしながら霖之助に酒を飲ませる。

「ああ、もういいから」

 とっくりに並々と注がれた酒は何杯目だったか。
 リリーの目の前の居る男が酔う気配はない。
 むしろ逆に酌を誘われてしまいこっちのほうが先に酔いどれになってしまっている。

「…大丈夫かい? 顔が赤いが…」
「大丈夫です!!!私よりも貴方が飲んでくれないと…!!」
「わかった、分かったから酒瓶を一気飲みさせようとしないでくれ」

 本当はもっと落ち着いて飲みたいのだが…。

 そんな一言が聞こえたのだが、リリーにはそれがどういう意味なのかも判別できなくなってきていたほどだった。
 睡魔までも襲ってきそうな酔いをリリーは必死に耐える。
 霖之助の春度が増えるまで耐えてみせると思っていたのに、これではミイラ取りである。
 ふと目の前の男を見る。
 ひょろりと背が高く、酒を飲む姿勢が綺麗とさえ思った体の中に、もう何杯目かも分からない酒が注がれる。
 自分が春と言うと、人間も妖怪も花見をし出す。
 その姿はいつも陽気で、見ているこっちが楽しくなるほど。
 ああ、自分が春を運んだからなんだな。そう思うと嬉しくて弾幕が出る…こともある。
 しかし、この男は違う。
 いつまでも静かで、高揚とする気配もなければ春度が増すこともない。
 リリーの中で寂しさが湧く。
 このままでは香霖堂に春を呼ぶことが無用な気がして。
 自分が必要とされていないようで。
 目頭が熱くなるのを感じながら、リリーは口を開いた。

「貴方のその春は本当に春なんですか…?」
「え?」

 気の抜けるような返事に、ますますイラついたリリーは爆発したように言葉を言い放つ。

「だって貴方の春度はいつまでたっても増えないですっ!みんな陽気だから私も春をそこに運ぶ気にもなれるですし!陽気なことはいいことなのです!春はいいものなのです!春度のない貴方になんか春を運ばないんだから!!」

「でも僕は君に来て欲しい」

「ふぃ?!」

 正直自分でも何を言っているのかも分からなくなってしまうくらいの言葉の羅列に、自暴自棄になりかけたときの言葉だった。
 それは、自分を必要としてるという言葉。
 酒を静かにそして姿勢よく飲む男に。

 春を?それともわた

「だいたい君がいなきゃ幻想郷の春は始まらないじゃないか」

 ここは最後でもいいから、とにかく幻想郷を暖かくしておくれ。僕は暖かい方が好きなんだ。

 霖之助がそう付け加えるとリリーはハッとする。
 今、自分は何を思った?

「そ…そうですよね!私いってきますです!」

 弾かれたようにスクッと立つと、酔った頭をブンブンと振りながらおぼつか無い飛び方で幻想郷上空を高く飛んだ。

「はるですよー」

 その年の春はいつにも増して暖かかったそうだ。



Spring beginning
春仕掛け?バネ仕掛け?




《セブンサマー》

 それはそれは真夏の暑い日のこと。

「暑い…」

 例年を見ない気温上昇に、香霖堂店主森近霖之助は参っていた。
 桶に水を注ぎ足を入れる。が、すぐにその水はぬるいものとなってしまい役に立たない。
 暑さのせいでその水を交換することも億劫になってしまう。

 何か涼しくなるものを…。

 そう心で欲しているとき、店のカウベルが鳴った。

「あら、半妖もあろう店主が暑がっているわ」
「…いらっしゃい」

 この暑い中、汗一つかかずに来店したのは風見幽香。
 皮肉を言ったはずなのだが、それに答えようともしない店主をつまらなさそうに眺めている。

「相当ね。その苦しそうな顔…とてもそそられるけど、今日は花を売りに来たの」

 割れ物を扱うようにカウンターに載せられた花は7つ。


  葦(よし)     
  藺草(いぐさ)      
  沢瀉(おもだか)
  未草(ひつじぐさ)
  蓮(はちす)     
  河骨(こうほね)  
  鷺草(さぎそう)


