《東方女学園-5時間目-》


 時計の針が12を指す。日差しが眩しいために閉められたカーテンが揺らめく。
 高い気温を和らげる風が窓から流れ、カーテンの隙間から青い空が覗いた。

 2年B組霧雨魔理沙は、ぼんやりと今日のお昼のことを考えるが、残念ながらその昼食まではまだ30分近くあった。
 今は従兄である森近霖之助が教える国語の時間。ただ文章を読むだけの授業に魔理沙は飽き飽きしていた。
 何か面白いことでも起きないだろうか。いや、多分ないだろう。
 なんて反語を思いながら頬杖を付いていた。

 そんなとき…。

くぅ

 それは教卓の方向から聞こえた。ついでに今立っている人間の腹から聞こえた。
 今立っている人間と言うのは、教師である森近霖之助しかいないわけで。
 静まる教室で魔理沙が言った。

「なんだ香霖。生徒よりも先に腹鳴らすなんて」

ドッ

 魔理沙の一言に教室中が笑いの渦に飲まれる。
 さすがに恥ずかしいのか、誤魔化すように自分の腹を撫でる。

「少し鳴っただけなのに…。まぁ…そうだな。僕は君たちの腹の虫の代わりに鳴いたんだよ。うん」
「乙女は腹なんて鳴らさないぜ」

ぐぅ

「あ」

 鳴らないと言った腹から、鳴き声が聞こえた。
 鳴らないと言った魔理沙の腹の虫が鳴き声を上げたのだ。
 それをバッチリ聞いていた霖之助はしたり顔で言った。

「全く霧雨さんのお腹は本人と違って正直だ」

ドッ

 2年B組に再び笑い声が響く。バツが悪そうに顔を歪める魔理沙の机に小さなアメが投げ込まれた。

「おっ!サンキュー!」
「こら!授業中に食べるんじゃない!」

 すぐさまアメを口に入れた魔理沙に一喝する。
 が、今度は魔理沙でなく霖之助が向かう教卓に同じアメが投げ込まれた。

「まぁまぁセンセーにもあげるから許してくださいよ♪」
「……はぁ。僕は霧雨さんとは違うからね。授業中になんか食べないよ」

 「えー」という生徒の声がする。霖之助は肩を落として生徒の自由過ぎる授業中断に落胆した。もう怒ってもしょうがないと判断した霖之助は、大きくため息を吐く。
 しかし、教卓に投げ込まれたアメを生徒に返すこともしない。あろうことかアメをポケットに入れて、またしたり顔で言った。

「これは没収と言う形で引き取らせてもらうよ」
「全く現金なやつだぜ」
「はい。授業を続けるよー」

 雑談が混じり始めた生徒を再び黒板に注目させるように軽く手を叩く。生徒たちはクスクスと笑いながら授業に戻っていった。

 しかし、そんな霖之助をジッと凝視する生徒がいた。

(先生も小腹が空くのね!)

 鈴仙・優曇華院・イナバ。入学当初より銀色の髪、黄金の目を持つ霖之助に一目ぼれをしてしまった生徒である。
 イベントごとで隣に座って、会話をしようと口を開けたとたん狙ったように呼び出しを食らったり、国語のテスト用紙に気持ちを伝えてみたが、運悪く採点を手伝った他の教師に見つかったりと、何かと運が悪いのだが鈴仙にとってはそんなものを恋の障害と考えている。そう、彼女は恋に恋をしているロマンチストなのだ。
 今の鈴仙の頭には、教える側の教師であっても小腹が空くという発見と、そのことを使ってどうにかこちらを見てもらうという思惑で満たされていた。


