《東方女学園-2時間目-》
「…じゃ、このクラスの委員長は魂魄さんで。みんな異論はないね」
「よろしくお願いします」
霖之助の言葉に妖夢は深々と頭を下げた。
2年C組の教室に拍手が鳴り響く。
これは数日前のことである。
春の委員・係り決めの際、2年C組の学級委員長は魂魄妖夢に決まった。
剣道部に所属し、さらに魂魄妖忌校長の孫でもある。
責任感が強く、頼まれると何でもしてしまう彼女は、今日も先生方からの頼みごとに答えていた。
* * *
職員室。
「魂魄さん、そのプリントCクラスに持って行くのならこれもお願いできる?」
「はい。構わないですよ」
「ごめんなさいね?」
生物教師である風見幽香は、カエルの骨格標本を妖夢の持っているプリントの上に乗せた。
既に持っていたプリントというのは、さきほど歴史担当教師である上白沢慧音に頼まれたものだった。
そのため今妖夢の手は大量の荷物で塞がれている。教材の重さに眉をひそめるが、勤めを全うしようといざ職員室から出ようと足を踏み出したとき。
「…魂魄。僕も持っていって欲しいプリントがあるんだがいいかな」
「あ、はい」
霖之助は妖夢を呼び止めて国語準備室へと移動した。
妖夢にとって、担任以外から頼まれごとをされることは珍しくない。もちろん、担任である霖之助に頼まれることも少なくない。むしろ多い。
しかし、いつもは妖夢のキャパシティが越えそうなときは遠慮をしてくれるのだが、今日に限ってそれがない。
妖夢は特に怪しむことなどなく、そこまで急ぎなのだろうと自分を納得させていた。
「じゃ、これよろしく」
「ぐぅっ!」
妖夢は小さく唸った。
プリントの上に置かれたカエルの骨格標本の上にさらにA4のプリントが置かれたのだ。
あまりの重さに腕が痺れるのを感じながら、霖之助は思い出したように別のプリントをその上に置いた。
「ああ、これもあったんだ」
「あぅっ…はい…わかりました」
文句を言わずに耐え続ける妖夢が面白いのかつまらないかは定かではないが、霖之助は一言「ふむ」と呟くと、持っていこうと思っていた教員用の教材とチョークの小箱を妖夢の頭の上に乗せた。
「君ならこれもいける」
「…えっ?!あ!あわっあわっあわわわ!」
頭のてっぺんまでは気が回ることがなかったのか、あれよあれよと言う間にその場に崩れてしまった。
バラバラと音をたててプリントは舞い落ち、妖夢はあっという間にプリントの下敷きになる。最後にカエルの骨格標本が妖夢の頭を狙ったように落ちてきた。
「修行が足りないね」
「っ!! 先生が無理すぎるんです!」
霖之助の言葉に、倒れていた妖夢はガバリと起き上がった。
同時に撒き散らかしてしまったプリントを2人してかき集める。
「元来クラス委員は担任の従者だと聞くんだが」
「そんなこと聞いたことないですよ!」
「冗談だよ。君が次々と仕事を受け持つものだからそれが趣味なんだと思ってね」
「そんなんじゃないです!私は…。だって私は…おじいちゃんの孫…なんだから…」
「? そういうものかい?」
首を傾げながら言う霖之助に、プリントを拾うこともやめ食いかかった。
「だって!先生方がそうさせるんじゃないですか!!校長の孫だからってこういうこと頼むんだろうし…」
校長、それは学校内における最高責任者。
その孫である妖夢は常に真面目でいなければならないと考えていた。校長の孫である以上、粗悪な態度は祖父の威厳に関わる。
――常に勤勉に振り回らなければ…!私はおじいちゃんの孫なんだから!