「鑑賞用として名高い夏の花…。しかもどれも水辺に咲く花。見ていて涼しそうじゃない?」

 白や黄色の花は水辺からそのまま持ってきたように瑞々しい。
 しかし、蝉の声響く環境下では、その花だけでは涼とはいえないようだ。

「高く買わせてもらうが…今の僕にとっては涼が感じられないよ」

 霖之助の言葉に幽香はニヤリと口角を上げた。

「あら、なら冷やしてあげましょうか? …布団の上で」

 人差し指で霖之助の顔をなぞると、滴る汗は幽香の指に玉を作る。
 それをそのまま自分の口に持っていくと、くちゅりと音を立てながら銜えた。
 白い糸を指に絡ませ、熱っぽい目で霖之助を見つめる。

「……逆に暑くなると思うんだが」

 ふふんと笑みを作ると、今度は両手で霖之助の顔を持ち上げて自分と見つめ合わせる。
 そして勝ち誇ったように言い放った。

「心頭滅却すれば火もまた涼し。よ? …その暑さに歪む顔、もっと私に見せなさいな」




夏の七草。七つ夏。






《フォールオアフォール?》

 秋の風吹く外の様子に秋穣子は物思いに耽っていた。
 窓の外には枯れ木に一つ柿の実が実っているだけで、葉はおろか枯れ葉一枚ない。

「ああ…あの柿が落ちたとき…私の命も終わってしまうのね…」

 そんな寂しげな情景を背にくるりと振り返った穣子は霖之助に言い放った。

「…ねぇ、私の最後のお願い…聞いてくれる…?」

ブチィッ!モグモグモグ!ゴクン!!

「あーーー!!」

 窓を閉めているというのに、柿をもぎ取る音・口で噛み砕く音、さらには喉を鳴らしながら体内に柿が落ちる音まで聞こえてきた。
 柿をもぎ取り、そして食したのは穣子の身近な存在である…

「なにが『私の命も終わってしまうのね…』よ。柿の実が落ちなくちゃ新しい柿の木が生えてこないじゃない」
「だからって姉さんが食べなくたっていいじゃない!」
「私は柿の葉寿司が食べたいだけよ」

 それは秋静葉。
 穣子の姉であり、そして紅葉神でもある。
 なぜ神である2人がここ、香霖堂に居座っているのかは店主である霖之助さえも頭を捻るしかないのだが、その日はギャーギャーと子供のケンカのように慌しく口論し、かと言えばいつの間にか店内から居なくなっていたので、霖之助はただ読みかけの本を読むことだけ考えていた。


* * *


 次の日

 秋の風吹く外の様子に秋静葉は物思いに耽っていた。
 窓の外には枯れ木に一つ柿の葉が生えているいるだけで、柿の実はおろかその葉一枚しかない。

「嗚呼…あの葉っぱが散ったとき…私の命も散ってしまうのね…」

 そんな寂しげな情景を背にくるりと振り返った静葉は霖之助に言い放った。

「…言えなかったけど私…貴方のことが」

ブチィッ!ビリビリビリ!バァ!!

 窓を閉めているというのに、葉をむしりとる音・破りに破り粉々にする音、さらには粉々になった葉を飛ばす音まで聞こえてきた。
 葉をむしり取り、そして破り捨てたのは静葉の身近な存在である…

「何してるのよ。いいところに」
「何してるの?それはこっちの台詞よ!パクらないでくれない?」
「パクる?穣子が私のネタを先にやっただけよ。そっちこそネタを盗まないでよね」
「なんですってー!!」

 それは秋穣子。
 静葉の妹であり、豊穣神でもある…。

「…なんだかデジャブを思わせるんだが…。なんだいこの寸劇は」

 あまりのことにさすがの霖之助も突っ込んだ。
 突っ込みどころは満載なのだが、喜劇とも取れるやり取りは1度目で十分なのだ。
 霖之助の言葉は秋姉妹の子供のようなケンカに終止符を打った。

「あら、寸劇とは言われようね」
「そうよ。これは秋特有の行事とも言われるものなのよ」
「…毎年この寸劇を繰り返すのかい…?」

 行事と言うからには、この一回だけではないのだろう。
 早くて来年、またこの情景が繰り返されると思うと霖之助はげんなりとした顔をしてしまった。
 その様子に、秋姉妹は頬を膨らませながら霖之助に説き始めた。