* * *


 チャイムとともに授業が終わった。
 学食に行く生徒と、弁当を広げる生徒。天気がいいので外で食べようと外に出る生徒も少なくない。

 先ほどまで教卓に向かっていた霖之助も、今日は外で自作の弁当を広げていた。
 人通りも少ない中等部と高等部の渡り廊下。丁度日陰になっているため暑すぎることも涼しすぎることもない。
 箸で卵焼きをつまみ、口を開ける。パクッとほお張るのだが、卵焼きの味が口に広がることはなかった。
 その代わり、口をもごもごと動かす少女が目の前に座っていた。制服が高等部のものだったので一目で高等部の生徒と分かる。
 女生徒は頬をほころばせて霖之助の卵焼きを味わってたが、ふと我に返って立ち上がった。

「おいしぃ…。 ハッ!! やだ!私ったらっ!」
「君は…」
「えっと…私は高等部のレティ・ホワイトロックといいます。すみません…」

きゅぅぅ

 ぺこりと謝るレティから、狙ったように腹の虫が鳴く。
 恥ずかしくて顔を赤くするレティと、その気まずい空気に耐え切れなくなった霖之助は弁当をレティに渡した。

「あー…よかったら卵焼きもう一切れ食べるかい?」
「いえ…でも…」
「卵焼きはまずかったかい?」
「いえ!!とっても美味しかったです!」
「そうかい」

 霖之助はそう呟くと、尻のポケットから文庫本を取り出して、その本に視線を落としてしまいレティと話すことをやめてしまった。
 弁当を手に持つレティは、少々悩んで、そして控えめに箸を取った。

「…あの、イタダキマス…」





 数分後。

「っホントにごめんなさいっ!!!」
「まぁいいよ」

 レティはおもむろに土下座をしていた。その片割れには空になった弁当箱が一つ…。
 あまりに腹を空かしていたために霖之助の弁当をすべて平らげてしまったのだ。
 正直空腹なのは辛いことだが、先ほど生徒から没収…否、貰ったアメで誤魔化すことができるだろうと考えていた。

「で、君は自分の弁当箱を忘れたのかい? それか財布を忘れてたとか? それとも学食も購買も込むからね。買い損ねたか」
「あ…これは…その…」

 昼食を持っていなかった理由に触れると、レティは俯いてしまった。
 霖之助は首を傾けて様子を伺おうした瞬間。勢いよく顔を上げて、どこか期待するような目で尋ねた。

「先生っ 一つ質問してもいいですか…?」
「え? ああ」
「…先生は、高校生のとき………体重はどれくらいありました…?」
「僕が高校生だったときの体重? 僕は…そうだな…48キロだったかな」
「…は?」

 確かそうだったはず。そう付け加える霖之助に、レティの顔が見る見る青くなっていくのが分かった。

「ああ、本当にガリガリだったからね。モヤシになるぞなんて言葉を従妹から言われたもんさ」
「………」

 誤魔化すように笑いながら昔を思い出す霖之助に対し、この世の絶望を見たかのようにレティは黙ってしまった。
 不思議そうに首を傾けて様子を伺おうとすると、レティは突然立ち上がった。その目は何かに燃えているような目。背中に炎の絵が見えるくらいだった。

「私!用事を思い出したので!!これで失礼します!!!」
「え? ああ…」

 足早に立ち去るレティを見送った霖之助の腹の虫は切なそうに鳴くだけだった。


* * *


 その日の放課後。高等部の教室の一角。
 レティの傍には、友人の十六夜咲夜と紅美鈴が談笑している。
 高校生の話となると、取り留めのない話から恋話までいろいろあるもの。3人が話しているのは、後者だった。

「私決めた…。森近先生の高校生のときの体重より減ったら告白する!!」
「えー…」
「森近先生って…たしかお嬢様の担任よね。確かに顔はいいかも知れないけど…でもどうして体重…」
「だって自分の彼女が自分より重かったら嫌じゃない!!!」

 レティ自身、そこまで太めの体型ではない。しかし、目の前のスレンダーな友達や、スタイルのいい教師陣を見ていると、どうしても不安になってしまい、痩せたいという願望は増えていくのだ。それは年頃の女の子によくある悩み。
 咲夜と美鈴は正直ついていけなかったが、どうせ一時的な気持ちだろうと割り切っていた。
 ダイエット目的のために好きな人を作るのも、それは自分にとってプラスになる(肉体的プラス)と考えれば否定する権利は二人にない。
 美鈴と咲夜ができることは、ただ見守ることくらい。背中を押そうと声をかける。

