《東方女学園-7時間目-》

《東方女学園-7時間目-》


 人のざわめく屋根の下。夏の暑さも緩めるそこは、酒を飲む手も進んでいた。

「ぅっく~。まだまだのめますよわたしあ~!」
「ら、藍先生…もう少し控えた方が…」

 ショートカットの美女ががぶがぶと浴びるように酒を飲む。口から出る言葉は上司の愚痴しか出ていない。
 美女…もとい八雲藍の傍らに座る森近霖之助は、ただ藍の言葉に相槌をうつことしかできなかった。
 藍の愚痴は量が多いわけではない。先ほどから同じ内容の愚痴が繰り返されている。
 霖之助は本人に分からないように小さくため息を吐くと、どうしてこうなったかを思い出していた。


* * *


 時計が6時30分を越えたまでは霖之助も覚えている。が、夏の空が暗くなってきた時点で時計を見るのも恐ろしくなっていった。
 教師にとっては定時を越えている時間に霖之助は期末試験のテストを考えていた。
 教科書とにらめっこをするが、テスト問題とするいい問いは一向に見つからない。
 テスト週間と言うことで部活もなく、学園内はシンと静まっている。節電のために薄暗い職員室はどこか寂しく、心細くなりそうだった。

「はぁ…テスト作りも簡単じゃないな…」

 元気出そうと呟いた独り言は、突然開いた扉の音に遮られた。
 ビクリと肩を震わせ、音のしたほうに振り向くと、そこには隣のクラスの副担任である八雲藍が立っていた。

「おや、森近先生も中間テスト作りですか?」
「はい。“も”ということは藍先生もですか…?」
「ええ。私は数学準備室で作ってました。あと少し…という感じです」
「いいなぁ。…何故か僕が作るテストは難しいと言われてしまい…だからと言って簡単すぎるテストもどうかと…」

 以前、魔理沙と霊夢に口を尖らせながら言われた台詞がある。

 『香霖(霖之助さん)のテストは国語というよりトンチだ(わ)』と…。

 文章を読んで答えろ。という問題がほとんどのはずなのだが、いざ問題を作るとなると作者の意向であったり、主人公の気持ちなどを問う問題が多く、決して文章に答えが載っているわけではない問題になってしまうのだ。そこで改善策として漢字問題を多くするのだが、読み・書きの他に漢字検定にでも出てきそうな問題(書き順・部首名等)を出してしまうものだから生徒からのテストの評価はいいものではない。もちろん、国語が好きな生徒は高得点を取れて当たり前なのだが、その高得点と低得点の差が激しいことも教師としてはあまりいいものではないのだ。
 この間の中間テストのときも学年主任の上白沢慧音にこっぴどく注意されたばかり。先ほどから進まないテスト作りも無理はない。
 そんな霖之助の悩む姿に、ベテラン数学教師は頬を緩ませる。しかしただ笑い者にするのではなく、元気付けるためのフォローも忘れない。

「ははっ!分かります。私も大抵の生徒に数学嫌いだって言われます」
「女性は理数教科が苦手と言いますからね」
「私は好きなんですけどね。計算した上で出た数字は、もう『数字』ではなく美術品に及ぶほどの価値があると思うんです」
「数学が美術品ですか。中々詩的ですね」
「あ、そんな…」

 なんとなく恥ずかしいことを言ったように思えて藍の頬が赤くなる。そんな藍に追い討ちをかけるがごとく、霖之助の賞賛は続く。

「僕は好きですよ。ほら、なんていっても僕国語教師だし。比喩の仕方が僕好みだ」
「や、そんな! こんなことで褒められても何も出ませんよ!!」
「思ったこと言っただけなんですが」
「ははっ 気分をよくしてくれたお礼に何かご馳走しますよ。それとも…テスト作り大変ですかね?」

 正直に言えば、未だ真っ白なテスト用紙(になる予定の紙)が心残りでしょうがない。
 首を傾げながら尋ねる藍に、断ろうと口を開いた霖之助の腹部から狙ったように腹の虫が鳴いた。テスト作りも大変なのだが、本能は食欲の方に勝ってしまう。
 「あー…」と決まりが悪そうに呟く霖之助に藍はクスクスと笑って横にかかっていた霖之助のカバンを机の上に置いた。
 すぐに行こうという意味だと理解すると、藍はウィンクをしながら言った。