「これは恋を激しくするためのエッセンスよ。ヒロインが病に倒れるなんてセオリー中のセオリーなんだから」
「恋…はて、秋と何か関係あったかな…?」

 恋といえば誰かさんを思い出したのだが、そのことには誰も触れなかった。

「恋と秋は深く関係したものなのよ?」

 そこで恋と季節が関係する言葉を思い出した。

「そうかな? 出会いの春・情熱の夏・人恋し冬…こう並べると残った秋は寂寥…。つまり秋は恋人同士が別れる季節とも取れるけどね」

 自信満々に言い放つ霖之助に秋姉妹は鼻で嘲笑った。

「貴方の考えは古臭いわね」
「…正直君たちに言われたくないんだが…」
「とにかく。秋と恋は似てるものなのよ」
「?」

 未だ訳の分からないような顔をしていると、少女の形をした神はニヤリと笑った。

「秋は英語でfall、恋もfallじゃない」


It falls in love.
秋か、恋か






《ウィンターインウィンドウ》

 赤や黄色の木々が散り始めたころ。
 秋の涼しさから、冬の寒さへと移行する時期。
 昨日より寒い今日に、季節の変わり目をゆっくりと味わうのを霖之助は好きだった。
 が、その日は違った。

「な…なんだこの寒さは…!」

 秋下旬にして桶の水は凍っただろうか。
 秋下旬にして霜は降りただろうか。
 吐く息が真っ白くなる。
 ストーブを点けるか点けないか迷ったときだった。

「こんにちわ」
「君か…通りで寒いわけだ」
「あら、まだ冬が寒いだけの季節だと思って?」

 カランカランとカウベルを鳴らしながら店内に入ってきたのは冬の妖怪レティ・ホワイトロックだった。
 レティは商品を見ることもせず真っ直ぐと霖之助と対峙する。

「初冬の澄んだ空気、高い空、霜を踏む感覚…冬でしか味わえない風情…貴方は何もわかっていないわ」

 レティの言葉に一瞬ムッと顔を歪めたように見えた。
 まるで趣がないと言われたことが頭に来たかと思えば、まるで猫を追い出すかのように手を振る。

「世の中風情だけで生きていけるほど綺麗じゃない。ほら、客じゃないなら早く出てってくれ」

 ストーブのスイッチを点けると、レティに背を向けて本を読み出した。
 その様子にレティは悲しげに表情を歪める。

また来るわ。

 その一言だけ呟くと、静かに扉を開けて出て行った。
 そのせいかカウベルの音さえも悲しげに聞こえた。
 霖之助は眼鏡を上げるだけで何も反応を示すことはなかった。



 香霖堂店主のまるで興味を示さなかった態度に対し、香霖堂上空では黒幕もといしろまくが意気込んでいた。

「今年こそ冬を好きになってもらわなくっちゃ!」





窓の外は冬
レティその1





《ウィンナーオブウィンター》

 暦の上では春なのだが、香霖堂の外は未だ雪景色だった。
 霖之助は青いちゃんちゃんこに身を包みながら、まずは店のストーブを点けるべく店内へ向かう。
 が、そのストーブの上には、もう涼しいところへ行くべき冬の妖怪が座っていた。
 霖之助はげんなりと表情を歪ませる。

「行儀が悪い」
「所詮冬の妖怪の前にはこの箱も役立たずってことね」
「それはまだスイッチを入れてないんだ。用があるなら手早く済ませてほしいんだが」

 レティは霖之助の様子に頬を膨らませるが、すぐに首を振って話をする。
 どうやら温和に、そして余裕をもって会話を進ませたいようだ。

「さ、今年も素晴らしい冬だったわね」
「もう春が近いと思うんだが…」
「まだそんなちゃんちゃんこに包まって。もっと冬を謳歌するべきよ」
「ちゃんちゃんこを着ることも冬を謳歌することになるもんだよ」

 次々をレティの意見に否定的意見を言う霖之助にレティはキレる寸前だった。
 しかしレティはそれをぐっと我慢するかのように目を力いっぱい瞑る。そして一回だけ息を吐くとにこやかに霖之助に問うた。

「…で、今年の冬はどうだった?楽しかった?」
「いや…特には…。 ああ、でもいつもより温かく感じたような気がするよ」
「そんな…! 私がいることで冬は寒いものなのに…!」
「君がいることで僕は今寒さに凍えているんだが…」

