《東方女学園-9時間目-》
僕、森近霖之助は、中学生のころ担任が苦手だった。
「森近君…貴方また1人で…もしかしてイジメを受けてるんじゃ…」
「え?いや…僕ただ本を読んでいただけで…」
「先生に何でも相談して!!私頑張るから!!」
「は、はぁ…」
うっとおしい先生だ。と、思った。
そのころの僕は家庭環境が安定していなかったためか、周りに溶け込むことが不慣れだったのと相まって、中学校ではおとなしく本を読み過ごしていた。
「いいのよ?!悩みがあったなら先生に言ってちょうだい!!」
「確かに今家の状況はあまりいいものじゃないですけど…叔父さんはいい人ですし…」
「ハッ!!家庭内暴力?!」
「なんでそうなるんですか…」
僕は今自分の家に住んでいない。叔父の家に厄介になっている。
僕の母親は、いわゆるシングルマザーで僕は父親の顔を知らない。
そんな母も小学校を卒業するころに他界。
祖母の家は格式ある家で、そんなところに預けてもらっていたのだが、祖母はどこの馬の骨とも分からない男の血を引く僕を受け入れなかった。
母屋に入れてくれることはなく、離れで過ごし、食事も別。先生の言うような暴力はなかったが、暗い部屋に一人残されていると、だんだん気が滅入ってくるのだ。
そんな僕を助けてくれたのは霧雨の叔父さんだった。
叔父さんの考え方は祖母に似て頑固だが、祖母のやり方には嫌気がさしていたそうだ。
叔父さんの家は道具屋を営んでおり、僕に店を手伝わせる代わりに家に招き入れてくれたのだ。従妹である魔理沙はまだ小学校にも通っていないほど幼かったので、子守りを頼まれたこともあった。
だから悪いことをしないようにおとなしく毎日を過ごす。そうしているのに、目の前の教師にはそれが許せないようだ。
僕よりも白に近い銀髪が揺れる。
「森近君が元気なら、いいのよ?」
ウソ臭い。と、思う。
どうせ自分のクラスに問題児がいるのが気に食わないんだろう。
叔父さん…いや、親父さんに引き取られてからも僕の心の歪みは簡単には治らなかった。
見るものすべてを否定しようとしていたし、イライラすることが多かったと思う。
そんなイライラを幼い魔理沙にまで当ててしまったことがあるため、僕は未だ魔理沙を甘やかしてしまう傾向がある。
とにかく、当時の僕はすごく不安定だった。
* * *
「先生…僕、先生に母性を感じてしまってしょうがないんです…どうか…僕の思いを…」
「ダメよ森近君!貴方と私は教師と生徒っ!こんな関係いけないわ!」
「そんなの関係ない!僕は先生が好きなんだ!!」
「なぁんて!!きゃーー!!」
「………」
ちなみに、最後の無言以外全て先生の一人芝居である。
屋上で昼食を取ろうと思っていたところの前客・担任の先生だ。
「何、やっているんですか…先生」
「やっだー☆森近君を笑わせようとしたお芝居よ、お芝居! それにここは『それって僕なんですか?』とか『先生はもしかして僕のこと…』とかいうツッコミしないと☆」
僕が屋上に来る前からその“お芝居”をしていたような気がしたが、突っ込むのはやめておこう。
「あんまり笑えません」
「そう?大笑いできると思ったんだけどなー。なんならホームルームの時に発表しようかしら!そしたら分かるわよ!『全米が泣いた!』『好評により上演延長!』とか評されること間違いない!」
先生は握りこぶしを作りながら笑顔で言う。
あり得ないのに、自分の言っていることを信じて疑わない様子に、呆れるのを通り越して笑えてきた。
「ぶ…っ! それは映画ですよ。 先生の場合、まだ落語とかした方が笑いがとれます」
「…ふぅん。森近君の笑いのツボは落語とかなのね」
「え?」
「笑うと結構かわいいじゃない。森近君」
先生は僕の鼻の頭を小突いて、ひらひら手を振りながら屋上から出て言った。
「なんだあれ…」
顔が熱かった。
* * *
その日のホームルーム。
「今からこのクラスの学級委員を決めます。だれか立候補してくれる人いませんか?」
先生が言う。しかし、クラスはシンと静まり返って誰もが先生から目線を外した。
「もー!みんな恥ずかしがって!それじゃあ私が指名してもいいの?」
しーん
賛成もなければ反対意見もない。
みんな面倒なんだろう。どうせ僕が指名されることはないので、僕は机の下で読みかけの本を開いた。
「そ! じゃあ決めちゃうから。今日は27日だから、27番の森近君!決まり!!」
「えぇ?!」
驚いて大きな声をあげて立ち上がった。膝に乗せていた本が派手に落ちた音も聞こえた。
「じゃあ新しい学級委員長さん!あとのHRよろしくね!」
先生は昼間と同じようにひらひらと手を振りながら教室から出ていってしまった。
何が何だか分からずに放心状態になってしまった頭を振って我に返る。
「えっ?! ちょっと!!!先生!!!」
学級委員などやれるはずがない。無理だ。
そう否定するために僕は先生の後を追った。
*
屋上。
先ほどのやり取りがあったために何となく恥ずかしい気分になったが、それとこれとは別問題だ。
手すりにもたれ掛かっている先生に、僕は言った。
「先生…やっぱり僕が学級委員なんて無理です…」
「そんなことないわよ。だってその証拠に、貴方に指名したとき誰も反対意見を言わなかったじゃない」
「あれはただみんなめんどくさいから…」
「そうね。みんな自主性がない。それはいけないことだわ」
「だからって僕がしなくても…」
「いいじゃない!自分には自主性があると知らしめることができるじゃない!やったね!」
「なっ…!先生それでも教師ですか?!」
「ほらー学級委員長!HRは貴方が仕切らなくちゃいけないのにこんなことで何をしているのよ」
全く僕の意見を聞いてくれない。サッと血の気がなくなるのを自分でもわかった。
先生は機嫌よさそうに口笛を吹いている。
先生の頭の上で結った髪が風になびく。僕は諦めて教室に帰ることにした。
いいさ。僕が学級委員なんてものできないことを知って、指名したことを後悔すればいい。
どうせ僕がクラスを仕切ることなんてできない。まずクラスメイトが聞くはずがない。
…これが引き金になっていじめが発生したらどうしよう…。
親父さんに迷惑や心配はかけたくないのに…。
緊張で震える手で教室の扉を開いた。
ガヤガヤと騒いでいた教室内がシンと静まる。
教台に立って恐る恐る口を開いた。
「これから…レクリエーションの遊びを決めようと思います…」
遊びの候補はありませんか?