「まぁ、目標があれば意気込みも違いますしね!私は応援しますよ!」
「っていうことで美鈴! いいダイエット方法知ってる?!」
「え?ダイエット? したことありませんよ私」
「えっ?! そんなにウェスト細いのにっ?!」
「毎朝太極拳してますし、運動するのが一番です!」
「なるほど…」

 思わぬ質問に多少焦ったものの、美鈴は正直に答えた。その答えはレティに何かをひらめかせるものだった。一拍置くこともせず、続いて咲夜に同じ質問をする。

「咲夜は知らない? いいダイエット」
「特には…。あっ、でもお嬢様のご友人であるパチュリー様から人間の約60%は水っていうことを教えてもらったことがあるわ。60%もあるんだもの。この水をどうにかしたら減量に繋がらないかしら?」
「そうか…! つまり、体の中の水を減らせば体重も減るってことね!」

 納得できる答えを導くことができたのか、レティの目は燃えていた。背中を押した2人も、正直わけが分からなかったがレティのやる気を見守ることにした。


* * *


 一週間後。それはレティにとって苦しい一週間だった。さながらBGMはエイドリ●ン。
 まず水分を摂ることを極端にやめた。普通の食事でも、飲み物はなし、味噌汁は汁を残すなどして水分という水分を摂ることをやめてしまったのだ。
 そして運動。朝のランニングから、腕立て腹筋各30回を3セット。それでも水分補給は極力減らす。
3日目にして体重は一気に減ったものの、5日目にしてそれほど減ることがなくなってしまった。
 そこで、レティは食事まで減らすことにしたのだが、7日目である今日、レティの体は悲鳴を上げていた。

「う…喉が乾いた…お腹も減った…。でも…目標まではまだ…」
「大丈夫ですか?顔色わるいですよ?」
「ちょっと無理しすぎじゃない?」

 休み時間。移動教室のため階段を登るレティと咲夜と美鈴。
 レティを心配し、楽に階段を登らせるために手を差し伸べる2人に、レティはふるふると首を振って遠慮する。少しでも運動をするために差し伸べられる手を拒んだのだ。
 しかし、それがいけなかったのか、レティは強烈な眩暈とともに後ろに下がっていった。
 階段はもう少しで登りきるところ。そのままレティは階段下に落ちていく。

「レティ!!!」

 2人の驚いた顔が見える。死という文字がレティの頭を過ぎた。
 スローモーションで落ちていくのを感じながら、レティは痛みを知ることもなく闇に意識を飲まれていった……。


* * *




……

………

「ん…。あれ…?私」
「大丈夫かい?」

 温かな場所だとレティは思った。肩と膝裏に感じる温かさは、どこかゆりかごを思い出させた。
 天国にしては上等。そして目の前の男性。その人物が自分を抱えていることを気付くのに時間がかかった。

「森近先生!」
「階段から落ちそうになったんだよ。覚えているかい?」

 正確に言えば、霖之助の下にレティが落ちてきたともいえる。偶然にも、霖之助は階段下を歩いていたのだ。
 そして、落ちてきたレティの意識を確認するも応答がなかったために保健室に運んでいるのが今である。お姫様抱っこで。
 ちなみに咲夜、美鈴の2人には授業に行くように指示したためにいない。

「えっ!あの!重くないですか?!」
「それは僕が貧弱と言いたいのかい? …まぁその通りなんだが…」
「いえ!そうじゃなくてっ!」
「平気だよ。君を落とすことはしないようにするから」
「先生…」

 少々ずれているが、正しく王子といっても過言ではない。
 正直ダイエットのための目標とするために好意を寄せたのだが、こんなことがあっては本当に好意を持ってもおかしくない。
 頬に朱を染めながら、霖之助を見つめるレティ。そしてその腹部からは鳴き声が木霊する。