 まさかの答えにショックを隠し切れないレティ。霖之助の言葉を気にしてはいられないほど。
 そんな様子に、霖之助はため息を一つ吐くと

「僕はどちらかと言えば暖かいほうが好きだからね」

 と言った。
 その言葉に暖かい冬なんて持っての外と言うように、落ち込んだ姿勢を戻して霖之助にいいよる。

「ダメよ。寒い冬は貴方が思っているよりも本当に素晴らしい季節なのよ?それが分からないなんて…」
「分からないなんてこと一言も言ってないし、嫌いとも言ってない。雪は寒さを呼ぶが、それ以上に美しさを呼ぶ。冬の夜空の星は瞬くなんてもんじゃない、輝きを増している。澄んだ空気により遠方の山の緑に感動するし。それになにより春の暖かさがどんなにありがたいものかを分からせてくれる」
「じゃあ………っ」
「?」

 レティの言いたかった答えはすでに霖之助の中にあった。
 美しい冬の情景が分かっているのだから冬が嫌いなわけではないらしい。
 しかし、それならばなぜ自分を避けるような態度を示すのか。
 つまり冬が嫌いなわけではなく、レティ自体を好きになれない。嫌い。そう言いたいのだとレティは解釈した。
 それはなんとも残酷な宣告。
 好きになってもらおうとするのに、すべて意味のないことだったのだ。
 怒り・悲しみ・寂しさ…色々な感情が渦巻いてレティの思いは爆発した。

「っ…!! 大体貴方は私を何だと思っているの?! 巷の本じゃ私をのけ者扱いして! 冬の寒さなくして年明けられないわよ! 毎年毎年私が刻々と冬の素晴らしさを教えに来ているのに貴方ったら…っ!」
「別の僕は君をのけ者にした覚えもないよ」
「ウソよ!」

 そんな同情の言葉なんていらないから嫌いなら嫌いと言ってくれ。
 吐き捨てるように霖之助の言葉を否定し、絶望がレティを襲う。
 しかし、そんなレティを見て呆れるように2回目のため息をついた。

「ほらやっぱりため息ついて…!」
「あのねぇ…」

 バカにするような顔はレティの目に涙を浮ばせるのには十分すぎた。
 否、すでに頬を涙で濡らすレティには、もう絶望しかない。
 そんなレティの様子に業を煮やしたのか、霖之助は正直な気持ちを伝えることにした。

「君は毎年毎年この店に来ては何も買わずに寒さだけを置いていくじゃないか」

 その言葉にレティはキョトンとし、霖之助の顔を見入る。

「だって…。貴方に冬の素晴らしさを教えるだけであってお客じゃないわ」
「悪いが説教するヒトよりも、物をちゃんと買ってくれるヒトの方に好印象を受けるけどね」
「好印しょ…すっ?!」

 好印象の頭文字は嫌いと紙一重の意味を持つ“すき”。
 いささか早とちりをしそうな頭を落ち着かせようとするのだが、いかんせん動揺してならない。

「でもっ…私どうしたら…」
「簡単な話だよ。君が客として来ればいい話じゃないか」

 つまり、客としてくれば嫌な顔はしない。そういうことなのだ。

じゃあ、先日のムッと顔を歪めたのは、客じゃないから…?

 あまりに自分解釈過ぎるそれは都合が良すぎるだろう。
 しかし、今のレティにとってはそれだけ考えてしまうほど嬉しさに満ち溢れているのだ。

「じゃ…じゃあ冬にぴったりの生酒を来年持ってくるわ…そうゆうのでいいの?」
「ああ、十分じゃないか」
「生酒だから度数高いわよ?それに冷蔵で保存しなきゃダメだし…」
「冬の初めに君がここに持ってくれば、もう外に置いておくだけで冷蔵だ。それに辛い酒は嫌いじゃないよ」

 レティは大きく鼓動の鳴る心臓を押さえ、勇気を振り絞ってこう言った。

「いっ一緒に飲んでもいいかしら!?」

 その言葉に霖之助は少々頭を捻っていたが

「…まぁ君が売りに来たものだしね。どうせ長い間置きとどめておけないし、うちにはネズミが2匹程でるんだ。早く飲んでおいて損はない。寒さには耐え兼ねないが、まぁ冬の趣と思えば酒がうまくなるだろう」

 と言った。

 つまり、酒を売りに来れば、一緒に酒を飲める間柄になれる。そういうこと。
 レティは頬がカッと燃えるような感覚に襲われ、くらりと眩暈まで覚える始末。

 おかしいな、ストーブは点いていないのに。

「じゃぁ…来年の冬はそうするわ。来年こそ覚悟なさいな」
「ああ、客としてなら大歓迎だ」

 よろよろとおぼつか無い足で香霖堂から去る。
 未だ冷めない頬に冬の空気は気持ちが良かった。
 上空に上がると、春の妖精が陽気に飛び回っている姿が見えた。

 そろそろ眠りの時期なのね。

 涼しい場所へと帰る時期が迫っているというのに、不思議とレティは寂しくなかった。
 むしろ、来年が楽しみでしょうがない。
 来年は今年よりも少し早めに起きよう。そう誓って寝床へと急ぐのであった。



