《東方女学園-8時間目-》


《東方女学園-8時間目-》



 梅雨も明け、蝉の鳴き声によって暑さが増すような気がする朝。
 テストも終わり、あとは夏休みを待つだけになったために、東方女学園に向かう生徒たちの足も軽い。
 一方、通知表の評価・コメントも書き終わるのに手こずっている国語担当の森近霖之助は、朝から大きく口を開けて欠伸をしていた。
 東方女学園の正門を越えたところで、物陰からフラッシュが焚かれた。

パシャッ!

「っ!」

 突然のフラッシュに目を瞬かせていると、サッと包囲された ……2人に。

「朝の無表情ゲットしました!」
「よくやったわ椛!次は持ち物チェックよ!」
「はい!」
「わっ! ちょっと何するんだ!」

 2人の生徒は獲物を狙う豹のようなスピードで霖之助のカバンを狙う…が、カバンの中には大切な書類が入っているために、霖之助はその強奪を必死に防いだ。
 白に近い銀髪の生徒は、まず右手を押さえ、その間に黒髪の生徒が左手に持ちかえられたカバンを奪おうと飛び込んだ。
 そうはいくかと、長身を生かしてカバンを頭上に上げる。中学生には届かないと思われる高さだったが、2人はカバン目掛けて飛び跳ねた。よほど運動に自信があったのだろう、自身の飛躍力によって双方の手は確実にカバンに届いた …だろう。…霖之助がバランスを崩し後ろによろけなければ…。

 ガンッ …と、霖之助の前方で鈍い音がなった。

 お互いの頭が直撃したために、鈍い痛みが2人を襲っていた。その場にしゃがみこみ声にならない悲鳴を上げる。
 やっとバランスを立て直した霖之助は、少々息を乱しながら、目の前の見覚えのある生徒に一括した。

「なんなんだい君たちは!」

 その言葉に、2年B組 射命丸文と1年C組 犬走椛がサッと立ち上がって言った。

「よくぞ聞いてくれました!」
「見たい知りたいあんな事っ」
「たとえ火の中水の中」
「更衣室の中だって私たちは追いかける!」
「人呼んで東方女学園新聞部!!」

 言葉は文、椛が交互に言ったと思ってほしい。文の最後の言葉に2人はピシッとポーズを決めた。
 2人のポーズが妙にバラバラで頼りなく感じるのは霖之助だけではないはずである。
 だが、バラバラのポーズに思考が静止したため突っ込むことはおろか逃げ出すこともできなかった。
 気付いた頃には、呆けた顔をカメラに収められ、写真の趣旨について文が説明していた。

「今回の記事は森近先生の24時間密着取材をしようかと思いまして」
「………は?!」

 間の開いてしまった驚いた顔も、横にいた椛によってパシャリと撮られてしまった。


* * *


「噂では東方女学園の話題にならない日はないというほど! それほど人気の方を取材しなくてどうするんですか!」
「単にネタがないと言えばいいじゃないかい?」
「ははっ!聞きましたよ!この間の妹紅先生との100M走!ステキな結果でしたね!」
「あれはもう競技とはまた別の話だと思うんだが…」
「そういえば高等部の女生徒が階段から落ちそうになったところを助けたとか」
「助けたというより下敷きになったというほうが正しいような…」
「特ダネも聞いているんですよ!なんと!数学教師R先生と夜の街に消えたと…!」
「ただ飲みに行っただけでそんな言い方されるんて…」

 廊下を走ることのできない霖之助は、早歩きで教室へ向かう。
 その間、ずっと文、椛によって尋問が繰り返されていた。
 大きく肩を落としていたが、2年C組の扉を前にして霖之助は不敵に笑った。

「さぁ 僕はこのクラスの担任。君たちは自分のクラスに帰りなさい」

 霖之助は扉に手をかける。中に入ってしまえばこのわずらわしい尋問も消えるというもの。しかし、文と椛はきびすを返すことなく霖之助の後ろに立っていた。

「つまり今までの質問をまとめますとね? 森近先生は今一番旬なのですよ。注目の的。時の人。恥ずかしいのは今だけです」
「そんな先生のことを知りたい生徒は結構多いんですよ。東方女学園のすべての生徒のため!私たちも授業を削って先生を丸裸にします!」
「取材お願いしまーす」