「今日みたいな暑い日は麦でできた飲み物が飲みたくありませんか?」
「麦茶…」
「ブー。違います。ふふっ」

 子供らしく笑う藍に、霖之助はついて行くことになった。


* * *


 ビルが立ち上る繁華街。
 とあるビルに入った藍と霖之助は店員にビルの屋上へと案内された。そこで待っていたのは、大いに賑わう…

「なるほど!ビアガーデン!」
「ここ、私のお気に入りのお店で、夏だけ屋上でビールが楽しめるんです。あ!生2つ~」

 藍が通りすがりの店員に声をかけて、適当な席を見つける。用意されたビールを片手に小さな宴会が始まった。

「乾杯しますか」
「はい♪」

 霖之助の乾杯の誘いに藍は機嫌よく返事をした。


 で、今にいたる。


 腕時計の針を見るのも恐ろしい。
 今頃テストも完成していたかもしれないと思うと、狙ったように鳴いた自分の腹の虫が疎ましく思えた。

「きぃてくださいよ!もりちかせんせぇ!」
「はいはい」
「ゆかりせんせったら私が副たんにんだからってこの間もしごとを私にまかせっきりでぇ!」
「は、はぁ…」

 ちなみにこの愚痴はこれで通算17回目である。
 話を聞いてみると、2年B組の担任と副担任は同じ屋根の下に住んでいて、家でも学校でも同じような関係が築かれているらしい。
 自分が苦手とする八雲紫と始終一緒にいると聞くとどうしても同情の余地しかない。

「いくら一緒にすんでるからっておうぼうすぎです~っ」
「そうかもしれませんね…」
「おかげでちぇんにも寂しいおもいをさせてしまって…」

 “ちぇん”。その名前には霖之助にも覚えがあった。以前運動会で木に登ったまま降りられなくなった小等部の生徒…。藍と関係しているということで気になってはいたのだ。
 適当に相槌しか打っていなかった霖之助は、その話に食いついた。

「ちぇん…というとこの間の…」
「そうです!!」
「!」

 霖之助が話しにノッてきたのが嬉しいのか、それとも橙のことを話すのが嬉しいのか、藍の表情は生き生きとしていて、ズイっと前のめりになった藍に驚いた。

「運動会のとき木からおちそうになっていたかわいいかわいい小等部の子です!!あのときのお礼もこめて今日はたくさん飲んでくださいね!!」
「あ、はい」

 自分よりもはるかに飲んでいる藍につられるように、霖之助はビールに口を付ける。

「あのときはあのときで私ものすごくしんぱいしたんですよ? ハシゴを持ってきたのに誰もいないし…なぜかみんな『森近先生がかっこよかったぁ~v』としかゆわないし…だれもちぇんの居場所をおしえてくれないし…」
「橙は、藍先生のお子さんですか?」

 霖之助の質問に、藍は飲んでいたビールを噴出した。「大丈夫ですか?」と背中をさする霖之助だが、藍は咽たようでゴホゴホと咳が止まらない。咳をしていたせいか、落ち着いたころには顔が真っ赤になっていた。

「ごほっごほっ  え、あ!えっと!! 橙は…えと…預かっている、と言うべきでしょうか…」
「預かっている?」
「はい。諸事情ってやつです。でも、私は橙のなかで教師であり、母であり、姉であり…できたら本当の家族になりたいなぁ…なんて思ってます」

 先ほどまで酔っていた藍だったが、橙の話をする藍の表情はまるで母親のようで、本当に橙のことを大切に思っていることが明らかだった。

「橙はいい子ですよ。それは藍先生のおかげですね」
「森近先生…」
「ちゃんと挨拶もできるし、本当によいこで…」

 橙を褒める霖之助をほぅっと見つめていた藍だったが、褒めちぎったのが悪かったのか、突如机がガタンと音をたてて揺れた。

「そーなんです!そーなんですよ!! ゆかり先生がいるから周りの空気を読むことばかり達者になってっ!! 最近は私に迷惑かけないように一人立ちの訓練…あ、家事のことなんですけど。 お手伝いをよくしてくれて!! 本当に私の娘や妹にしてはできすぎるくらいです! 問題あるとしたら泳げないことくらいで! その泳げないせいで水泳の授業がある日はあからさまに仮病使うんですよ! いけないなと思うんですがそのことも込みで可愛く見えてしまうのが私の悪いところと言うべきなんでしょうか!そうそう!この間橙ったら……!」
「は、はぁ…」

 橙自慢は店閉店間際まで続いた。


 その日の霖之助の教師日誌

 テストが…間に合わないかもしれない…。