《東方女学園‐1時間目‐》


ガラガラガラ

 そう音を立てて2年C組の扉は開いた。それと同時に、Cクラスの生徒たちは教室の外へと飛ぶように出て行く。
 騒がしい中、Cクラスの担任である森近霖之助に挨拶をしない生徒も少なくない。

「センセーまたね!」
「さよならー!」
「はいはい。気をつけて帰るんだよ」

 声を揃え「はーい」と言う生徒に、霖之助は気だるそう手を振った。
 今霖之助の頭には、今日の日直は誰だったかと脳内の名簿をめくる。

 私立東方女学園――…。
 そこは小等部・中等部・高等部が立ち並ぶマンモス学園。
 将来淑女として世に出るための教養と知識。男性にも負けない力。
 絵に描いたような文武両道を目指しながら、生徒は自由に学ぶ権利を持つ。

 その証拠に、小等部から高等部を経て、世間に出た女性は様々な場所で活躍している。
 財政・スポーツ・芸能…。
 東方女学園はすべての女性の憧れであり、いまや社会現象とまでなるほど。
 そのため、入学校希望者は絶えることがなく、巨大と名高い校舎を更に拡大し、要望者に応えようと学園理事のものは目指している。
 …という噂を霖之助は聞いたことがあった。

 ぼんやりと学校のことを思いながら、今日の日直を担当するアリス・マーガトロイドに日直日誌を渡す。
 軽く挨拶を交わしてから自分の担当している茶道部の和室に行こうと足を廊下に向かわせた。

 女学園と言うからには生徒はすべて女性であり、教師も女性が9割を占めていた。
 そんなところに新任としてやってきた若い男性教師・森近霖之助は、生徒にとっては珍しい存在でしかなかった。
 ある生徒は憧れ、ある生徒は興味を示し、ある生徒はその人気に嫉妬する…。
 それは教師でも言える事なのだが、鈍感な霖之助にはそんなものはあってないようなものだった。

 廊下をゆっくりと歩いていると、後ろから背の小さな少女が駆け寄ってきた。
 そのうち霖之助の横に並び、小さな口が開いたと思えば文句ばかり出る。

「まったく先生がST(ショートタイム)を早く終わらせてくれないから私と霊夢の甘いお茶会が短くなるじゃない」

 女生徒の名前はレミリア・スカーレット。
 霖之助が顧問を務める茶道部部員である。何かと茶道部員の1人である博麗霊夢にくっ付きたがる。
 おそらく友達と一緒にいたいと思う気持ちの表れだろうが、今日のSTが遅くなった原因はレミリア自身にある。

「君が掃除からもっと早く帰ってきたら、もっと早く終わっていたんだが…」
「あっあれはしょうがないのよ!」
「ほーう」
「だ、だって!何でか咲夜が来て…っ」

 小声で言い訳をするレミリアに霖之助はジロリと睨んだ。顔を赤くして「う~~っ」と唸るレミリアを横目に、足は茶道部が活動場所とする和室の前にたどり着いた。
 未だ唸り続けるレミリアがおかしくて噴き出しそうになるのを堪えながら、朝この和室に隠した茶菓子があることを思い出した。

「まぁまぁそんなに膨れなくても。実は今日の茶菓子は美味しい……ってなんで部外者がここにいるんだ」

 扉を開けると、そこには見知った茶道部の生徒とともに茶道部としての登録をしていない生徒、及び教師が居座っていた。
 茶道部員である霊夢は、活動前にも関わらず煎茶をすでに啜っている。
 目線で『どういうことだい?』と問うと、霊夢は飄々と口を開いた。

「私は悪くないわよ。だって」
「まぁちょっと風の噂で今日の茶菓子がいいもんだって聞いてな」

 見知った生徒。それは学園内のことであり、同時にプライベートでも見知った人物だった。
 霧雨魔理沙。霖之助の従兄妹であり、以前は一つ屋根の下一緒に生活していた仲。もちろん霖之助が霧雨家にやっかいになっていたときであり、今は別々に暮らしている。
 従兄妹と言う間柄のため、学園にいても霖之助を『先生』呼ばわりすることなく、それは魔理沙の幼馴染である霊夢にも言えることなので、違うクラスで本当によかったと霖之助は思っていた。
 そして、一際目立つ人物が霊夢とともにお茶を啜っているのを、霖之助は恐る恐る問いかけた。

「…で、なんで紫先生までいるんですか…?」
「あら、いけないことかしら? だって私のクラスの生徒である魔理沙さんが他所の部活にお邪魔しているのよ? 風紀委員顧問としても、学級主任としてもちゃぁんと見ておかなくっちゃ。ね?」