 一緒にC組の中に入る文と椛に、昏倒しそう霖之助が小さく声を上げた。

「か、勘弁してくれ…」


* * *


『下校の時間になりました。校内の残っている生徒は速やかに下校しましょう』

 夏の夕暮れは日が高く、暗くなるにはもう少し時間がかかるだろう。
 しかし、下校時間に変更はなく、スピーカーからの放送は学園全体に響いていた。
 生徒のいなくなった校舎内も例外ではない。
 しかし、教師・霖之助は隠れていた。追っ手から。

「椛はもう一度西校舎、私は東校舎を一通り見て回るわ」
「はいっ!」
「先生はそれほど運動能力が長けているわけじゃない。きっとその辺で身を潜めてるに決まってるわ! 探して見つけて丸裸にするわよ!」
「はいっ!!」

 文と椛は意気込んで左右に分かれて走っていった。その足の速さと言ったら俊足。下手な乗り物などを越えるのではないだろうか。
 二人の話を教室の死角になる場所から聞いていた霖之助は恐怖から震え上がっていた。

――…撮影を目的としているのを忘れてはいないだろうか…?

 とにかく、もう定時を過ぎているので帰宅したいのだが、荷物を取りに職員室へ行こうにも新聞部二人が気になって下手に動けないでいる。
 そっと廊下に顔を出していないことを確認していると後ろから「先生?」と声をかけられた。

「うわぁぁ!!」

 かくれんぼで見つかるとはわけが違う。文・椛に見つかれば、身を剥がされ、あまつさえ体の隅々まで撮影され、あることないことを記事にされるに違いない。
 部活という名の遊びで自分の職を奪われるなんてことがあれば理不尽にもほどがあるというもの。
身をかがめて自分を守る体制を取っていた霖之助だったが、カメラのシャッター音も服を脱がす手も出てくることはなかった。そのかわり、不思議そうにまた声をかけられる。

「先生。大丈夫ですか?」
「…稗田?」


* * *


 霖之助の後ろに立っていたのは、自分の受け持ちの生徒である稗田阿求であった。

「こんな時間に失礼します。診察が長引いちゃって」
「稗田…大丈夫かい?結構長い間休んでいたけど…」
「勉強についてはご心配なさらずに、ちゃんと予習も復習も宿題もしてますよ」

 阿求は体が弱く、学園にも数える程度しか出席していないにも関わらず、成績はトップクラスの生徒。
 今日この時間に来たのも、今日までに提出する課題を出しにきたのだ。「はい」と差し出された課題に「ああ」と言いながら受け取った霖之助だったが、ハッとしながら首を振った。

「や、そうじゃなくて」

 霖之助が言いたいのは課題のことじゃない。阿求の出席状態を気にしているのだ。

「あら、心配してくださるんですか?」
「当たり前じゃないか!」
「!」

 霖之助の強い肯定は阿求にとっては意外だったらしく、目を丸くしながら霖之助を見ていた。
 その顔を見て霖之助は冷静になり、怖がらせたと思ってすぐに謝った。

「ああ、すまない。…いや、なんとなく、学生のころの僕と重なってしまって」
「先生が学生のとき?想像できません」
「学生…生徒の方がいいかな。中学生のころだし。しかし…うーん 今より根暗だったからね」
「ま!根暗!」
「本ばかり読んでいたからかな。外に遊びにいく友達を見送って。教室の隅で本を読んで…。まぁ、そんな生徒だったんだよ」

 確かに霖之助は読書を趣味にしているが、それが根暗につながるほど霖之助の性格は暗いとは言えない。
 意外な担任の昔話に阿求は興味を示したかったが、ひとつ引っかかることがあった。

「…どうしてそこで私と重なるんですか?」
「あ、いや…」

 確かに阿求も文系少女である。しかし、だからといって霖之助(生徒)との接点が阿求には見つけられなかった。

「森近先生は勘違いをしてますよ。こう見えても私には友達いますし、私根暗じゃありません」
「ああ、もうしわけなかったと思っているよ」

 フンッと腕を組んでそっぽを向く阿求に対し、霖之助の謝罪は軽い。口調の軽さに怒りが増してきた阿求だったが、垣間見た霖之助の顔はどこか懐かしむ表情だった。悲しいような、嬉しいような。そんな表情を見た阿求は自分がイラついたことすら不思議と消えていた。