そう口に出そうとする前に、クラスメイトの男子が大声で言った。
「森近よろしくなー」
「え…」
「お前ならできるって!」
屈託のない笑顔で男子は言った。
すると、周りの生徒たちがそろって口を開く。
「案外しっかりと仕切ってくれるかもね!」
「私森近君が霧雨道具店でお手伝いしてたところみたことあるよ」
「よっ!霧雨道具店の若頭!」
「えぇっ! あ、うん…がんばって、みるよ」
うつむいてもう一度「がんばる」と呟いた。
泣きそうになったことは、僕の秘密だ。
驚きと、安心と、嬉しさと。僕のクラスメイトは優しい人ばかりなんだと認識する。
もう少し早くまわりの優しさに気づいておけばよかったと思うほど。
僕はホームルームの続きをするために顔をあげた。
* * *
季節が移り変わるのは早いもので、僕はこの中学校を卒業することになった。
先生に無理やり学級委員を押しつけられてから、僕の交友関係は広がり、イベントや行事等にも割と積極的に参加できたと思う。人生で一番イベント・行事に参加したと思う。今思えば正直お断りなのだが…。とにかく、僕は中学生活を楽しむことができた。
親父さんも僕の表情も多くなったと、言ってくれた。
一時はどうなる事かと思ったが、これらはすべて先生のおかげだ。
式が終わったあと、一言お礼が言いたくて先生を探すのだが、なかなか見つからない。
まさかと思いながら開けた屋上への扉の先に先生はいた。
僕に背を向け、屋上から校庭を見るように手すりに肘を付けている。
なんだかお礼を言うのが気恥かしくなって生唾を飲み込む。しかし、教師を生徒という関係がなくなるためお礼を言うなら今しかない。
「あの…先生が話しかけてくれたおかげでとても楽しかった…です。はい」
「森近君…」
うつむいて喋る僕に先生が振り向く。それと同時に向かい風が吹いて先生の匂いがした。
それは思ったよりも渋く、煙たい…いうなれば煙草の臭い。
おかしいと思った僕は恐る恐る顔を上げる。
先生の右手には一本の煙草。
「って先生たばこ!」
「ふふっ 貴方はもう私の生徒じゃないから注意はできないけど、コレは貴方が二十歳を超えないと吸えないものなのよ?」
そんなのは分かっている。
中学校は禁煙だし、もちろん屋上が喫煙室というわけじゃない。
「先生!ここ学校…っ」
「貴方は黙ってくれるわよね? 森近君」
先生はあの時と同じように僕の鼻の頭を小突く。
あの時よりも僕の身長は伸びたために先生の上目づかいが見えた。卒業式のためにいつもよりも紅い唇。
そのとき初めて先生を女性と見れたようでドキドキした。
…先生には口が裂けても言えない秘密。
* * *
そんな先生を見たからというわけではないが、現在僕は中学生の教師をしている。
魔理沙一人でも何かを教えるというのは大変なのだが、大人数、しかも人様の子供を預かるとなると教師という職業がいかに苦労するのか分かった。
今、僕はそんな生徒たちの親御さんと話し合う二者面談をしている。
いろいろな親がいるなと緊張する一方、次の人にはより緊張するような、リラックスできるような妙な気分になった。
「じゃあ次は…マーガトロイドさんのお母さんですね」
「はい♪ 久しぶりね森近君」
「…はい。神綺先生…」
その日の霖之助の教師日誌
神綺先生は今託児所を経営しているらしい。「ユキちゃんが~そこでマイちゃんは~」なんてことを言っていた。
しかし…前と変わらない容姿だったが、先生は今いくつなのだろう…?