ぐー…

「やだっ!」
「じゃあ僕は適当に購買部で何か買ってくるから、その間に八意先生に見てもらった方がいいよ」
「は、はい…」

 丁度保健室前に来たところでレティをおろす。無事保健室に入ったのを確認すると、レティの腹の虫のために購買部に急いだ。





 購買部に歩を進めていたとき、授業に来ない霖之助を2年B組のある生徒が探しに教室から出ていた。

「あ! あのっ…先生…!」
「君は…優曇華院…?」


* * *


「で、ダイエット?」
「は、はい…」

 机に頬杖を付きながら、保険医・八意永琳がレティに尋ね、そして縦に振られた首を見て大きくため息。そして叱咤。

「バカ! そんな無理なダイエットは危険よ! もう二度としないように!!」
「は、はい…」
(ば、バカって…)

 般若のような雰囲気に畏怖し、かしこまることしかできない。しゅんと落ち込むレティに永琳は言った。

「標準体重があればダイエットなんてしなくて結構よ。BMIとか、脂肪率とか計った?」
「で、でも!普通より少しだけ、周りの子よりもほんの少しだけでいいからやせていたんです!」
「はぁ…まぁ、年頃の女の子には、何を言っても無駄よね…」
「すみません…」

 素直に謝るレティの体型を永琳は見つめる。まじまじと舐めるように。気味が悪くて向かい合ったイスに深く座って少しでも距離を開けようと試みるが、永琳はレティの腕を掴んで真面目な顔で口を開いた。

「正直に言ってしまえば、今の貴女にダイエットは必要ないわ」
「え…でも…」
「普通の人よりも体重が多い?それはね…」
「っきゃ! なっなに?!」

 掴んだ手を引っ張って無理やり立たせる。そして、バランスを崩したレティを、背中を向くようにこちらにもたれさせる。そして空いている片手をレティの胸に押し当てた。
 驚いて声の出ないレティをいいことに、腕を掴んでいた手ももう一つの胸に移動させる。そして耳元で呟いた。

「それは…こんな立派な胸があるからよ。 ダイエットなんかしたら悲惨なことになるわよ…?」
「あっちょっと! 何するんですかっ!?」
「やぁねぇ…減量で減った胸を元に戻すマッサージよ」

 手に収まらないやわらかなレティの胸は、永琳の手によって形を変える。
 未だ体験したことのない感覚に、堪えきれずに自然と声が裏返る。

「あっ! や…ぁン!! あん!」

 レティの声はだんだん大きくなり、どこかに“飛ぶ”ような気分。このままイってもいいかもしれない。そう思っていたとき、丁度、保健室の扉が開いた。

「今丁度マドレーヌを貰ったん…」
「あ」
「え?」

 可愛らしいラッピングされた袋からはかすかに甘い匂いがする。実は先ほど霖之助を探しに来た鈴仙が「授業の合間に食べてください」ということでマドレーヌを貰ったのだ。それを、腹をすかしたレティに食べさせようと保健室に戻ってきた。…鈴仙にとっては、霖之助のために作ったものが、高等部の女生徒に食されるとは思ってもいなかったことなので、不憫としか言えないのだが…。

 それはさておき、今この保健室に起こっていることに霖之助は戸惑っていた。教師と生徒の逢引…それも同姓同士。どう対処していいか頭を回転させる。…が、ただただ見なかったことにすることにしか、霖之助はできなかった。

「…ここにおいておくよ。 僕は授業があるから、失礼した」

 わざとなのか音を立てないように扉が閉まっていくのが分かった。
 マッサージは中断。永琳は頬に手を置いて平然としている。

「あら。勘違いされちゃったかしら?」
「うわぁぁぁあああ!!」

 さらばレティの恋心。


 その日の霖之助の教師日誌

 見ざる見ざる見ざる。