「……要するに、私を心配してくださったんですよね。それだけで私は嬉しいですよ」
「そうか」
「先生もあまり根暗なんて単語は使っちゃいけませんよ。言うなら『ぼくは根暗じゃない。ただ暗いところが好きなだけだ』って言うぐらいにしませんと」
「ははっ それはいいね。今度から使わせてもらうよ」

 照れたように笑った霖之助を阿求は逃さなかった。

パシャ

「?!」

 それは、今日一日恐怖に思っていたカメラのシャッター音だった。
 フラッシュによって目を瞬かせ、視界がはっきりしてきたころには、デジタルカメラを持った阿求が撮った写真を確認していた。

「さすが最新の高性能デジカメ。ピントもあってるわ♪」
「なんで…」

 血の引く頭で思い出していた。自分のクラスである稗田阿求という生徒の所属する部活を。そして、思い出すのと同時に当の阿求はあっけらかんと言い放った。

「すみません。私も一応新聞部なんで」
「………」
「大丈夫ですよ。私は文さんが持ってきたネタを記事として清書するだけです。先生の生徒時根暗話は秘密にしてあげます。使うとしたらこの写真…ですが」

 阿求はもう一度デジカメに視線を落とし、物思いに考え込んだ。そして、口元が笑ったのを霖之助は見た。

「まさか…」
「いえ。やっぱり、使うの勿体無いかもです」
「え?」

 やっとオレンジ色になった夏の夕空。阿求の頬に色を霖之助は認識することはできなかった。


* * *


 一週間後の朝

「毎度おなじみ東方女学園新聞部っ 最新号ですよー♪」
「読んでくださぁい」

 文、椛、今朝は珍しく阿求が昇降口の前に立って新聞を生徒に配っていた。

「今回は今話題の森近先生を丸裸にしましたー」
「こらこら!いつ僕が裸になったんだ…」

 阿求の呼び込みの言葉に、偶然その場に居合わせた霖之助は飛んできた。

「いやですねぇ ただの言葉の綾ですよ」
「…一体どんなあることないこと書いたんだ…」
「ご自分で確かめになってください」
「どれ…」

 阿求から一部新聞を受け取るとパラパラと記事を確認する。
 内容によっては校長に肩を叩かれるのではないかと考えていたので、内心ドキドキしていた。
 しかし、特に突拍子のない記事はなく、当たり障りない内容だった。しかし、誰にも話していないはずなのに身長と体重、体脂肪率、座高に視力から血液検査内容まで書かれているのがすごいというより気味が悪かった。
 そんな記事に並ぶ自分の写真はいわゆる“隠し撮り”と思われるものが多く、霖之助が逃げ回ったおかげでピントがずれているものも多い。追いかけてくるものだから思わず逃げていたが、この新聞の内容だったならちゃんと撮らせればよかったとも思ったほどだ。

「……君たちもう少しカメラの腕を磨いたらどうだ?」

 その言葉に、写真を撮っただろう文が文句を言った。

「失礼な!カメラの腕じゃなくてご自分の顔を見てみましたどうです?カメラは正直ですよ?」
「この間稗田に撮られた写真の方がまだ良かったよ…」
「あっ!」
「え?」

 げっそりとしながら答えた霖之助の言葉は阿求を飛び上らせ、文を驚かせ、椛の耳を大きくさせた。

「? 僕は何か悪いことでも言ったかい?」
「阿求…。写真なんて初耳なんですけど?」
「あー…。ごほごほっ持病の癪がっ!」
「あー!!またそうゆうふうに逃げてー!」

 じゃれるように阿求を問い詰める新聞部はある種微笑ましく見える。
 阿求も心なしか楽しそうだ。…文は結構本気で問い詰めているようだが…。
 問題の霖之助はもう一度新聞を見ながら、今週の予定という記事を見て、来週から二者面談がはじまるんだったなぁとのん気に考えていた。


その日の教育日誌

最近の若い子の考えることはわからない…。