 八雲紫。2年B組担任であり学級主任。更に風紀委員の顧問である。その権力は大きく、噂では校長よりも大きいという。
 何より見目麗しく、妖艶な雰囲気を漂わせる彼女に霖之助はどこか苦手意識を持っていた。
 男のくせに情けないと思われるかも知れないが、彼女を前にすれば誰もが納得することなので誰も霖之助を責めないだろう。

 強く言いたいところをぐっと我慢しながら、なんと言うべきか言葉を選んでいる中、空になった湯飲みを片手に魔理沙が口を開いた。

「何が、ね? だ。他に目的があるくせに」
「そうよねー。生徒思いも先生想いも度が過ぎると引くわー」

 魔理沙に続き霊夢までどこか皮肉を言うような仕草。
 霖之助は関心さえも思う中、不穏な空気が立ち込めるのを感じでいた。

「魔理沙さん?霊夢さん?あまりぺらぺらと喋っていると学年末の紙切れがどうなるか分かっていて…?」
「あー?」
「職権乱用じゃない!ちょっと!霖之助さんなんとか言ってよ!」
「霊夢…ここは学校なんだから先生をつけて…」
「今はそんなこと言っている場合っ?!」

 正直関わりたくない。
 それが霖之助の今思う最大の思いだった。
 そして、霖之助に詰め寄る霊夢をジッと見つめる少女が1人…。

「くっ!先生ったら霊夢とあんな親しげに…!!」

 額に冷や汗・背中に悪寒までも表れることに、霖之助の選択は一つだった。

「ちょっと僕はお花を摘みにっ…!!」

 逃走。
 脱却。
 エスケープ。
 一秒でも早くこの場所から離れろと本能が脳へと伝達物質を送る。
 どこの王族かと言わんばかりの理由に少女たちが納得するわけはなく、更に逃げるものを追う習性のある獣のごとく霖之助を追ってきた。

「あ!香霖!!」
「霖之助さん!」
「待って霖之助先生!」
「待てるか!」

 すぐに扉に向かって走り出す。
 そのとき、隠していた茶菓子を貪り食う鮮やかな薄紅色の髪を持つ女性が見えたが見なかったことにした。


* * *


バタンッ!

 閉じた扉の向こうから少女、及び女性の声が走り去っていった。

――魔理沙も霊夢も…考えたくはないが紫先生も鬼ごっことして楽しんでないか…?

 と、追う女性の気持ちが分からない霖之助はそう結論付けた。
 真意はどうあれ、逃げ切れたことを理解すると冷や汗とはまた違う、運動的意味をもつ汗がどっと体から吹き出た。早鐘のごとく鳴り続ける心臓を落ち着かせようと大きく深呼吸をする。

「ふー…。あれ…そういえばここは…」

 そこでやっと霖之助が逃げ込んだ教室が図書室であることに気付いた。

 学園の図書室は大きいことで有名であり、某国会図書館をも凌ぐとも言われる。
 読書を趣味とする霖之助にとって、この図書室は至極憧れであり、図書委員の顧問は自ら立候補したくらいなのだ。
 今日は茶道部の活動依然の問題と判断した霖之助は、ここで時間を潰そうと考えた。
 そのとき、か細い少女の声が霖之助の耳に入った。

「先生…?」
「…ノーレッジ? あ、図書委員か。悪いね静かにしなきゃいけないのを…あれ…?」

 パチュリー・ノーレッジ。霖之助に負けず劣れず本が好きな少女である。
 今日の図書委員担当か。そう考えていると、ふと図書室の異変に気が付いた。
 本来放課後ともなると、学園図書室は生徒でいっぱいになる。なのに、今日に限って誰もいないのだ。
 図書室は静寂に覆われ、同時にいつもより室内が暗い。電気をつけていないせいなのだが、どこか不気味な雰囲気を感じ取りパチュリーから一歩下がると、ベチャリと何か液体らしきものを踏んだ。
 恐る恐る足元を覗くと、現代には似合わない魔方陣らしき絵が、床にペンキを撒き散らして描かれていたのだ。

「一つ聞くんだが…他の生徒は…?」

 嫌な予感が過ぎる霖之助に、パチュリーの口がニヤリと歪んだ。

「ここは図書室と言う名の我がオカルト研究部の部室よ。先生は丁度いいときに来たわ。ぜひ私の実験に付き合ってほしいのよ」
「結構だ!そもそも!図書室を私用に使っては…っ!」

 必死に逃げようと扉に手をかけるのだが、いつの間にか鍵がかかっており扉が開くことは無かった。

「大丈夫。ちょっと悪魔召還に付き合ってもらうだけよ」

 図書室に悲鳴が響き、同時に今日の霖之助の教師日誌にはこう書かれた。


 自由すぎるのもどうかと思う。と――…。