そうやって自分を奮い起こしていた。
だから先生方の頼みも断ることは無かった上、むしろ頼まれることが当然だと思っていた。
校長の孫であれば当たり前。
校長の孫ならばできるだろう。
自分は周りから期待される生徒。
普通の生徒とは違う、特別な生徒。
…そう考えていた妖夢に霖之助は一言言い放った。
「…君、少し自意識過剰だと思うよ?」
「………はぁ?!」
顔に血液が上昇するのが分かった。
面と向かって言われたこともない言葉。
それが自分の担任の教師に言われては、怒りたくなるのも無理はないかもしれない。
「おっと言葉がキツイな。そうじゃなくて、君が思っているよりも先生たちは気にしていないよ。もしそうだったら雑用を君に頼むわけがないじゃないか」
「わっ私は先生の思っているような生徒じゃありませんから!!!この荷物ももうしりません!!」
半ば叫ぶように言い放った一言と同時に、妖夢が拾い集めたプリントとカエルの骨格標本が霖之助の腕にのしかかった。
バタバタと音を立てながら逃げるように走り去る足音も、既に遠くの方から聞こえる。
未だ床に散らばるプリントにため息を吐きながら、リンゴのように赤くなった妖夢を思い出して呟いた。
「青いなぁ…」
* * *
その日の夜。魂魄家。食事時。
「おじいちゃん!あの!私の担任の…っ!」
いつもは黙々と食べる妖夢だったが、この日は違っていた。箸を置き、食事にも手をつけず、向かい座る校長…否、祖父に向かって声を荒げていた。
「? ああ、森近先生か。よく生徒のことを見てくれるいい先生だろう?」
――そうでしょうか…。
にこにこと上機嫌で話す祖父・魂魄妖忌に対し、妖夢は心の中で毒づいた。
「最近は女性の応募・採用が多かったからね。学歴は保障されているし、あれくらい淡白な先生の方が生徒にも安心だし」
「淡白すぎて私には合いません」
「なに、妖夢は難しく考えすぎなんだよ。森近先生は肩の力を抜けと言っているんじゃないか?」
「…そうでしょうか」
悲しげに眉を下げる妖夢に何があったとは聞かないものの、妖忌は少しだけ勘付いていた。
前々から妖夢が自分のために遠慮していることを知っていたからだ。
「…私のことは気にするなといつも言っているじゃないか」
「いえ…私はおじいちゃんの孫であることは誉れ高いです。…森近先生は…それを否定するような態度なんだもの…」
「否定? はて…そんなことをする男だったかな…?」
「だってあの人いっつも私をこき使って」
「妖夢…先生に向かって“あの人”ではいけないよ」
「は、はい…。とにかく、今日私のことを…」
――私のこと、まるで普通の生徒みたいに扱ったんです。
そう言おうとしたことに気が付いた。
「? どうしたんだい妖夢」
妖忌は会話の最中に固まった妖夢を心配そうに伺う。
妖夢は霖之助が言った言葉を思い出していた。
少なくとも妖夢は東方女学園校長である妖忌の孫であることは事実だろう。
教師たちの頼みごとをすることで校長の威厳が保たれると考え疑わなかった。
その分自分に期待しているのだろうと。
しかし、雑用くらいで期待などされるだろうか?
否、それは霖之助の言った通りの“自意識過剰”そのものであった。
――やだ…私ったら自分を特別だと思ってる…?!
恥ずかしさで目頭に熱い液体が溜まるのが分かる。
「お、おや妖夢…なぜ涙なんか…?」
否定したいと思っても、答えはいつも自分の思い違いと言う情けないものなのだ。
みじめで忌まわしくて肩が震える。涙もとめどなく溢れる。
この気持ちを教えてくれた霖之助が口惜しいとも思ったが、それ以上に妖夢には感謝の気持ちが芽生えた。
「…っく…おじいちゃん…ごめんなさ…ごめんなさぃい!」
涙を流し、嗚咽を堪えながら謝り続ける妖夢に、ただ妖忌はそっと抱きしめることしかしなかった。
何も聞かずに、泣き止むまで――…。
* * *
次の日。朝礼前。国語準備室。
いつものように自分の荷物を机の上に乗せてすぐのことだった。
「森近先生!」
壮大な音を立てながら扉を開けたのは、2年C組学級委員長魂魄妖夢だった。
「ああ、魂魄か。おはよう」
「おはようございます!先日は軽率な態度でスミマセンでした! 私…私本当は…」
自分が天狗になってたなんて恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
顔を赤くし中々本題を口に出せなくて指をもじもじしていると、霖之助は首をかしげた。
「軽率…君、そんな態度とっていたっけ?」
「はっ?! だからっ…私っ!」
「君はなんだが抱え込む癖みたいのがあるみたいだね。まぁ気にしないことさ」
――森近先生わざと…?
不甲斐ない欠点を見つけながら、生徒のとった傲慢な態度にも寛大にそれを許そうとするなんて。
そう理解すると、妖夢の霖之助に対する感情は、はっきりと“尊敬”という気持ちに変わった。
羨望の眼差しとともに、頭を深々と下げて言った。
「ご指導ありがとうございました!」
「ん、じゃあこの資料運んでおいてくれ」
「はいっ! ………え?」
元気よく返事をしたのはいいのだが、今妖夢の手に置かれたものは、1時間目に行われるだろう国語の資料だった(×クラス人数分)。
呆けたように霖之助を見ていると、霖之助は名簿帳とチョークの箱を持ち立ち上がった。その姿は実に軽やか。
いつまでも間抜け面な妖夢に追い討ちのように言い放った。
「何しているんだい? ほら、早くしないと朝礼に遅れるよ」
「い、いえ…。あの…これは…?」
妖夢の首がまるでカラクリ人形のようにゆっくりと霖之助の方向を向く。
信じられないという顔。
過度に働かせることは妖夢の自意識過剰を気付かせるためじゃなかったのか。
そう言いたくてしょうがないのに、口がうまく回らない。
そんな妖夢を知ってか知らずかは定かではないか、霖之助は妖夢の質問を答えることなく国語準備室から出ていく。
「ほら~。授業の遅刻は内申下げるよ」
「みょ~ん…」
その日の教師日誌
…いい従者を手に入れたよ。