冬の勝ち組
レティその2





《かみのなのもとに》

 “神”――。
 それは世界の創造した存在。
 それは信仰が具現化した存在。
 それは身近に存在する。

 “お客様は神様”と、よく言うが、ここ香霖堂には本物の神が訪れる数少ない店と言っていいだろう。
 が、時にその神はお客という立場ではなく売り手としてやってくる。

「分社はここでいいわね?」
「置くよね?」

 大きな犬小屋のような分社を担いで現れたのは妖怪の山に突如現れた神2人。八坂神奈子・洩矢諏訪子。
 づかづかと香霖堂店内に入ってきたと思いきや、キョロキョロと回りを見回し適当な場所に分社を置いた。
 分社の下敷きになった商品に絶叫したいのを我慢して一言呟いた。

「…拒否権は一体どこに…」

 もちろん拒否権というものが落ちているわけではない。が、分社に潰され飛び散った破片をすくい上げるように地面に手をつけた。
 さすがにショックを受けているのだと感じた諏訪子は、励ますように言った。 

「まぁまぁ私たちお客さん(になる予定)だよ?」

 この分(潰れた分)なんてすぐ儲かるよ。と言うものの、今潰れた商品を買う気はさらさらないようだ。
 いつまでもすねる態度に、業を煮やしたのか神奈子が口を開いた。

「言うことは素直に聞くのが道理ってもんだろう?」
「君たちが今やっていることは限りなく外道に近いんだが…」
「…確かに無理やりはよくない、か…」
「早苗に怒られちゃうかな?」

 涙目を浮ばせる霖之助に、自分の言葉と態度に問題があったことに気付いた2人は反省の色を見せた。
 そんな2人の態度に店を営む側としての渇を入れる。
 …が、それがいけないのか、神奈子の雲行きは怪しくなった。

「今君たちは少し異なるが売り手の立場なんだ。つまり、客は僕。お客様に対する態度はそんなものじゃないだろう?」
「ああ、じゃあお客様としてお前を扱ってやるか。まずはこの部屋の片付けでもサービスとして…」

 バキバキと不穏な音とともに商品が宙を飛んだ。

「わーー!!!」

 2対1という不利な状況下、掃除をしだす2人を必死に止める霖之助がいた。


* * *


 非力な霖之助の全力の防御で被害を抑えることができた…そういいたいのだが、守れた商品は3割も無いかもしれない。
 肩で息をする霖之助に、神2人はけろっとした態度でそこにいた。

「き、君たち…数多くの人間の信仰心を集めておきながら人間に対する態度が分からないのか?」
「え?分かるに決まっているじゃない」
「わざとよ」

 まだ分社を設置していないからこのような態度なのか?と心の中で質疑するも、その言葉を口にするのも億劫なのか、がっくりと肩を落とした。
 神とは?客とは?めまぐるしく回る質問に、涙をも流れるかと思ったとき。ものの本で見た一文が頭を過ぎった。

『神の語源とは――…』

「…神の語源として“上(カミ)”というのを聞いたとことがあるんだ。つまりお客様は神様…というのは店側よりも上と言う意味で使われるんだと僕は思っていたが…」

 やっと息も整ってきたので顔を上げてみると、9割の商品が片付かれる様が目に飛び込んできて絶望しかけた。
 残った1割の商品を両手で抱え、上にいるはずの神がこちらに近付くのをじっと見ている。
 少女の形をした神は両手を前に突き出し、霖之助の持つ商品をまるで獲物を捕らえるような目で見ていた。

「上(カミ)? それは違うよ。神の語源はカエルの“カ”」
「そして、へび(巳)の“ミ”よ。知らなかったの?」

 2人は霖之助の手からするりと商品を抜き取ると、どこに用意していたのかゴミ袋にポイッと入れてしまった。
 そしてひどく笑顔で言った。

「さ、文字通り神様の私たちが君をお客様扱いしてあげる♪」
「さぁ…分社はどの辺りに置きましょうか?」
「か、勘弁してくれ…」

 蚊のような、実にもならない情けない声が小さく響いた。